真夏のへそ天猫。

朝はここが「グレ」の定位置です。
さすがにこの猛暑の中で日中の散策は辛いです。
最近はなるべく夕方と深夜二回に分けて出かけるようにしています。

あまり遠くまで行きたくないので同じところばかり巡ることになります。
夕方ルートは古墳公園~博物館~山~池~ヤギ牧場の繰り返しで少しマンネリ化。
なので昨日は少しだけ足を延ばして隣町、太子町の叡福寺(聖徳太子御陵)へ参拝することに…したのですが

時刻は5時10分過ぎ。
少し遅すぎた様です。

「出直してこいっ!」と山門の金剛力士像に言われた(様な気がした)ので過ごすごと撤退します。
これが本当の門前払い。

さてせっかくここまで来たのにどうしようか…
ふと山門から向かいを見ると丘の上に続く石段が目に留まりました。
そちらへは行ったことが無かったので登ってみることにしました。

「南向山 西方院」
ネットで検索すると聖徳太子の侍女が建立したお寺とのこと。
開基は約1400年前。
先日訪れた最古の仏教寺院「飛鳥寺」と同年代(少し後)ですね。

聖徳太子の死後、侍女の月益(蘇我馬子の娘)・日益(小野妹子の娘)・玉照(物部守屋の娘)の三人が剃髪し、その名も善信尼・禅蔵尼・恵善尼として創建した日本最古の尼寺。
…と寺伝にはありますがちょっとこの伝承には疑問があります。(後述)
こちらはまだ閉門してませんでした。
カラフルな蝋燭が門から奥に並べられてるので夜間拝観も出来るのかも知れません。

(太子聖燈会 太子町HPより)

再建された建物ですが歴史は感じます。
今では尼寺ではないそうです。

本堂前の庭園に白い蓮が植えられてます。
朝だともっと花が開いてるでしょうか。


寺の南側の墓地前に三尼公の御廟があります。

お堂の中に三基の古い多層塔が並んでます。
聖徳太子の侍女「善信尼・禅蔵尼・恵善尼」の供養塔です。
善信尼は蘇我馬子の禅蔵尼は小野妹子の恵善尼は物部守屋の娘ということですがこれがちょっと私の知っている歴史上の人物達と設定が違います。

(山岸涼子作「日出処の天子」より善信尼)
「日本書紀」では善信尼は司馬達等の娘となってます。
飛鳥大仏の製作者、止利仏師の叔母でもあります。

(池田理代子作「聖徳太子」より)
日本人最初の出家者で仏教弾圧で服を剥がされて鞭で打たれた話が有名ですね。
恵善尼が弾圧の首謀者、物部守屋の娘だというのはかなり無理があると思うのですが…
禅蔵尼が小野妹子の娘というのも違和感ありまくりですしそもそも時代が合いません。
このお寺では三尼僧が出家するのは聖徳太子の死後ということにですからね。

日本書紀には日本最古の尼寺は明日香村の「豊浦寺」(とゆらでら)とされています。
ここの寺伝がいつ頃に作られたものかはわかりませんが三尼僧が蘇我馬子、物部守屋、小野妹子の娘ということになったのは太子関連の有名人達にあやかりたかったのかもしれません。
よくあるのが江戸時代ぐらいの人が昔話を盛っちゃったり面白く改変し過ぎちゃう事。(個人の感想です)
某国宝の「足利直義肖像画像」が「源頼朝像」になった(確定では無いですが)みたいなことが起こったのかなと素人ながら推察します。
「司馬達等」さんも奈良時代作品にいろいろと登場するし(日出処の天子にも出てきます)それなりに著名人だと思うのですが…
地元で馬子のお墓と呼ばれる「植木家墳墓(伝蘇我馬子塚)」もこの近くにあります。

こちらの信ぴょう性は…言わずもがな。
石舞台古墳が90パーセント馬子の墓だとすればこちらの可能性は0.00001パーセントぐらいでしょう。
ちなみに葉室の蝦夷塚(伝)は0.0000000000000001パーセントぐらい
(個人の感想です。)
ここから二キロほど離れた小野妹子墓も江戸時代ごろから呼ばれだしたそうなので…もう何を信じればよいのか…
いつか古代の謎が明確になるような発見があれば良いのですが…無理だろうな。
深夜の散歩ルート
大ケ塚の丘の上からの富田林方面の夜景です。

魔王じょ…P〇平和記念塔の横に柿の種が浮かんでます。

赤いし歪んでるし少し不気味です。