先日、「第11回 城の自由研究コンテスト」(主催 日本城郭協会 、朝日学生新聞社、公文教育研究会)の表彰式があり、出席し、日本城郭協会の役員である関係で、特別講話「お城研究の楽しみ方」を受賞した小学生・中学生 に話をしてきました。

今回、全国から331点の応募があり、その中から、大分県中津市立永岩小学校の6年生から1年生まで6人のグループ研究「九州最大の山城長岩城―落城の謎に迫る―」が文部科学大臣賞に選ばれました。

その他、日本城郭協会賞に永坂美月さん(小6)の「よみがえれ!雨滝城」、朝日小学生新聞賞に中島侑紀さん(小5)の「大坂城と西宮のつながり―西宮にひめられた大坂城の謎―」、公文教育研究会賞に吉田実華さん(小5)の「土田城見聞録―信長の母のふる里を知る―」が選ばれ、優秀賞6人、佳作10人の表彰が行われました。

私も小学生の頃から城のことを調べていて、このようなコンテストがあれば必ず応募していたと思いますが、今回の受賞作品をみていて、「自分が小学生の頃よりすごいな」と実感させられた次第です。

名古屋市の栄中日文化センターで「小和田哲男流 城の見方・楽しみ方」という講座をもっているのですが、その受講生から村木砦の資料と地図をもらい、先日、訪ねてきました。村木砦は、桶狭間合戦前の織田・今川攻防戦の舞台になったところです。私はまだ行ったことがなかったので、息子泰経との共著『【徹底的に歩く】織田信長 天下布武の足跡』(別冊太陽)では泰経が行っています。やはり、今川勢力と織田勢力がどのようなところで最初に衝突したのかをたしかめたくなり、行ってきました。

JR東海道線の大府で武豊線に乗り換え1駅、尾張森岡駅のすぐ近くにありました。城跡の一部が八剣神社の境内になっていて、その森が目印ですぐわかりました。主郭部分は、武豊線の線路と国道369号線が通り、寸断され、また、住宅地になってしまっていて残りはよくありません。

ただ、東側から少し離れて写真を撮ると、かつての高低差が感じられ、当時のイメージがわいてきました。いま埋めたてられているところがかつて衣ケ浦で、村木砦は海に突き出た岬状のところに立地していた状況がよくわかりました。

ついでに、武豊線でもう1駅足をのばし、緒川で降り、水野信元の居城だった緒川城にも行ったのですが、こちらは、土塁がわずかに残っているだけで、やや期待はずれでした。

来年、福岡県築上郡築上町の主催で、宇都宮氏のシンポジウムを開催する計画があり、先日、その打ち合わせに行ってきました。秀吉の九州攻めのとき、一旦は軍門に降りながら、伊予への転封命令を不服として黒田如水に抵抗し、滅ぼされた宇都宮(城井)氏の事績を明らかにしようというシンポジウムです。

打ち合わせとともに、今回、舞台となった城井谷をくまなく案内していただきました。数年前、地元の織田一嘉さんのご案内で一部の城址は見てまわったのですが、時間が足らず、今回、あらためて織田さんと、宇都宮氏研究者の則松弘明さん、それに教育委員会の高尾栄市さんにも同行いただき、松丸の宇都宮氏館跡、大平城の下の溝口屋敷、さらに、宇都宮軍と黒田軍が戦った古戦場にある「大野小弁の碑」などをみてまわりました。

城井谷は城井川によって形成されている谷です。両側が山で、谷全体が天然の要害になっているため、黒田軍も攻めあぐね、最後、謀略的手段をとらざるをえなかった状況も、現地を歩いてよくわかりました。戦国時代がそのまま残っているような錯覚に陥ります。全行程、町長も山歩きのスタイルで同行されたのにはびっくりしました。