長崎で講演があり、少し方向は違うのですが、足をのばして島原に行ってきました。これまで、島津軍と龍造寺軍が戦った沖田畷の戦いのことは『戦国合戦事典』などにも書いてきたのですが、実際に行ったことはありませんでした。まわりが湿地帯で、一本道に誘い出され、そこで龍造寺隆信が討ち死にしています。いまも、その湿地帯の様子がわかるのかと思って訪ねたのですが、ユニクロなどの大型店が並んでいて、畷のおもかげは全くありませんでした。ただ、トラック駐車場の横に龍造寺隆信の供養碑がたてられていて、唯一、古戦場らしいところがありました。

せっかく島原まで来たので、島原城 に久しぶりに寄ってきました。すると、何と、城内の島原城観光復興記念館 で、10月11日から11月16日までの会期で、「深溝本光寺宝物展」が開かれていたのです。深溝松平の松平忠房が島原に移封された際、本光寺も移ってきたのですが、その島原本光寺の古文書などが展示されていました。その中に、天文23年10月24日付の今川義元寺領安堵状があり、徳川家康の黒印状もありました。家康のはともかく、まさか、島原で今川義元文書に接するとは思いもしませんでした。

夜は長崎の地酒「六十餘州」(今里酒造株式会社 )を呑みました。少し甘口ですが、名前が気に入っています。


以前にもこのブログに書きましたが、静岡に静岡県社会人体育文化協会(略称体文協)という団体があります。昨年、30周年の祝賀会をやりました。その団体の佐野つとむ事務局長の依頼を受け、12年かけて1年1城ずつ「現存12天守」を攻める企画を進め、一昨年、無事終了しました。「旅行は続けたい」というので、昨年は高野山と九度山の真田庵を訪ねたのですが、「城に行きたい」という要望が強く、今年は村上市の村上城、新発田市の新発田城、長岡市の栃尾城の三つを案内してきました。
村上城は、本丸下で石垣の修復工事をやっていて、四つ門から、通常は二の丸を通って本丸に行くことになるのですが、通行止めで、二の丸下を迂回して本丸に行く形になります。そのおかげで、ふだん見ることのできない位置から本丸の壮大な石垣を写真に撮ることができました。
新発田城は木造復元された三階櫓をはじめて見ました。平成16年に完成したものです。辰巳櫓も同じときに復元されています。表門と鉄砲櫓は江戸時代の建物で、中に入ることもできます。
もう一つの栃尾城は文字通りの「土の城」で、14歳の若き長尾景虎(上杉謙信)が入った城として有名で、千人溜・二の丸・本丸などがよく残っています。
佐野局長は食通で、体文協の旅行では、ふだん食べられない、その土地の名物料理をコースに入れてくれています。村上市で、造り酒屋大洋酒造株式会社の酒蔵を見学したあと、鮭料理づくしの「新多久」でおいしい料理をいただきました。出てきたお酒が私の好きな「〆張鶴」で、これも村上の地酒としてよく知られています。泊まった瀬波温泉もいい湯でした。
1998年にPHP新書の1冊として書きおろした『明智光秀』がこのたび、PHP文庫に入ることになりました。発売は11月9日とのことです。文庫化にあたり、書名を『明智光秀と本能寺の変』と改題しました。
これは、同書が明智光秀の生涯をただ追っただけでなく、後半のかなりの部分が、本能寺の変、光秀謀反の真相を探ったもので、編集者と相談の上、そのような書名としました。
文庫化ですので、基本的には手を入れてありません。ただ、ここ数年、本能寺の変については、「荒唐無稽な」といってよい新説も含め、かなりの方が新説を提起していますので、それらに応える必要もあり、「文庫版まえがき」を入れました。今年6月に公表された「石谷家文書」にも論及しています。新書をすでにお持ちの方は、書店で立ち読みでも結構ですので、「文庫版まえがき」に目を通していただければと思います。