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ふくろうの森から

「ふくろう」に癒やされる日々を送っている元経営者が、
日々の現実に押しつぶされそうになりながら、描く未来へ
歩を進めようとしている姿を描ければと思います。

「1人でもいい。誰かの勇気になれば。」と願っています。

前回の更新が、2月2日。

 

その時も、2023年が始まってもうこんなに時間が経ってしまったと書きました。

 

そう思いながら、向き合うことが出来なかったブログ。

忘れ去れてしまっているだろうと、あきらめにも似た気持ち。

 

過去の事象に囚われて、抜け出せない自分。

 

日々、起きる様々な出来事。

うれしいことも、嫌なことも、、、

たくさん起きる。

自分の心が喜ぶことも悲しむことも。。

 

どうしたらいいんだろう?

どうすべきなのだろう?

 

こればかりを考えている日々。

 

 

今日は、8月24日。

 

結局6か月が過ぎても、何も変化なく、自分の心を奮い立たせることができない自分。

 

 

あー、ダメだ。このままじゃ。

でも、どうしたらいいのかも分からない。

 

と、いうことで、分からないままに、ここに書いてみようと思うことになりました。

何週も回っているこの循環ですが、もし、誰かの目に留まればうれしくもあり、誰からの心が前向きになる起因になれればと思います。

 

なんども、リセットしているけれど。

それでも、まだ生きていて。

 

もいっかい、やり直してみよう。

 

 

 やっと向き合う気持ちに。

 

2023年になって、もう2月。

お正月に初詣に行ってから、30日以上も経ったということですね。

 

 

日々、目の前のことに全力で取り組んできてはいますが、寝る時間がないというところまで追い込まれている訳でもないのに、どこかで焦る自分もいるのかも知れません。

 

 

そう言えば、小学校の時に、言われていました。

1月は行ってしまう月。

2月は逃げてしまう月。

3月は去ってしまう月。

この3ヶ月は、非常に速いスピードで過ぎ去ってしまうから計画を立ててしっかりと日々を過ごしなさいと。

 

今、まさに、腑に落ちる感覚です。

 

 

そんな中、幸運なことに、元サッカー日本代表監督の岡田武史さんの講演を聞く機会を得ました。

これが、非常に痺れる内容でした。

岡田さんがチーム作りで経験したことを、分かりやすい言葉でまとめてくださり、熱くお話を頂きました。

 

チーム作りで、まず認識すべきこと。

それは、色んな人がいて、色んな考えがあるということをありのままに認識すること。

だから、みんなが仲良くなれるなんて幻想は捨てるべき。

もっと言えば、「仲良くなんてなれるはずがない」という前提に立ってチーム作りをしないといけない。

 

その前提に立ち、メンバーが共有するべきものは2つ。

1つは、目的。サッカーで言えば、スポーツなので、勝負の世界。勝つことが目的になる。

すべては、「勝つ」ために、どうするべきか、どうあるべきかで決めるべき。

もう1つは、フィロソフィー=哲学。

何を大事にし、何を守るのか。ルールに似ているが、ルールでは発展性がないらしい。

どちらかというと「モラル」に近い。

 

もっと、多くの教えを頂きましたが、ここに書いた内容が私には響きました。

私が最も共感し、お話を伺い、自社や自分のチームに強く意識して持ち込んでいる考え方です。

 

岡田さんの話を聞くことが出来た幸運を、自分の中で昇華させ、実践知に変えていくことが機会を頂いた私の義務だと思っています。

この教えを実践し、どのように組織やチームが変化していくのか。

どのくらい先になるか分かりませんが、その変化を楽しみに目の前のことに必死に取り組んでいきたいと思っています。

そして、そのことに、私自身を賭けてみたいと思っています。

 

もう2月です。

日々、1ミリでも成長をしていきたいと思う今日、このような内容をアップさせていただきます。

 

あっという間に、新年が明けて7日目となりました。

 

年末の大掃除から、4日の仕事はじめまで、ほとんど家の中で過ごしました。ブログも、書きたいな〜と思いながら向き合うところまで気持ちと体が向かわず、ようやく今になってという感じです。

 

のんびりする時間の中で、思ったことを思ったタイミングで行い、ゆるやかな時間の中に気持ちのいい感覚が残った年末年始になったと個人的には思っており、これはこれでいいかなぁなんて心は感じています。

 

そのような時間の中で、考えたことを書いておこうと思います。

ここにアップすることで、何度も見返し、今年の自分を作っていくことが出来れば。。

 

 

2022年は、これまで「きっとこうだろう」という基盤というか「当たり前」と思っていたことが、私の中で徹底的に破壊された年でした。

世界は、なんだかんだ言っても平和に向かっていくし、平和を希求していると思っていた思いは、結局、人間のエゴは消しようもなく、誰かが強力なエゴを出し始めると、全体が引きづられていくということをまざまざと見せつけられ、そこに対して評論家はいてもリーダーはいないと実感しました。大きな失望も感じました。

 

 

もちろん、私自身も、、、です。

自分の無力さも、そして、テレビや新聞や有識者という人も何も変わらず、「口だけ」参加する人ばかりである現実を目の当たりにして、心の底から落胆し、どう生きていくべきかを悩んだ年でした。

こんなモノの見方しか出来ない自分も情けなく思った年です。

 

サッカーワールドカップで、心が動く感動の瞬間もありましたが、そこも自身の行動や活動に繋げることが出来ずに、これまた、終わった後に悲しい気持ちになりました。

 

そんな1年を振り返った年末年始。

世界への失望も、自分自身へのがっかりも含めて自分と向き合いました。

 

 

今年は、、、と考えましたが大きな目標や活動まで目が行きませんでしたが、昨年の出来事を踏まえて、私は今年、改めて自分自身を作り直していこうと思うに至りました。

 

小さな成功も、大きな失敗も、人生に絶望したり、周囲の優しさに生かされていることを心底感じたり、辛いと思ったり、楽しいと思ったり、、、、

 

色々と体験してきた私が、昨年の世界の変化を目の当たりにした時、今の自分では、どこにいても誰に対しても、何の貢献も出来ないということを感じたのです。

そんな私は、今年、自分を一から徹底的に作り直す一年にしたいと思いました。

日々の生活のリズムを作り直し、ルーティーンも見直し、知識も入れ直し、自分との約束を守り、他者への貢献を強く意識し、日々を精一杯、必死に生き抜いてみようと思います。

 

 

 

このブログを通して、ご縁を頂いた皆様方にとっても素敵な一年になりますよ〜に!

今年のクリスマスは、ホワイト・クリスマスになりそうです。

福岡。

 

 

当然ながら、北海道や北日本では普通のことかも知れませんが、福岡では珍しいのです。

 

 

年に1度か2度は雪が積もるようになってきたのですが、クリスマスに合致するのは珍しいです。

寒くて、凍えるような夜ですが、こういう時は大切な人とゆっくり過ごすのもいいものです。

 

 

このまま、ロマンチックな気持ちで、1日1日を大切に出来るといいなと思います。

 

ちょっと早いけど、。。メリークリスマス!

 

先日に引き続き、ワールドカップ カタール大会から。

 

 

やりましたね。メッシ。アルゼンチン。

ワールドカップを制覇。PKではありましたが、非常にスリリングで見てる側からすると、たまらない試合でしたね。

 

 

前半はアルゼンチンが2点をリード。完全にアルゼンチン有利と思って見ていましたが、後半にフランスが2点差を追いつきました。唖然とします。

 

 

そして、延長線。

後半にアルゼンチンが1点を勝ち越し、これで終わったなと思ったら、またフランスが追いつくという展開。

 

興奮するとともに、見ていた私は非常に疲れも感じました。

 

メッシが、今大会でワールドカップを卒業するということを聞き、最後に優勝出来てよかったなと思います。

私はメッシをすごいと思うものの、彼のプレースタイルは私好みではなかった(何様のつもり、、、とご批判を受けそうですが)、それでもスーパースターであり、彼のこれまでの生い立ちやアルゼンチン国内での評価等、苦しみ抜いたことを知り、このワールドカップにかける想いを感じていました。

そんな彼が得点王こそ取れませんでしたが、チームを引っ張り、優勝をした。3点目は、彼の前にボールが来たという感じのシーン。

思わず涙が流れてきました。

 

これほどまでに、人の心を揺さぶるシーン。

この感動。心が揺り動かされる感覚。

 

生きている。

今、私は生きているんだと確かに感じた瞬間でした。

 

すべての国、すべての選手に感謝です。ありがとうございました。

 

2022年12月18日 日曜日。

昨夜、いや、今朝方はワールドカップ カタール大会3位決定戦のクロアチア対モロッコの対戦を観戦しました。とても興奮し、ゆっくりした朝を迎えました。

 

 

今回のカタール大会では、日本代表の試合で感動し、勇気をもらいました。私の世代は、カズさんやラモスさんが初のワールドカップ出場を目指し戦い、あと一歩のところで出場を逃してしまったドーハの悲劇の記録が鮮明にあり、その中での戦いということで、ドーハの歓喜という呼び方も嬉しい気持ちになりました。

 

コーヒーを飲みながら、3位決定戦の試合を思い出しながら、少し認識が変わりつつある自分に気付きました。

 

確かに感動をもらった日本代表でしたし、勇気ももらいましたし、何より日本の男性も、フットボールの世界で世界と伍していけるんだと。これまで、サッカーのワールドカップといえば女性のみが世界で戦えるという印象だったので、ものすごく勇気をもらったことは確かなんです。

が、今日の試合を見て、ふと思ったのです。

サッカーが違うって。

すべてのスピードが違うのではないかと。

パス、シュート、寄せ・・・。すべてのスピードや強さ、強度がまったく違うように感じました。

 

 

これで、世界一を目指せるのかどうか。そのように感じた試合でした。

 

日本戦を見ていると、感動し、勇気をもらい、気持ちが高揚したのに、今はまったく違うように感じている自分がいるのです。

 

これが、教えられたこと。

自分がどんなにがんばっていても、そこを基準にしていては意味がないということ。

常に、最高のものと比較をしないと成長の機会を自ら摘んでしまうことになるんだということ。

世の中、自己肯定感という言葉で甘い環境ばかりが出来ているように思うけど、そんな中にいても、自らの成長の機会を失ってしまうだけだということ。

 

 

常に上を、常に最高と比較を、絶対に諦めないこと。

甘い言葉や甘い環境に身を置くことがないように。

 

今は、そんな気分でいます。

今年、いや、私にとっては2018年の年末からでしょうか。

忘れてしまいたいし、なかったことにしてしまいた2018年ではあるが、、、、大きな変化を感じています。

 

私自身に大きな転機があったということでもありますが、世の中が変わりつつあり、これは不可逆性の変化であって、そしてずっと後から今という時代を見たときに大転換の時期だったと言われるような変化が起きているのではないかと、そのように感じています。


 

今年は、いよいよ第三次世界大戦になるような戦争も起こりました。身近では、北朝鮮の問題も大きな変化を見せていますし、国連も平和を願う私達の想いは届かずに、機能低下を起こしているようです。

コロナによって、生活様式も経済環境も変わり、「新しい」様式になってきたように思います。

 

ちょうど、この変化のさなかにいて、なんとなく、仕事のしづらさや生活のしにくさを感じています。

 

 

でも、世の中、変化し続けることが普通であり、変化がないなんてありえないのですよね。

中学時代に学んだ化学や物理の時間の学習を思い出します。

 

1秒たりとも同じ状態は続かない。

変化し続けることが普通だ。変化していない、変化したくないというのは人間の傲慢だ。

 

あの時には、何も感じなかったのですが、今、やっと実感出来ているように思います。変化を受け入れ、変化を楽しみたいものです。

あっと言う間だったなと思いながら、随分、久しぶりにブログのサイトを開きました。

この間、何度も書こうと思いながら、書くことが出来ずに今日まで来てしまいました。

 

 

もう2022年もあと半月ほど。

 

この年の瀬だから、出来ることもあるのだろうなと。

思い切って、何度目かの再開をしようと心に決めたので、その記事だけでもアップしておこうと記しておきます。

 

これから、どの位の頻度で、どのような内容を記していくかも、まだまだ決めることが出来ていません。

けれど、「書く」という行為を必ず行い、継続していこうという気持ちは、これまで以上にストレートに自分の肚の中に落ちています。

 

それがなぜなかは分からないけれど。

でも、今、このようにして「言葉を紡ぎ」「気持ちを込めて」掲載することで、何かが見えてくるのではないかと思うから。

 

 

毎回毎回、「スタートしてはやめて」を繰り返してきた私ですが、改めて、何度目かの再スタート・再チャレンジをさせていただきたいと思います。

もし、ご縁があって、このブログにたどり着かれた方々がいらっしゃれば、どうぞ、これからがんばっていきますので、楽しみにしておいてください。

読んでくださる方がいらっしゃれば、力になれそうな気がしています。

1ヶ月前に書きながら、投稿をしなかったのですが、今の状況を見て、やっぱり投稿をしたくなったので投稿をしてみます。

当時の記事に少し追記をして。。

 

 

ロシアによるウクライナ侵攻が進んでいますね。

これを、「侵略」と読んでいいのか分からないなぁと思っていたスタートでしたが、様々な情報が入ってくるにつれ、「侵略」というものに、「戦争」という最も怖い言葉がくっついた「侵略戦争」というワードが私の頭の中を過っています。

 

お付き合いのある大学の先生が発信されていた文章を読んで、本当にその通りだなぁと思いました。

 

先生が記載をされておられた内容を私なりに整理して記載をします。

第二次世界大戦は1939年9月にスタートし、そこから6年間続いたと歴史の教科書に記載されていた。そのスタートした時に、当時の人々、紛争が始まった地域の人ですら「第二次世界大戦」だと思ってはいなかったのではないだろうかと。当時の人々の認識は、ある一部の国が他国に侵略を初めて紛争が始まった・・・という認識ではなかっただろうか。

残念ながら、このスタートの宣戦布告がきっかけが世界に連鎖していった。結果として後の人々が「第二次世界大戦」と名前をつけただけなのだ。

この流れが、今回のロシアによる侵略戦争が「第三次世界大戦」のスタートと言われるようなことにならなければいいが。。。

 

このような記載でした。

心が震えました。本当にそうなんだろうなと思いました。

だとすれば、本当に、私は今、ここでニュースを見て、どうか広がらないで欲しいと願うだけでいいのだろうかと思ってしまいます。

 

そのように感じると、国会も、マスコミの方々も、そしてもっと身近な方々も、何かできることをしなくていいのかとすら思ってしまいます。

 

悔しい。

悲しい。

 

何ができるのだろう。

何をすべきなのだろう。

 

今ほど、世界平和を祈りたいと思う日々はない。

 

自分のココロが疲れているのかもしれない。

すごく、発せられる「言葉」が、私のココロを揺さぶる。

敏感になったのだろうか。

 

ロシアがウクライナに侵攻した。

テレビで、毎日のように流される映像。

 

そういえば、かなり前の話になるが、「湾岸戦争」が始まったときも、まるべゲームのように見える映像が次々に映し出され、戦争の悲惨さや酷さ、無意味さを感じとることが出来ない状況を周囲の方々と話をしたことを思い出す。

 

 

と・・・、今日はその感情を吐露するのではなく、その映像を流した後に発せられる「言葉」に私のココロが違和感を感じているということを書きたいのだ。

 

「戦争はいけないですね」

「平和を目指しましょう」

「こんな悲惨なことが許されるはずがない」 等々。

 

コメンテーター、キャスター、芸能人・・・多くの方が発される言葉の数々。

 

いい、悪いではなく、どれもこれも、「薄っぺらいな〜」と感じてしまう自分が、今、ここにいる。

 

これは、私のココロが疲れているのだろうか。

それとも、危険な思想に動いているのだろうか。

 

なんだろう、この感覚。この数日、この感覚をどのように捉えればいいのか悩んでいる。