毒ワクチンが世に出されたヤハウェ傘下の世界構図 | UC摂理打開のために360軒ホームチャーチ吟味は必須事項

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2031年アセンションに向けて万全の準備ができたぞ

統一協会設立日5月1日を考察 PART1

 

三角形の頂点はイルミナティが君臨しており、当然、この位置には天皇皇族が含まれる。

 

国家権力の上位に超国家権力イルミナティを置き、その機関を支配することによって全世界を支配する。
戦略としては「分割して統治せよ」「両建て作戦」「正+反=合」そして「分裂と混沌」です。

 

毒ワクチンを承認した日本政府の立ち位置は三角形の中の執行者階級か。という事は、日本政府はイルミナティの傘下にあるという事である。

 



 



以下の文脈に出て来る歴史的、社会的善悪分立の闘争はすべてヤハウェ傘下の世界における出来事です。ですからグノーシスである我々は、一つ上の次元に立って自分のハイヤーセルフから見下ろすような視点が今は必要だと思っています。

だから善悪分立という分離の概念ではなく、一つの球体の中に納まる光と闇という感じですかね。

 

 

 

 

アカデミズムの史実を基として構築された統一の摂理史観では、神の摂理の善悪分立における分水嶺を、キリスト教文化圏が善であり、それ以外の反キリスト教文化圏を相対的に悪側の位置に追いやった。しかし、このアカデミズムの史実とは、時の体制側権力者が意図して、体制側の都合の悪い事実を隠すために作られた虚構の史実であったのだから、その虚構の歴史がベースとなって構築された統一の摂理史観も虚構の摂理史観となる。

 

統一原理ではなく、本来の神の摂理の善悪分立における分水嶺とは、国を越え、民族を越え、宗教を越えた処にある一個人に置かれる筈だ。だからアメリカ人だろうが、中国人だろうが、朝鮮人だろうが、日本人だろうが、同性愛者であろうが、キリスト教だろうが、神道であろうが、イスラム教であろうが、そんなものは全く関係なく、その善悪分立における分水嶺とは、魔界側闇の権力が支配する資本主義世界に蔓延る個人主義を当然の事として、物質的打算の価値観に必要以上に染まって利益第一主義で生きるのか、それとも人間の良心を大切にして生きるのか、これが神の摂理の善悪分立における分水嶺となって然るべきだ。従って、極々アバウトに本来的な神の摂理の善悪分立における分水嶺を示すならば、相対的善の位置に来るのが良心的に生きる被支配階級(社会的弱者)であり、一方の相対的悪の位置に来るのが支配階級という事になる。

このような神の摂理の善悪分立観から、霊性日本の歴史を紐解くとき、私が最も印象深く受け止めている人物と史実が、平安時代後期に勃発した平将門の「天慶の乱」である。当時における闇の権力の傘下にあった大和朝廷で、摂関政治による藤原氏(イルミナティ)が政権を欲しいままにして我が世の春を謳歌していた頃の地方行政は、朝廷によって各地の国司に丸投げされていたため、国司は職権乱用で好き勝手にやりたい放題、だから治安も悪化していた。そして国司は貧しい一般平民から、かなり負担となる税を何食わぬ顔で長らく収奪し続け、それで飲み食い遊ぶという優雅な生活を繰り返していたそうだ。それに加え、当時は自然災害などが重なり慢性的な食料難に陥っていたという。そんなんで貧しい一般平民の生活と言えば、その窮状は言語に絶するものがあったという。にもかかわらず、体制側であった朝廷直属の国司が取り組む地方行政は愚の骨頂を極めていた。だから窮状の中で苦悩する貧しい平民の生活を顧みた善い行政をする事など全く意に介さず、相も変わらず悪政を改めようとすること等なかったのだ。(現代の悪政と同じ)そんな貧民達が平将門に向けた救世主としての期待は、かなり切実なものがあったという。そんな貧民達の期待に応える為に将門は意を決して立ち上がったのだ。彼は窮状の中いる一般平民を朝廷直属の国司の悪政から解放し救済するために、自らを「新皇」と名乗り、土豪、百姓を組織して、朝廷直属の国司側と戦った。そして将門は一時関東一円の大規模な土地を手中に収めたとき、ここで多くの平民が幸福に暮らせる独立国家を築こうとしたのだ。その矢先に、将門は朝廷側に囚われの身となり、最終的に打ち首にされた。これが天慶の乱の経緯である。



アカデミズムの日本史では、将門の事を体制側の大和朝廷に反逆した無法者というイメージを今でも引きずっているが、実は郷土の平民(社会的弱者)の英雄であった。その事は、江戸っ子の大衆気風として「弱きを助け悪を挫く」という言葉が、平将門の天慶の乱に由縁している事から見ても十分理解できる。


将門に対する歴史的な評価は、時代によって異なり、江戸期は朝廷に反逆した英雄、明治から昭和にかけては朝廷に反逆した逆賊だ。だから将門は明治時代に祭神から一旦外され境内の片隅に左遷されている。しかし昭和51年に平将門の生き様を描いたNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』の人気もあり、昭和59年になって再び将門は本社に復帰し祭神となった。東京大手町にある「将門首塚」には今でも多くの人々が参拝に来る。

この天慶の乱とは平たく歴史を見れば、日本史の中の極一部の権力闘争でしかないが、しかし人類歴史の中で脈々と息づいてきた神の摂理の目的が、この地上に天国を実現するという処にゴールが設定されている以上、平安時代後期に勃発した、平将門の「天慶の乱」とは、今現在我々が取り組んでいる理想世界創建の歩みと一直線上に位置していると見るべきなのだ。
従って平安時代後期に勃発した平将門の天慶の乱とは、現代の我々が今こうして地上天国創建の為の実体路程として歩む上で、その道標先駆けとしての象徴的な路程として捉えられない事も無い。


ならば、神の摂理とは


相対的善に匹敵する良心的に生きる被支配階級(社会的弱者)VS相対的悪に匹敵する支配階級である以上、平安時代後期に勃発した天慶の乱の英雄、平将門の深い愛に根差したスピリットとは、19世紀初頭に共産主義革命を立ち上げたレーニンの愛のスピリットと共に、理想世界を標榜する今の我々の歩みと無関係である筈が無い。