先日、静鉄観光サービスのツアーで、明智光秀ゆかりの城めぐりという企画があり、坂本城・勝龍寺城・亀山城・黒井城を案内してきました。山崎の戦いのとき、明智光秀が本陣を置いたという「御坊(おんぼう)塚」については、恵解山(いげのやま)古墳とする説と境野一号墳とする説がありますが、私は恵解山古墳の方が規模が大きいので、そこだと考えております。地元のガイドの方もそのように説明していました。

一番大変だったのは黒井城です。麓からの高さ、すなわち比高が250mもある典型的な山城です。私は、学生時代に一度、PHP新書『明智光秀』執筆のとき(1998年)にも登っていますが、今回は三度目で、暑さもあり、年齢的なこともあり、大変でした。でも、やはり、頂上の本丸に立ったときの達成感は何物にも代えがたいですネ。地元の村上正樹さんには大変お世話になりました。

昨日、岡崎市で「新・家康公検定2019記念講演会」が開催され、私が「家康公と義元公~海道一の弓取り、三河守の系譜~」と題して講演をし、そのあとの質疑応答も行いました。

受講者の年齢層は広く、80代と思しき年配者から小学生までおりましたが、「さすが岡崎!」と思ったのは、小学生の女の子が、「竹千代が義元から元の字をもらって元信となったのはわかりました。家臣の鳥居元忠の“元”も義元からもらったのですか?」と質問を受けたときです。

鳥居元忠の“元”の字のことは考えたこともなかったので、思わぬ質問に一瞬たじろぎました。たしかに、元忠も同じころ元服しています。ただ、元忠は元信(のち元康)の家臣で、義元からすれば陪臣になるので、「義元からではないと思う」と答えたのですが、自信はありません。鋭い子がいるなとびっくりしました。

先日、長浜市の長浜城歴史博物館運営協議会があり、9月1日までの会期で開催されている表記の企画展を見てきました。

お市の方や茶々・初・江の浅井三姉妹の肖像画や消息などが展示されていて、私自身、特に注目したのが、浅井亮政の正室蔵屋と、側室寿松の関連史料が展示されていたことです。2人の名が記されている竹生島の小嶋権現の棟札ははじめて見ました。

また、企画展と同時開催されている「第22回下郷(しもごう)共済会所蔵品展」に、秀吉夫妻にゆかりのあった侍女孝蔵主(こうぞうす)の消息が出展されていて、これもはじめて原文書を見ることができました。