魂魄思想から見た教団の混乱は必然か | UC摂理打開のために360軒ホームチャーチ吟味は必須事項

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2031年アセンションに向けて万全の準備ができたぞ

創造・堕落・復帰原理の理論体系の基となる生命観は直線的生観です。つまり魂の輪廻思想を否定した西洋キリスト教の生命観と同じです。

 

 

ですから統一原理の生命観とは、人の命魂の出発点は母胎中からであり、十月十日の母胎中生活が終わったのち、次の生命ステージは地上における数十年の肉身生活を営む事になるのだが、その数十年の人生行程はアカシックレコードに誘導されて生きる事になる。そして地上生活を終えて肉身を脱いだ霊魂は霊界に行き永生するという直線的生命のパターンだ。

従って統一原理とは、魂魄思想の「魄」に限定した理論体系になっている。だから因果律だけで事象を判断しやすいです。

 

 

 

 

魂魄思想理解のための補足ブログクリック

 

因果律が全てではない。https://ameblo.jp/oyajikan/entry-12325340342.html

家庭訓読教会さんへ

https://ameblo.jp/oyajikan/entry-12107755369.html

それに対して、日本古来の古神道の生命観とは、「魄」という顕在意識による思想を認めながらも、魂魄思想の「魂」無意識の領域にスポットをあてている。この魂の意識を人は地上では自覚できない。表現を変えれば自分のハイヤーセルフである。

つまり、地上に生きる人間は、父母から受け継いだ「魄」に匹敵する人格(顕在意識)の他に、もう一人の自分である神の一部である「魂」ハイヤーセルフを合わせ持ち、人はこの神の一部であるハイヤーセルフと父母から受け継いだ人格の二つを合わせ持ちながら地上で生を営んでいる。二人の自分が同時進行しているという事です。

そして、人間が死んでこの地上を去ったあと、二人の自分は別々の道を進んで行くというのですが、魂の方はレベルが高ければ恒星になるだろうし、そうでなければ生まれ変わり輪廻を繰り返す。一方の「魄」に匹敵する顕在意識・人格の方は霊界に行く。こちらの方は、霊界に行ってある程度過ごしたら、消滅させられるか、もしくは一つの大きな魂に融合して次のステージに向かうという事です。だから韓国における清平の210代先祖解怨霊界開放というのがありますが、私はこれに一喝を入れます。「ふざけるな!!」

 

とどのつまり、私はここで何を言いたいのかと申しますと、統一原理を信奉している方というのは、魂魄思想の中の「魄」のレベルのみにフォーカスしているから事象の表面的なものに左右され影響を受ける。これでは事象の奥深い真相など読み解けない。大切なことは、善と悪の二対立を超えたもう一段階上のステージに立って事象を見つめなければならないという事です。

だから、地上における「善」と「悪」に関しては、魂魄思想における「魂」の成長を第一義にする輪廻転生の思想を加味して考えると、何が善であり、何が悪であるのか、その善悪の判断が非常に難しく、悪云々と一概には決められないというのです。ケースによっては表面上一見悪に見えたとしても、そこに何か深い意味が介在する場合が多々ある。非常に複雑だ。見極めるのは難しい。

 

だから今の文ファミリーの親兄弟間における骨肉の争いは、魂魄思想の「魂」のステージに立って、この事象を捉えるべきだという事です。

それで、この魂魄思想を理解しようとするにあたって最も重要な事は、「神=善=一元論」という頭の中にこびり付いた固定観念は捨てるべきです。

善と悪という二対立を超えた存在として神を捉える事が重要になってくると思います。