熊野古道 元来、「くま」とは神の古語、「くまの」とは神聖な地を意味します。
緑深い山々、あたたかな海に迫る辺境の地の聖地。
そこは古くからの人々の憧れの地でした。
熊野古道は、平安後期、熊野三山を目指す「巡礼みち」として発達しました。
熊野三山とは熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社をあわせた呼び名です。
速玉大社は「過去の業」を、那智大社は、「現在の業」を、本宮大社は「未来の御利益」を願うものとされています。
熊野三山は、身分や性別、病気等にこだわらず、何人も受け入れる解放的な神社でした。
次第に伊勢神宮参拝後の熊野詣りが定着していき、文政年間には一年間に、二万余人の往来者で賑わうほどで、「蟻の熊野詣」とよばれるほどブームを巻き起こしています。
しかし、熊野古道は東紀州でも有数の難所と呼ばれる峠道が多く、その中でも最大難所といわれたのが「八鬼山」です。

当時、山賊や狼まで出没したといわれています。
そんな危険に身をさらしてまでも、こんな道を往った人々の思いが偲ばれます。
尾鷲倶楽部より