佐野博士から聞いたことがある。プーチンはレーニンの意思を継いでいると・・・。
それは未来を創造して行くには、過去における真の史実を知る必要があるからです。そうすれば方向性とビジョンが見えて来るのです。
戦後の西側世界が持つアカデミズムの「世界史」とは、アメリカとイギリスによって真が隠蔽され、史実を塗り替えている事は周知の事実です。
真の史実を隠蔽した世界史を基とする統一原理の「共産主義」観とは虚像です。ですから方向性を誤ります。
天の摂理のゴールを原始共産世界に置くべきである。
統一の摂理史観ではレーニン型共産主義とスターリン型共産主義を混同しており区別してないので、スターリン型の共産主義のみを前面的に強調しているから、大方の統一関係者は未だにロシアと聞くと、「ロシア=スターリン=共産主義=サタン」という残像を今も引きずっており、レーニン型の真の共産主義という面影は何処にもない.
偽イスラエル闇の権力は、真の共産主義の立役者であったレーニンを暗殺してスターリンを頂点に置いた
東西冷戦の軍備拡大競争のシナリオと火付けは、アメリカを支配下に置く偽イスラエル闇の権力である。その偽イスラエル闇の権力は、グルジア出身で、ロシア語を上手く話せなかったスターリンをソ連共産党の頂点に置いた。スターリンはペンネームであって本姓は“ジュガシビリ”で、“ジュガシビリ”とはグルジア語で(ハザール)ユダヤ人を意味する。
現在のレーニン全集では、レーニンがプロレタリアートによるブルジョワジーに対する無制限の暴力=プロレタリア独裁を主張したことになっているが、これはスターリンによるレーニン全集の改竄の結果であるということだ。お間違えないように。
スターリンをソ連共産党の頂点に置いたのは、アメリカを支配下に置く、偽イスラエル闇の権力であるが、その奴らの隠れ蓑が、帝政ロシアが幕を閉じた後のロシア国内の軍事産業に関わっているブルジョワ資本家による臨時政府の機関であるとワタスは推測する。
以下の文脈を読めば解ります。骨(素因)の部分を明らかにします。
帝政ロシアが幕を閉じた後のロシア国内は、臨時政府とプロレタリアソビエトの二重権力構造となる。
二重権力構造というと、対立のイメージがあるが、初めから臨時政府とソビエトが対立していた訳ではなかった。プロレタリアのソビエトは当初、金融エリートが在籍する臨時政府を支持していた。しかし、その支持も長くは続かなかった。
なぜ支持が続かなかったのか?その決定的要因は、ブルジョワ資本家による臨時政府は、第一次世界大戦の継続政策をとったかだ。もともと、3月革命は戦争をやめる為に始まった革命だったのに戦争続ける???理解できない!!
なぜなら臨時政府の中には軍需産業に関わるブルジョワ資本家が多くいたからだ。彼らは、戦争が続いてくれた方が儲かるので実はありがたかったのです。
これでブルジョワ資本家による臨時政府とソビエトの対立が始まります。そこに亡命先のスイスから帰ってきたのがレーニン。彼は、帰国するとプロレタリアのソビエトに向かって4月テーゼと呼ばれる指針を発しました。
「すべての権力をソビエトへ!」、つまり、軍事産業に関わるブルジョワ資本家の偽イスラエル闇の権力と袂を分けようとレーニンは思ったに違いありません。
だからレーニンは労働者や兵士に向かって「君たちこそ権力を握る資格があるんだ!権力を奪取せよ!」と呼びかけたのです。
しかしレーニンは志半ばで暗殺されてソビエトユニオンは頓挫してしまったという経緯です。
つまりロシア国内にいた軍需産業に関わるブルジョワ資本家とそれに関係する政党が、政府の上に共産党をつくり、選挙関係なく、共産党の存在を普遍的絶対的なものにした。そしてスターリンを頂点に置いた。ということで純粋なロシア革命という運動自体が途中でハザール系偽ユダヤ人によって乗っ取られてしまったと言う事ですよ。ここが起点となって東西冷戦時代の軍拡競争を演出できる運びとなったのです。
ここでレーニンとスターリンの考え方を浮き彫りにしてみよう。
レーニンは国家を階級支配の機関とみる国家観に立ち、既存の国家機構は奪取するだけでなく粉砕して新しい国家機構をつくらねばならないと主張している。本書で「いずれ国家は死滅する」と無国家社会への展望を記している。国境の無い相互扶助の共同体建設を希求しているようなもの。そして第一次世界大戦の全ての交戦国に対しては、無併合・無賠償を提議する。同時に土地の私有性を廃止する。
スターリン
1922年スターリンは、他の民族弱小国家を支配下に置く為に、各ソヴィエト共和国が自治共和国としてロシア連邦共和国に加入する、という「自治化」案を作成した。しかしレーニンはこれを大ロシア排外主義として批判し、ロシア連邦共和国は他の共和国とともにソヴィエト同盟に加入する、つまりロシアは他の弱小民族国家と変わらぬ平等の立場であるという代案を出した。スターリンはレーニンの「民族自由主義」に不満を述べたが、修正案を受け入れ、同年ロシア共産党中央委員会総会ではレーニンの代案にそった決議を通過させた。
レーニンの思想を理解すると、かつてローマ帝国の繁栄と物質文明を批判して、私有財産制を認めず、自然と共にある質素な生活を標榜していたエッセネ派クムラン宗団のそれと摂理的に繋がっている事が感じられる。つまりクムラン宗団とレーニンは、アーリアと一線を画す光の側であると言う事だ。