こだわりのつっこみ -22ページ目

こだわりのつっこみ

素人が音楽、小説、映画などを自己中心的に語ります。

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 「それで、もし八丁堀が来たら、……お嫁さんのほうの話はどう云っておくの」
 直吉はどきっとして振返った。しかし、その云い方は、まきがここにいる気持ちになったことを示すものだ、ということに気づき、ぱっと顔を明るくしながら、
「そいつはあっしから返辞をしますよ」
 こう答え、そこにいる文吉を抱いて、二度も三度も乱暴なくらい高くさしあげた。
「おとなしく待ってるんだぜ、坊、今日は直がいいお土産を買って来るからな、早く帰って来るからな、いいか、おとなしく待ってるんだぜ」
 まきは泣き笑いのような表情で、直吉のよろこびにあふれる声を聞いていた。
(p325より)

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好きとか慕っていると、言葉にしなくても十分に2人の気持ちが伝わってくる文章です。
今回は、先日紹介した『柳橋物語・むかしも今も』の2編目、むかしも今もを紹介します。

こちらも、柳橋物語と通じる、切ない恋愛と江戸の人の温かさや風景が、人情小噺を聞いているような読みやすさで伝わります。

あらすじはというと、結構『柳橋物語』のように複雑ではあるのですが、
主人公は愚直だけが取り柄の直吉という男。
この直吉は早いうちに両親に死なれ、9歳の時から紀六という指物師の家の世話になります。
もちろん、職人たちの中にあっては直吉は「のろま」と呼ばれたり、ひどい扱いを受けるのですが、そんな彼を紀六の親方奥さんは優しく見守ります。
親方との子である「まき」の子守りとなった直吉は熱心に真剣に、しかし心優しくまきの世話をするのです。

そんな折、清次という容姿端麗で頭のいい若者が紀六に弟子入り、まきも、他の弟子衆も次第に直吉よりもこの清次に関心・興味が湧いていってしまいます。
そんな清次を直吉は苦手にしていました。というのも、他の連中が自分ではなく清次愛情が移ってしまったことへの嫉妬なんていう浅いものではなく、自分の愚鈍さが見抜かれているという恐れ、そして自分に持っていないものをもっていることに対しての敗北感といったほうがいいでしょう。

その後、奥さんと親方が相次いで死んでしまいます。直吉は、清次とまきの後見を頼まれ、しかも稼業を守ってほしいと懇願されます。2人は結婚、直吉はまきへの想いを隠しながらも、親方の言いつけ、そしてこれまで良くしてもらった紀六を守るために献身的に働きます。

しかし、直吉には清次に対する一つの疑念が。親方が死に際し、打ち明けたことなのですが、それは、
それは、清次は紀六の金を持ち出して博打にうつつを抜かしているということ。
実際、注文された品の質は雑になって、弟子たちもどんどん離れていっている有様。

そこで直吉はある行動に出ます。


では、詳しい内容は以下に掲載することにします。
ネタバレを含む個人的な感想です。









柳橋物語・むかしも今も (新潮文庫)/山本 周五郎
¥580





 




~1回目 2009.12.31~

ではあらすじを続けます。

直吉は家を、まきを守るためにも清次に忠告します。
とはいえ清次のばくち打ちは止まることなく、お得意さんだった店やかつての弟子まで金をせがみに行く有様。

ついに弟子の力を借り、清次はしばらくの間、江戸を離れて清い体にすることにします。
まきと、まきのお腹にいた子どもを残して。

そうして文吉という子どもを産んだまきと直吉は、それぞれ日々を過ごしていくのですが、地震が起き、被災をしたまきの目が見えなくなってしまうというさらなる災難が。
これまで別々に暮らしていた直吉とまき、文吉は一緒に暮らすことにし、清次の帰りを待つことにします。
直吉は自分の想いをひた隠しにし、自分を抑えながら。

3人の生活が、貧乏ながらも幸せになって行くのですが、風の噂で、清次はやはり博打をやめることができず、逃げた先の上方でも続けているとのこと。もはやどうしようもない男です、清次。
そんなそんな折、ついに帰ってきました。清次が。しかも若干の誤解をしながら。

当然、一つ屋根の下で自分の妻子と、妻の幼少時を含め自分よりも一緒にいた時間が長い男が暮らしていたのですから、何があってもおかしくないと思った清次の疑心も分かるのですが、直吉は言われもないことで罵られたこと、そして賭博をやめられなかったことを一気に責めます。
初めてといってもいい、直吉が苦手だった清次と向き合っての非難です。

清次はその場を離れますが、直後、直吉はすぐ自分の言ったことでまきと清次の関係が壊れてしまったと後悔するのです。なんて愚直なんだ、直吉。。ショック!

しかし、まきの発言は彼を救うことに。まきはすでに清次に愛想を尽かしており、むしろ直吉がきちんと言ってくれたことに感謝さえするとのこと。しかも、まきは幼い頃から盲目となってしまった今に至るまで献身的に世話をしてくれている直吉の愛に気づいたとも告白。
ようやく、直吉の愛が実り通じたのです。


感想です。

途中、ヒロインが盲目になってしまい、それを献身的な愛情で支える、というのは、先日に読んだ『春琴抄』における佐助と春琴と似たような構造なのですが、佐助のマゾヒスティックな偏愛とは違い、直吉の場合は仮にまきがどのようになろうとも直吉のあふれんばかりの愛情は変わりません。

結末は書いてありませんが、
直吉はまきの告白をしっかり受け止め、今後3人は仲良く暮らしていくことでしょう。もしかすると、結婚するのではないかと思えるような書き方でさえあります。

 「あたしの望みはもう一つしきゃないの、それだけでいいの――聞いて呉れて直さん」
 「あっしにできることでしょうね」
 「今でなくってもいいの、いつか、あんたの気持ちがそうなったら、――もしもそんな気持になるときが来たら、……」
 空地の向うの端で、船から砂を揚げる賑やかなざわめきが聞えだした。直吉は赧くなった顔で、とまどいをしたように、曇り日のどんよりした空をふり仰いだ。
(p360)

ここでは、直吉の気持ちは言葉には表れていません。
しかし、「あんたら、今までこの物語を読んできたんでしょ?そしたら直吉の気持ちはもう言わなくても分かるでしょ?それを直吉に最後まで言わせちゃうっちゃあ野暮ってもんよ」という作者の声が聞えてきそうな感じがします。

また、物語としては戻りますが、3人の同居生活によるよからぬ噂を心配したかつての紀六の弟子たちが、直吉に縁談話を持ってきて、まきと文吉は弟子家族が面倒を見るということが提案された場面でも、直吉とまきの表情や直接的には触れない言葉で、愛情を表現しています。
それが冒頭に紹介した部分なのですが、縁談を断ることを知った時のまきの明るい表情、そしてそれを察した時の直吉の明るい声。

何も言わなくても愛情が伝わるんですねぇ。
この小説はその表現が巧くなされていると思いました。

『柳橋物語』とも当然に通じる部分はありますが、『柳橋物語』はおせんが幸太の愛情を知ったのが遅かったということが悔やまれるのに対し、この『むかしも今も』は2人の明るい結末が、心温まる感じがします。





総合評価:★★★☆
読みやすさ:★★★☆
キャラ:★★★☆
読み返したい度:★★★★
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 「たとえば、ぼくたち地球人とそっくりな生きものだって、どこかの星には、いるんじゃありませんか。」
 もう一どいうと、かんづめは、しぶしぶへんじをしてくれました。
 「いないこともない。」
 そして、すぐに、きっぱりといいました。
 「だが、それは、きみたちに話してはいけないことになっている。」
 「なぜですか。」
 「ほかの星のことは、きみたちがじぶんの力でしるまで、またなくてはいけない。」
(p90より)

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まさかまさかの、童話!!

とはいえ、なめてはいけません。

童話はその性格上、分かりやすく簡潔でなければならないと思うのですか、それだけに読み手にダイレクトに伝わってくると思います。変な比喩とかないし、難しい状況もないし。
とはいえ、子どもの視点から見ると、なるほどくらいにしか思わなくても、この年になってこういった童話を読むと、うわ~すごい事言ってるなって感じで、あの幼少期とは異なった視点から見ることが出来ると思うのです。

そういえば、『星の王子さま』も『葉っぱのフレディ』も『チーズはどこへ消えた』も、大人の童話という体をとりつつ、かなり考えさせられる内容になっていますよね。

今回のこの作品、宇宙からきたかんづめも、子ども向けとはいえSF童話と呼ばれ、哲学めいた言葉ばかりでなく、科学的な好奇心をも刺激してくれます


あらすじはというと…

ある日おつかいを頼まれた「ぼく」が、スーパーに行くと、おかしなかんづめを発見します。さらにそのかんづめは「ぼく」の頭の中に話しかけてきたもんだから、「ぼく」はがぜん興味を持ち、家に持って帰ります。
話を聞くと、どうやらそのかんづめには地球を偵察に来た宇宙人が入っており、かんづめがその宇宙人にとっての休憩所のような場所らしいのです。
そこからかんづめと「ぼく」との奇妙な交流が始まります。「ぼく」が興味があって質問すれば、かんづめはすかしたり体験談などを話しはじめたりといった感じです。




ではでは、以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。








 
宇宙からきたかんづめ (フォア文庫 B)/佐藤 さとる
 ¥567











 




~1回目 2009.12.25~


例えば、かんづめが「ぼく」に語った最初の話。

ある老博士が外見が桃によく似たタイムマシンを作り、600年前に遡りますが、タイムマシンに隙間があったために乗っていた博士は赤ん坊になってしまいます。桃の形のタイムマシンが着いたのは川の上で、どんぶらこどんぶらこ、それを川に洗濯に来ていたおばあさんが…
というもの。

さらには話しかけるプラスチックの犬の話や、発明家の泥棒話カビによく似た頭のいい別の宇宙人の話など、最初は童話っぽいなぁという感は否めないのですが、宇宙の果てがあるのかという「ぼく」の問いにたいしてのかんづめの話から急にすごい展開になってきます。

それは「かんづめにきいた話5 とんがりぼうしのたかいとう」という章なのですが、

あらすじはというと、

ある男が、誰もてっぺんまで上ったことがないというとんがり帽子の様に上に行くにしたがって細くなっていく塔にのぼることにしました。
のぼる直前に塔の番人が小さい金平糖を渡し、これを持っていかないと塔へはのぼらせないというのです。
男は番人に従い、リュックに金平糖を入れて、塔の外周にある螺旋階段をのぼりはじめるのです。
が、全然着かない。それどころか、上に行けども行けども塔が細くなっていくという感触もなく、男は困り、リュックをおろして休憩しようとしたところ…

中には大きな金平糖が。番人からもらったはずの金平糖は小さなものだったのに、いつの間にか大きくなっていたのです。
ためしに金平糖のみリュックに積んで、再び塔に上ると、上るにしたがって金平糖も大きくなっていく。

そこで男は気付いたのです。

金平糖が大きくなったのではなく、自分が小さくなっていっているのだと。
だから、塔を上がれど上がれど細くなっていかないということを。

 「ぜんぶがぜんぶ、すかりかわっていくと、なんにもかわらないのと、おなじことになる。」
 それから、大きなコンペイトウを見て、またつぶやいた。
 「そういうとき、ひとつだけ、かわらないものがあると、はんたいに、それだけ、かわっていくように見えるんだ!」
 (p124-125)


そうして、男は塔のぼりを断念し、下っていくのです。

これをかんづめは、宇宙の果てに行こうとすることの例えとして語ったのですが、なんという真理かおビックリマーク

この表現と例えは、もはや童話の粋を越えたものを感じずにはいられませんでした。

最終的に、かたくなに入ることを拒否されていたかんづめの中を「ぼく」は見ることになります
かんづめに入っていた宇宙人は新しい仕事のため、地球を去るとのこと。
「ぼく」と友人になれた証として特別にかんづめの中を見せてくれたようで、最終的にかんづめは「ぼく」のもとからなくなってしまうのです。

なんとも不思議な終り方であり、これを幼少期に読んでいたら、おそらく、いや確実にスーパーの缶詰コーナーに走ったことでしょうDASH!


きっと、この先、何十年か経って、またこの童話を読むことになったら、今とはまた違う作者の哲学を知ることになるやもしれません。




  
総合評価:★★★★
読みやすさ:★★★★★
キャラ:★★★
読み返したい度:★★★★



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 このひと、ホントのあほだったんだ。私はしみじみと思った。いまどき、プラント・ハンターだなんて聞いたこともない職業を自称し、冒険だのロマンだのと大まじめに語る男がいたなんて、信じられない。そしてそんな男の差し出す婚姻届に、私は名前を書いちゃっただなんて。恥ずかしくてだれにも言えやしない。
 でも、まあいいか。私は捨松と手をつないだまま、くすくすと笑った。捨松と森を歩くのも悪くない。捨松はいつか、植物を夢中になって追うあまり、今日みたいな崖から人知れず転落死してしまうかもしれないし、私は明日にも、車にはねられて死ぬかもしれない。この先どうなるかなんてだれにもわからないんだから、捨松と行けるところまでは一緒に、道もない森のなかを進んでみるのもいいだろう。
(p193より)


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今回は、三浦しをんさんの短編集、きみはポラリスの紹介です。
どの短編にも恋愛が軸ですが、その愛が同性愛であったり、純愛であったり、偏愛であったりと、様々なものなので、飽きずに読めることができます。
基本的に短編は好きなのですが、こういったブログに掲載するにあたって1篇1篇紹介したほうがいいのか、まとめて紹介したらいいのかどうしようかとも思ったのですが、各短編の簡単な感想を述べたいと思います。


ではでは、以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。








 
きみはポラリス/三浦 しをん
¥1,680









 




~1回目 2009.12.24~

では最初に、各短編の自分なりの採点(えらそうに汗)を書いておくことにします。
基本的にどの章も、文章が巧く、すんなり入っていけるのですが、共感できるかとか、起承転結に納得がいったかといった点で、ごくごく個人的な評定です。
10点満点で、寸評も加えてみました。


1.永遠に完成しない二通の手紙・・・2点
  (うーん、なんとなく、同性愛って苦手なんです。えっいきなり!?って感じもあって。まあ、その背景は最後の短編で語られるのですが)

2.裏切らないこと・・・7点
  (旦那さんの突き抜けた愛情が面白かったです。最終的に奥さんも幸せそうで。前園さん夫婦(?)も情景が浮かぶくらい素敵な関係だと思いました。)

3.私たちがしたこと・・・6点
  (俊介の痛いほどの愛情が伝わってきます。罪を2人のものとする朋代の愛情も感じます。しかし、話が痛切なので、悲恋とでも言いましょうか。)

4.夜にあふれるもの・・・3点
  (こちらも同性愛だと思うんですが、なんだかよく分からなかった。)

5.骨片・・・8点
  (決して結ばれることのない愛の形。おそらく舞台は現代よりちょっと昔だと思うのですが、この時代、こういう決心をして愛を貫くことを決めて一人で生きていくというのは大変だっただろうな)

6.ペーパークラフト・・・2点
  (なんか最初の時点で不倫しそうと思ったのですが、それよりなにより、里子が色んな面で自分を正当化しすぎているという感じがして、むしろ反発を覚えました。やられたからやりかえし、それを許すってのもなんか陰湿だと。)

7.森を歩く・・・10点
  (記事の冒頭で紹介したのはこの短編の一節です。なんていうか、捨松とうはねの絶妙な信頼関係というか愛情がすごくほんわか伝わってきます。

8.優雅な生活・・・8点
  (これも二人の愛情がいい感じに綴られていると思います。俊明のロハス生活が無理していないようで実は無理していた、でもそれはさよりに対する精一杯のお返しということが伝わり、温かい気持ちになります)

9.春太の毎日・・・7点
  (異色の、ペット目線(おそらく犬か?)から描かれた飼い主さんへの愛情。江国香織さんの『デューク』に通ずるような愛を感じました。この短編で好きなところはペットである春太が飼い主の麻子の彼氏である米倉を嫉妬深く、しかし面白おかしく観察していること。春太の「米倉」という言い方、凄く好きです)

10.冬の一等星・・・7点
  (幻想的な小編。本来憎まれるはずの文蔵が、なんとも不思議な感じで描かれています。確かに私も車の中で寝るって好きです(主人公のように好んでそこに寝たりはしませんが。))

11.永遠につづく手紙の最初の一文・・・
4点
  (一番最初の「永遠に完成しない二通の手紙」の2人が再登場し、舞台は、岡田が寺島を好きと自覚した高校時代を描いています。話としては面白いんだろうけど…って感じでした。)


この作品全てに共通することですが、文章が非常に簡潔で、それでいて時にうならせる格言をもってきたりするので、「次はどんな話なのだろう?」と気になってどんどん読み進めてしまいます。

特に、感銘を受けたのは、「夜にあふれるもの」の

「狂気と正常の境は常に多数決によってしか引くことができない」(p100)

という文句と、「骨片」の

「私の心の中に嵐が丘はある。荒涼として人の住みにくい大地。冬はすべてが枯れ果て雪に閉ざされるが、短い夏の間には花が咲き乱れ、まるで天国のようになる場所。そこには人間のすべてがある。私はその小さな土地に踏みとどまって、あらゆる移ろいを見つめ続ける覚悟をつけた。…(中略)…私は誇らしく晴れやかな心持ちで、顔を上げていた。私は心を偽らぬ。変化の乏しい居心地の悪い毎日だとしても、私は私のやり方でこの恋情を全うせねばならぬ。」(p138)

という一節です。

様々な恋愛模様と、格言。
短編にしては勿体無いほど、それぞれが完成されている気がしました。
もちろん、上記の評定は、個人的な好き嫌いであり、文章自体や題材自体は興味引かれる人ももちろんいることは分かっています。
それだけに、読む人それぞれに自分の好きな一編があるといってもいいくらい、幅広い恋愛短編集だと思いましたニコニコ



 
総合評価:★★★★
読みやすさ:★★★★
キャラ:★★★★
読み返したい度:★★☆

 
GAME/Perfume
¥2,800
Amazon.co.jp

作詞者:中田ヤスタカ
作曲者:中田ヤスタカ
編曲者:中田ヤスタカ

概要:2008年に発表された、Perfume初のオリジナルアルバム『GAME』内の9曲目。シングル曲ではないものの、コマーシャルのタイアップソングとなり、Perfumeの認知度を広める一要因ともなりました。

色:黒の中のキラキラ。
場面:都会を歩きながら聴く。
展開:前奏-A(サビ)-B-A-間奏-B-A-A-後奏

キーワード:構成が簡単でも、アレンジで飽きさせないのだ!

総論:
 Perfumeはポリリズムから知ったという新参ファンなのですが、『GAME』というアルバムはベストアルバムじゃないのか?と思えるほどに素晴らしい楽曲が多い。
そんな中でこのシークレットシークレットは、作りとしては単純なほうなのだと思います。メロディとサビだけで構成されていて、楽器のソロも、展開部もありません。

 しかし、よく聴くと単純な構成とは裏腹に、その中でやっていることは非常に技巧的で、変化に富むものなのですビックリマークPerfumeを含め、中田ヤスタカさんの楽曲はシンセサイザーや電子音が頻繁に使われているのですが、しかし、これのみにあらず!むしろ電子音と生の楽器の音を効果的に使っているので、まったく無機質な感じに聞こえないのだと思います。

 例えば同じ『GAME』に収録されているシングル曲、「Baby cruising Love」は分かりやすく生のピアノと電子音やヴォコーダー処理された3人の歌声がうまくマッチして、それはそれは感涙物の作品なのです。
 このシークレットシークレットももちろん例外ではなく、ところどころで生の音を入れることでアクセントとなっています。そういったアレンジの妙を楽しんでいます。
そして、「生音と電子音」というアレンジだけではなく、歌手であるPerfumeの3人の声やハモリでも、アレンジや遊び心があるのです。
 ただし、毎回毎回、アレンジを変えればいいってもんじゃないと思うんです。アレンジを変えに変えてしまうことで、「カッコいいんだけどなんだか落ち着かないなぁ」っていう気分が出てきてしまいます。
ところどころ同じアレンジにすることでそれを解消させ、さらにラストサビなんかでチョロっとアレンジを変えられたりするとイチコロになってしまうのです。

 この曲もそういう風な意味で、イチコロになります。



つっこみ:
前奏
 なにが始まるのかなと思えるような不思議な「ランラン」で始まるこの曲。ピアノやハープなどの生音に乗りながら進んでいきますが、それを壊すような電子音が「ブリブリ」っと入ってきます。その電子音につられて機械的な音で透き通った音のメロディから前奏が始まります。
そしてサビにかぶる感じで、ハープが見事に挿入。このハープの音色、彼女たちの7thシングル「love the world」でも効果的に使われるのですが、それはまた別の機会に!
にしても、中田さんはハープが好きなんでしょうかね~。

1番 A(サビ)
 サビでは生音はほとんど聞かれず、声と電子音とで押しています。
Perfumeは当然、3人のメンバーなのですが、実は色んなところでハモってます。しかも「あ~、いいハモリだなぁ」って分かりやすいものもあれば、目を閉じてじっくり聴いてみると「あれ、これハモってない!?」と気付くようなものまであり、「3人」という特性を十分に生かしているんだなと思うのです。これもアレンジの妙でしょうか。
このサビ部分も、ハモリは部分的に入っています。「ほんとうの~」の部分と「ななめ~」の部分。そして同じメロディの「足りないよ~」と「最高~」の部分。

そして、気になるところをあと一つ。それはベースさんです。
「足りないよ~」と歌い出す0:57付近、ベースが前のめって出てきているんです。
これは同様に2番のサビでも聴かれるのですが、これがなんともいえぬ違和感と言うか、気になりますにひひ


1番 B
 サビが終って、Bパートに入る前の小休止のような部分、静かになったなと思ったら、ここでハープやピアノの生音がポロンポロンと奏でます。
 これによって、視覚的に言えば場面が変わったんだなと思えるようなことを音楽でやっているように思います。
 さらには曲が始まった時の様に、また電子音の「ブリブリ」が生音を邪魔して入ってきます。そこで、「あぁ歌が始まるな」ということが、なんとなく分かるようなしくみになっていると思うのです。
 B部分は基本的に電子音とベースが主体となっています。

 ここでまた気になるところが。おそらくのっちの声でしょうか?
 1:40あたりで「せつなーい」と伸ばしているのですが、聴き様によって

  「せつなぁぁぁぁぁぁぁぁあああい」と伸ばしが異常に長いことと、電子処理されているのです。

 もうこれは!!中田さんの遊び心か!?と思えて仕方ありません。

2番 A(サビ)
 ここも基本的には1番でつっこんだように、電子音ブリブリ、部分ハモり、ベースの前のめりは健在。アレンジはほとんど変わっていないような気がします。

2番 B
 さきほどのBにはいる前の小休止が中休止くらいの長さになって、声の面でも冒頭の「ランラン」がプラスされています。

 3:02付近「いつも~」からはドラムが消えます。
 「おやっ」
 と思ったら
 3:08付近「気付かない~」からはバスドラムが現れてドンドンという4分音符刻み。
 「あぁ」
 と少し安心
 3:14サビに入る直前、ふっと今までブリブリしていた電子音が消え、極端に音色が薄くなります。
 「あらっ」
 と急に寂しくなる、と思いきや、
 最後の2連続サビでこれでもかの盛り上がりを見せてくれるのです。

ラスト前 A(サビ)
 この部分で一番気になったのは、前のめりベースが消えたということ。
 
 「あぁ、違和感が消えた」と安心。

ラストサビ A(サビ)
 ここでも前のめりベースが消えています。心地いい。
 そして、ラストのサビで締めるのに追加されたアレンジは、声が大きくなる+ハモリが増えている、ということです。
 さっきまで部分ハモリだったのに、

 「ほんとう~」から、最後の「シークレット」まで絶え間なくハモっています。しかもこのハモりただ増えただけでなく、すごくすごく美しいんです。特に、3:48付近「キラキラで」のところ!
何回も繰り返し聴いてしまいますヘッドフォン



余談:
 Perfumeのダンスは、数えるほどしか見たことがありませんが、それでもそのキレのよさは分かりました。
 総じて、キレのあるダンスには電子音が合うのかもしれません。もちろん、社交ダンスや舞踊などは別にして。
 それは、生の楽器は鳴らすとどうしても余韻とかエコーが響いてしまうというのに対し、電子音は余韻なく鳴らすことができるから、というのが一つの要因になっている気がします。
 だから、Perfumeの中でも比較的生音が響いている「マカロニ」なんかをキレているダンスで表現してしまうと、変な違和感が出てきてしまうんじゃないかなぁとふと感じました。
 この「シークレットシークレット」はそういう意味で生音の良さと、電子音の良さが巧く組み合わさっているのだと思いました。
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 秘密をできるかぎりもたないようにしようというとりきめをつくったのは私だった。私の家庭は母のつくったあのみじめな家とはちがう、私のつくりあげた家庭に、かくすべき恥ずかしいことも、悪いことも、みっともないことも存在しない。だからなんでも言い合おうと、私はくりかえし提案したのだった。けれどここにいる私の夫は、私の母とまるきりおなじに、自分の抱えるかくすべきものをわざわざ披露しようとしている。彼が守ろうとしているのは秘密をもたないという私たちのルールではない。自分自身だ。
(p135より)


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いやー、なんかすごい狂信的な人ですね~。
今回は、角田光代さんの長編小説、空中庭園を紹介します。
ストーリー自体はある一つの家庭を中心に組み立てているのですが、章ごとで視点を変えています。
1章は娘、2章は父親…のように。

 あらすじは、
京橋家という、一見どこにでもあるような家庭があるのですが、他の家庭とは大きく違うことがあります。
それは、

何事もつつみ隠さない。

ということ。

しかし、本当は、家族一人一人が少しずつ(しかも結構普通の家庭なら崩壊しかねないような)秘密を抱えています。しかし、家の中で家族である限りは隠していないという体で家族は成り立っていきます。
個々人の秘密が見え隠れしながら、それでも家族としてやっていくといういびつな家庭を描いているのです。


ではでは、以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。








空中庭園 (文春文庫)/角田 光代
¥530
















~1回目 2009.12.9~

まず何よりも、全6章を一人一人の視点で描くという方法がとても面白いと思いました。
1章は娘、2章は父親、3章は母親、4章は母の母、5章弟の家庭教師、6章は弟です。
こういった作品は何度か目にしたことはあるのですが、その中でもこの作品は、個々の性格を表現しながらも、違和感なく一つにまとめるところはまとめていて、しっかりしています。

そして、それぞれの視点にすることで、この家庭のいびつさがより明確になるのです。
各章で、各々秘密や行動が露になっているのですから。

家族の前提としては
娘はホテル野猿で仕込まれた。父親と母親は元ヤンだった。

でも、その前提はうそで、実は、そのほとんどが母親のつくりだした「理想の」家庭なのです。
つまり、母親は中学・高校時代にいじめを受けており、母(つまり祖母)の不義理な行動により母を嫌悪するようになる。そして、母を反面教師として自分の理想の家庭を早くつくるために、当時大学生の父親と計画性を持って関係を持ち
(父親はそれを知りませんが)、みごと妊娠。そのまま結婚の運びとなります。
しかし、父親は不倫三昧。特に驚きなのが不倫相手の一人が、弟の家庭教師として京橋家にやってくるのです。父親にとっては寝耳に水だったのですが。
弟も何か達観しているところがあって、母親が作った家庭の欺瞞を感じています。
姉も姉で売春寸前までいったりして、なにやら厭世的な面をうかがわせます。

ね~、かなりいびつでしょうはてなマーク
それもこれも母親のつくる理想的な家庭像がかなり狂信的であり、無理があるのです。
そこが凄く面白い。

しかし、その狂信も変わるんじゃないか?と思われるふしもあります。
それが最後の章、「光の、闇の」の中、祖母が病に倒れ入院し、おじさん夫婦が見舞いにくるのですが、その帰り道、おじさんは、母親と祖母が仲がよかったんじゃないかという言葉をかけるのです。

「仲、いいじゃないか、ずっと昔から」
…(中略)…
「今でも口を開けばおまえの話だよ。おまえがどこそこの菓子を買ってきただの、花の苗を持ってきてくれただの……まああの人は昔からそうだけど」
「えっ」
「そんなにしょっちゅう会って、なんでもしゃべりあってるなら、隠しごとってのがなんなのか、聞いてなくても見当くらいつくだろ」
「え……私……」
(p272)

ここで母親は動揺し、何も言えなくなります。
母親は、自分の母親とのことを反芻していくことでしょう。様々な誤解も解けていくんじゃないかな。そうしたら母親が死に物狂いで守ろうとした家庭も、何かしら変わっていくんじゃないかなと思うのです。


しかししかし、個人的にはこの最終章は別にいらなかったんじゃないかなと思います。
この件以外でも、この最終章はなんだかまとまっているようでまとまっていないようで、、、という感じなのです。
むしろ、最終章がなく、第5章「鍵つきドア」の気味の悪い誕生日で終らせていたら!!
その絶望感と気色悪さが、その「鍵つきドア」のラスト、家庭教師の「嘔吐」ですべて表現できてしまっていたのに~。

 ふふふ、あははは、えーやだあ、ふふふふ、ばっかねえ、きゃははは、たよりなく浮かび上がるあぶくみたいに、笑い声がトイレのドアから侵入してくる。口からしたたり落ちた唾液が、便器の水に波紋をつくるのを眺めながら、あたしはそれを聞いている。(p225より)

これ、家庭教師の先生が、京橋家による誕生会にて酒を呑みすぎてトイレに駆け込んで嘔吐した後の部分なのですが、すごくこの文章は重い。
この5章における家庭教師の嘔吐は、唯一、血縁ではなく他人から見た京橋家の異様さ、気味の悪さを比喩しているものと思いました
なので、それをが如実に表された部分を活かしたままで終ってほしかったなぁ~という思いを強く持つのです。

それに、なんだか無理があるんじゃないか?と思えるような部分も多かった気がします。

 (1)父親がアホすぎるということ。ほんとにこんな父親いるのかなぁ?いるとしたらちょっとした記憶障害じゃないか?

 (2)母親は父親と家庭教師の愛人との関係を、父親の行動を通して確信することになるのですが、そのあと父と母はどのようにして決着をつけたのかが分からないということ。家庭を守るんなら、バレた時点で母親は家庭教師を辞めさせると思うんですが。しかも以前浮気がばれたときからセックスレスになったくらいなんですから、そのあと何もありませんでした~なんてことはないと思うんですが。

 (3)弟は、童貞ではないということを唯一といってもいい誇りとして、いじめに耐えているということ。童貞なのかそうじゃないのかってのはそんなに大事なのかなぁ?少なくとも自分のまわりでは中学・高校時代に童貞かそうじゃないのか気にしている人はいなかった。もちろん、卒業している人は「それなり」に敬意の目で見られてはいましたが(笑)。

アホ親父に、イヤに大人びた弟。
なんだか男の描き方が、男の自分としてはリアルに感じられませんでした。。残念。

しかし、文章のひきつける力、言葉の使い方、なんともいえない家庭という設定、面白かったです。




総合評価:★★
読みやすさ:★★★★
キャラ:★★★
読み返したい度:★★