講演で四国の松山に行ってきました。泊まったホテルがなぜか松山なのに東京第一ホテルで、ホテルの窓から松山城がすぐ前に見えてうれしかったです。

松山城には、これまで何度も登っていますが、いま、「CSPレポート」というセントラル警備保障の会報誌に「名城の防御〔守るという智慧〕」と題する連載をしていて、防御の観点から撮った写真が一枚もなかったので、寒い北風が吹く中、登ってきました。戸無門のところが修復工事中でした。天守の中に、屋根をうまく使った武者隠しがあるのは、これまで気がつかなかった点で、防御といった観点で細部を観察できたと思って降りてきました。

帰りがけに「じゃこてん」のおみやげをもらったので、これを肴にと思い、地酒を探しました。松山市南久米町の後藤酒造(株) の「久米の井」があったので買入し、松山から岡山までの特急の中で味わうことができました。

静岡古城研究会の1月見学会は、静岡県を出て三浦半島の城めぐりでした。衣笠城は学生時代以来なので、50年ぶりです。新井城・三崎城もそれぞれ、20年ぶりとか、30年ぶりという感じですが、新井城は北条早雲(伊勢宗瑞)の最後の城攻めの場所として、いろいろな雑誌にも写真入りで紹介されていますので、現在の状況は大体わかっていました。

もう一つの三崎城の方はあまりそうした情報がなく、どうなっているのか心配な面がありました。20年前、30年前に、すでに、市役所や小学校・中学校ができていて、かなり破壊されてしまった状態だったので、破壊がもっと進んでいるのではないかと懸念していたのですが、あまり進んではいない様子で安心しました。今回、出丸(出曲輪)にあたる部分にはじめて足を伸ばし、遺構として、湊から城に入る道が堀底を使っているのを知り、これは私としては新しい発見でした。

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の放映がはじまり、官兵衛がらみの話をする機会がふえてきました。そのとき、出てくる質問で結構多いのが、ここにあげた「戦国時代に軍師という言葉はあったか」というものです。NHKにもそうした質問が寄せられたとも聞いています。

たしかに、戦国時代の文献には「軍師」とは出てきません。大抵、「軍配者」といういい方をしています。「軍配者」が「軍師」に該当するということになります。ただ、全く、「軍師」が使われていなかったというわけではなく、以前、千草子さんが「『甲陽軍鑑』から読み解く主君と軍師の会話と関係」という文章(『新・歴史群像シリーズ⑥ 戦国軍師列伝』2007年)の中で、『三略』を講義した聞書『三略抄』に、「人ノ大功アル者ヲバ(略)軍師トナシ、上卿トナシ、大将トスル。是皆人臣ノ上デハ極位ゾ」とあるのを紹介しています。