沼津市教育委員会が沼津市にある興国寺城跡を継続的に発掘調査していて、本年度は本曲輪の東、清水曲輪を発掘しています。昨年12月8日に現地説明会があったのですが行くことができず、昨日、発掘担当の木村聡・高尾好之両氏のご案内で見学が叶いました。
私は興国寺城跡を国史跡に申請する頃、同城跡の調査・整備の委員長だったのですが、大学の管理職になったとき、「公務に専念するように」といわれ、辞職したいきさつがありました。その頃、私は清水曲輪も城域の一部だと考えておりましたので、少しだけ試掘をしてもらいました。そのとき、堀の一部らしいものが出てきましたが、国の史跡になったのを機に、整備を急ぐ必要から、主郭にあたる本曲輪・二の曲輪の方の発掘調査を優先したため、清水曲輪はあとまわしになり、ようやく本年度、本格的な調査となったわけです。
今回の調査で、北に対する備えの大きな空堀がはっきりした形で出てきました。幅13m、深さ2.8mで、しかも2ヵ所屈曲を設けています。折で、これは横矢掛りとみてよいと思います。しかも、同じ場所で、堀が改修されていることもわかりました。最初の堀は薬研堀で深さは3.8mと深いものの、幅は4.5mほどしかありません。薬研堀の底の方を埋めて箱堀にし、幅を広く作りかえているのです。薬研堀が武田氏時代、箱堀は天正10年(1582)~18年(1590)の徳川氏時代とみたのですが、どうでしょうか。
なお、今回、お二人に案内していただきながら、興国寺城の位置づけについても示唆を与えられました。従来、何となく、「興国寺城は北条の城」という固定観念があり、本曲輪・二の曲輪・三の曲輪が南北一列に連なる連郭式とみて、私なども「北条氏の築城技法連郭式がみられる典型的な城」といってきたわけですが、武田時代の改修・拡張、徳川時代の改修・拡張の事実もきちっと追いかけていかなければならないと思いました。