せんこ(線香)車
せんこ(線香)車
江戸時代の尾鷲林業は、杉と桧の割合が8対2と杉が圧倒的で、桧の割合の多くなるのは幕末期からです。
杉の葉は線香の材料となりましたので、葉を臼で搗いて粉にしたのを杉葉粉(すきばこ)と云い、尾鷲産のものは良質で江戸表(えどおもて)でも評判が良かったようです。
現在は矢浜岡崎町ですが、国道42号線沿いでは矢浜の最も南にあたる小字が樋ノ口です。
江戸時代、ここに土井本家の「せんこ車」があって、盛んに線香の原料にする杉葉粉を作っていました。
せんこ車とは水車を利用した線香工場でしたが、大正15(1926)年に火災が生じて全焼したので廃業となりました。
真砂地区にも「せんこ車」がありましたが、水車をまわすための水の使用に対して、藩に納める租税ではなく、水役金(すいえききん)という使用料を矢浜村に納めました。
この水役金は村固有の収入で、現在で云う「自主財源」として活用されました。
天保4(1833)年の矢浜村の勘定帳では、水車の所有は樋ノ口のものが玉置元右衛門氏、真砂のものが浜中屋見世土井忠兵衛氏となっていますが、幕末になって土井本家の経営に移りました。
この他、林浦座ノ上(中川の電源放水口辺り)にも、土井宗蔵氏の経営するものがありました。
雨が多くて水量の豊富な尾鷲、傾斜のある多くの谷筋のある尾鷲地方ならではの産業でもあったものと思われます。
参考資料 おわせふるさとガイドの会
江戸時代の尾鷲林業は、杉と桧の割合が8対2と杉が圧倒的で、桧の割合の多くなるのは幕末期からです。
杉の葉は線香の材料となりましたので、葉を臼で搗いて粉にしたのを杉葉粉(すきばこ)と云い、尾鷲産のものは良質で江戸表(えどおもて)でも評判が良かったようです。
現在は矢浜岡崎町ですが、国道42号線沿いでは矢浜の最も南にあたる小字が樋ノ口です。
江戸時代、ここに土井本家の「せんこ車」があって、盛んに線香の原料にする杉葉粉を作っていました。
せんこ車とは水車を利用した線香工場でしたが、大正15(1926)年に火災が生じて全焼したので廃業となりました。
真砂地区にも「せんこ車」がありましたが、水車をまわすための水の使用に対して、藩に納める租税ではなく、水役金(すいえききん)という使用料を矢浜村に納めました。
この水役金は村固有の収入で、現在で云う「自主財源」として活用されました。
天保4(1833)年の矢浜村の勘定帳では、水車の所有は樋ノ口のものが玉置元右衛門氏、真砂のものが浜中屋見世土井忠兵衛氏となっていますが、幕末になって土井本家の経営に移りました。
この他、林浦座ノ上(中川の電源放水口辺り)にも、土井宗蔵氏の経営するものがありました。
雨が多くて水量の豊富な尾鷲、傾斜のある多くの谷筋のある尾鷲地方ならではの産業でもあったものと思われます。
参考資料 おわせふるさとガイドの会