現在、岐阜市教育委員会が岐阜城信長館跡を発掘中 で、先日も新聞報道がありましたように、菊と牡丹と思われる金箔瓦が出土しています。その瓦はいま岐阜市歴史博物館 に展示されていますので、是非ご覧下さい。

先日、整備基本構想策定委員会があり、委員会が始まる前に、現在発掘中の現場をみせてもらいました。通称「千畳敷」とよばれるところの一部で、信長居館があった可能性が一番高いのではないかと考えられている場所です。そこから4つ目(数え方によっては5つ目)の池が出てきました。信長がこんなにも庭が好きだったとは思っていなかったのでびっくりです。岐阜市の方針で、発掘中のところも見ることができるようになっていますので、機会がありましたら見に行って下さい。

このたび、別冊太陽の新刊で『【徹底的に歩く】織田信長 天下布武の足跡』という本を出しました。小和田哲男・小和田泰経共著となっており、泰経は私の息子です。泰経自身もすでに単著で本を3冊出していますが、親子の共著は初めてです。

この本は、【徹底的に歩く】をうたい文句にしているように、信長ゆかりの場所をそれこそ徹底的に歩いて、現状写真も入れるという方針で、私が行ってないところは泰経が実際に歩いて取材・調査をしています。

泰経が3歳のころから城跡などを連れ歩きました。いやがらず、よくついてきたものと思います。小学校6年生のころからは、少しずつ古文書の勉強もはじめました。そうしたこともあって、このような本ができたのかもしれません。

なお、この本は、現状の写真と地図も入れてありますので、史跡を訪ねるガイドブックの役割も果たすと思います。是非、手にとってみて下さい。

織田信長 天下布武の足跡 (別冊太陽)/小和田 哲男
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静岡古城研究会 が創立40周年を迎え、『静岡県の城跡―中世城郭縄張図集成―』(中部・駿河国版) を発刊し、その発刊記念のシンポジウムが静岡で開かれました。会は1972年に発足し、私は1973年に静岡大学に赴任し、すぐ入会しましたので、40年というわけにはいかず、会員歴39年です。

シンポジウムは、第1部として、今回発刊した縄張図集成に収められた主要な城郭についての調査報告、第2部として、会員によって発見された徳願寺山城(仮称)の歴史的性格をめぐっての討論会との2部構成でした。

本当は1日目に徳願寺山城の現地を歩き、その上で、2日目のシンポジウムという順番でしたが、1日目の天候が悪いということで、順番を入れかえて開催されました。徳願寺山城というのは、今川義忠夫人北川殿の菩提寺である徳願寺の裏山、標高361m(比高340m)の徳願寺山の山頂部を中心に城郭遺構がみつかったもので、城の歴史について書かれた史料もなく、また、土地の伝承も全くなかったところです。

そのため、城が使われていた時期についても、(1)南北朝期、(2)永享期、(3)文明期、(4)天文期、(5)永禄期と何期かに意見が分かれ、シンポジウムは盛りあがりました。

実際に現地を歩いてみての私の感想としては、駿府を見おろすいい場所であることから、駿府の今川氏に敵対する勢力の築城と考え、(1)南北朝期の宗良親王らが安倍城に入った時期、(5)武田信玄が2回目に駿府を攻めたときというように、何度か使われたのではないかと思いました。