昨日、小牧市で、こまき信長・夢フォーラム2「信長の城づくり」が開催されました。記念講演として、私が「信長にとって小牧山城築城とは何だったか」を話し、そのあと、愛知県埋蔵文化財センターの鈴木正貴氏が清須城の、小牧市教育委員会の小野友記子氏が小牧山城の、岐阜市教育委員会の内堀信雄氏が岐阜城の、滋賀県教育委員会の仲川靖氏が安土城の、それぞれ最新の発掘調査についての報告がありました。
私は、従来いわれてきた稲葉山城攻めの橋頭堡説に加え、犬山城の織田信清に圧力をかけるためという理由もあったのではないかと考え、周辺の小口城などとの関連についても論及しました。
シンポジウムでは、信長による土の城から石の城への転換点、信長の中国趣味、禅宗様の庭づくりなどにもふれ、上洛して足利義輝に謁見したときみた京都の繁栄と、本格的な小牧山城下づくりは関連してくるのではないかと指摘しました。最新の発掘成果によって、これまで既成概念として頭の中にあったものも考え直す必要があることを感じ、勉強になったフォーラムでした。
私は、従来いわれてきた稲葉山城攻めの橋頭堡説に加え、犬山城の織田信清に圧力をかけるためという理由もあったのではないかと考え、周辺の小口城などとの関連についても論及しました。
シンポジウムでは、信長による土の城から石の城への転換点、信長の中国趣味、禅宗様の庭づくりなどにもふれ、上洛して足利義輝に謁見したときみた京都の繁栄と、本格的な小牧山城下づくりは関連してくるのではないかと指摘しました。最新の発掘成果によって、これまで既成概念として頭の中にあったものも考え直す必要があることを感じ、勉強になったフォーラムでした。