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2031年アセンションに向けて万全の準備ができたぞ

 

知らないでゐることの心地よさ

 

 

一部抜粋

「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。そうすることによって、思考を超越することができます。なぜなら、思考は常に結論を出そう解釈しようとしたがるからです。「知らないこと」を恐れているのです。
(『Stillness Speaks』第2章「思考の夢から覚めるということ」エックハルト・トール)

 

抜粋おわり

 

 

 

 

kitasendouさんのブログを読んだら、私の知っているある内容と直接的と言う訳ではないですが、深い部分でリンクしているなと思いました。この「知らないでいること」に心地よさを覚える。という事に関して、私なりの角度からアプローチして核心へと迫って見たいと思います。ところで、先に述べた深い部分でリンクしている「ある内容」というのが青字の文脈です。

 

一、抽象的概念の中に真理が存在すると思って、思考によって探究することは刺激になるかも知れないが、結局は真理とは関係のない影を追うことになる。

 

一、真理とは一般に思われているような抽象的概念ではなく、それは直接的な経験に基づいた宇宙的法則と事実への認識なのであると教えられている。しかし残念ながら人々は、真理は抽象的概念の中にあるという思い込みを払拭できないでいる。

 

 

補足

一段目の意味合いとは

聖書を基とする統一原理の「創造・堕落・復帰」という抽象的概念の中に真理があると思い、この体系の中から歴史と人生の問題解決を図ろうとする思考自体が、真理の影を追うような行為であるという事です。

 

 

 

二段目の意味合いとは

「宇宙的法則と事実への認識」という文脈がありますが、これは善悪吉凶が入り混じった複雑な人生路程の歩みとは、例外なく太陽系惑星運動の法則と客観的に一致しているという事実を認識した上で、今生で体験することが偶発的ではなく、宇宙輪廻システムの中で機能している縁起の法則によって導かれた体験であることを知ること。そしてそこから今生の人生の意味を悟り総括しなさいということです。

 

 

ここで一区切り

 

 

私が「神の摂理」と言うとき、キリスト教的な心情の神による救援摂理という概念はありません。私が信じる「神の摂理」とは、復帰の概念ではなく、神に向かって行く成長の概念であり、その進化途上にいる人類を訓練するための摂理です。

なぜキリスト教的な心情の神による救援摂理を否定するのか。形而上学から生まれる神の創造論はフィクションだと思うからです。つまり神とは、無色透明な愛と意識の種を併せ持つ法則的存在であるからです。その法則的存在から必然的に押し出されるようにして人間と物質宇宙がこの3次元世界に姿を現した。したがって形而上学から導きだせる心情の神による創造の動機(喜びの対象云々)というのは無い。

人間と物質宇宙という存在は、宇宙法則が必然的に生み出すに至った有って有るもの。その事実から人間と宇宙の存在理由を人間が後追いで創る。真善美の価値を創造していくように。だからこの究極的ケースは形而上学には当てはまらない。

 

 

「良心は神よりも勝る」を考察する

 

 

 

 

本来の宗教の役割と存在意義とは、

究極のゴールを神に置き、その進化に向かっている人類に対して、真善美の価値創造を人類が成し遂げるための教材と訓練を提供する。それが宗教の存在意義と役割である。であるからして、宗教信仰者に時が訪れて、何かを切っ掛けにして宗教の卒業を果たし、グノーシスに目覚めれば、この卒宗教者は巷の精神世界の人間よりも、遥かに効率的に短期間で霊的成長を達成できる可能性を卒宗教者は秘めている。

 

現代の摂理においてグノーシスが関係者に訴えるもの

 

統一原理とグノーシスは対立関係ではなく補完の関係だ          

 

 

 

 

ここで最後に、もう一度、冒頭で紹介した抜粋記事に目を通してみましょう。

「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。そうすることによって、思考を超越することができます。なぜなら、思考は常に結論を出そう解釈しようとしたがるからです。「知らないこと」を恐れているのです。
(『Stillness Speaks』第2章「思考の夢から覚めるということ」エックハルト・トール)

 

ここでエックハルトは「知らないでいることに心地よさを覚えてください」と謳っていますが、これを逆説的に考えてみます。まず「知ろうとする対象はどんな内容を差すのか?」ということになりますが、ここではキリスト教系の形而上学を根拠とする神の創造論が最も相応しいと思います。ですからこの「神の創造論」にまつわる形而上学から生じてくる神の心情と原理的な知識に縛られないように頭の中から排除して忘れて思考しない状態になってください。

 

そしてエックハルトはこのように言っています。そうすると夢から覚めて心地よい状態になり、インスピレーションによって真理に近づく事ができると言っているのです。なぜこのような心的状態になるのか?その根拠を私なりに探ってみると、そもそも聖書を基とするキリスト教系の形而上学を根拠とする神の創造論とは、人類を教育して進化させるための教材であり、実体の伴わない架空の説だからである。だからこそ、この余計な創造論を排除すれば、かえって心地よさを取り戻し、インスピレーションで真相に近づける。これはある種の理に叶った精妙な空間を当事者が創ったからだ。

おわり