『空中庭園』/角田光代 | こだわりのつっこみ

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 秘密をできるかぎりもたないようにしようというとりきめをつくったのは私だった。私の家庭は母のつくったあのみじめな家とはちがう、私のつくりあげた家庭に、かくすべき恥ずかしいことも、悪いことも、みっともないことも存在しない。だからなんでも言い合おうと、私はくりかえし提案したのだった。けれどここにいる私の夫は、私の母とまるきりおなじに、自分の抱えるかくすべきものをわざわざ披露しようとしている。彼が守ろうとしているのは秘密をもたないという私たちのルールではない。自分自身だ。
(p135より)


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いやー、なんかすごい狂信的な人ですね~。
今回は、角田光代さんの長編小説、空中庭園を紹介します。
ストーリー自体はある一つの家庭を中心に組み立てているのですが、章ごとで視点を変えています。
1章は娘、2章は父親…のように。

 あらすじは、
京橋家という、一見どこにでもあるような家庭があるのですが、他の家庭とは大きく違うことがあります。
それは、

何事もつつみ隠さない。

ということ。

しかし、本当は、家族一人一人が少しずつ(しかも結構普通の家庭なら崩壊しかねないような)秘密を抱えています。しかし、家の中で家族である限りは隠していないという体で家族は成り立っていきます。
個々人の秘密が見え隠れしながら、それでも家族としてやっていくといういびつな家庭を描いているのです。


ではでは、以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。








空中庭園 (文春文庫)/角田 光代
¥530
















~1回目 2009.12.9~

まず何よりも、全6章を一人一人の視点で描くという方法がとても面白いと思いました。
1章は娘、2章は父親、3章は母親、4章は母の母、5章弟の家庭教師、6章は弟です。
こういった作品は何度か目にしたことはあるのですが、その中でもこの作品は、個々の性格を表現しながらも、違和感なく一つにまとめるところはまとめていて、しっかりしています。

そして、それぞれの視点にすることで、この家庭のいびつさがより明確になるのです。
各章で、各々秘密や行動が露になっているのですから。

家族の前提としては
娘はホテル野猿で仕込まれた。父親と母親は元ヤンだった。

でも、その前提はうそで、実は、そのほとんどが母親のつくりだした「理想の」家庭なのです。
つまり、母親は中学・高校時代にいじめを受けており、母(つまり祖母)の不義理な行動により母を嫌悪するようになる。そして、母を反面教師として自分の理想の家庭を早くつくるために、当時大学生の父親と計画性を持って関係を持ち
(父親はそれを知りませんが)、みごと妊娠。そのまま結婚の運びとなります。
しかし、父親は不倫三昧。特に驚きなのが不倫相手の一人が、弟の家庭教師として京橋家にやってくるのです。父親にとっては寝耳に水だったのですが。
弟も何か達観しているところがあって、母親が作った家庭の欺瞞を感じています。
姉も姉で売春寸前までいったりして、なにやら厭世的な面をうかがわせます。

ね~、かなりいびつでしょうはてなマーク
それもこれも母親のつくる理想的な家庭像がかなり狂信的であり、無理があるのです。
そこが凄く面白い。

しかし、その狂信も変わるんじゃないか?と思われるふしもあります。
それが最後の章、「光の、闇の」の中、祖母が病に倒れ入院し、おじさん夫婦が見舞いにくるのですが、その帰り道、おじさんは、母親と祖母が仲がよかったんじゃないかという言葉をかけるのです。

「仲、いいじゃないか、ずっと昔から」
…(中略)…
「今でも口を開けばおまえの話だよ。おまえがどこそこの菓子を買ってきただの、花の苗を持ってきてくれただの……まああの人は昔からそうだけど」
「えっ」
「そんなにしょっちゅう会って、なんでもしゃべりあってるなら、隠しごとってのがなんなのか、聞いてなくても見当くらいつくだろ」
「え……私……」
(p272)

ここで母親は動揺し、何も言えなくなります。
母親は、自分の母親とのことを反芻していくことでしょう。様々な誤解も解けていくんじゃないかな。そうしたら母親が死に物狂いで守ろうとした家庭も、何かしら変わっていくんじゃないかなと思うのです。


しかししかし、個人的にはこの最終章は別にいらなかったんじゃないかなと思います。
この件以外でも、この最終章はなんだかまとまっているようでまとまっていないようで、、、という感じなのです。
むしろ、最終章がなく、第5章「鍵つきドア」の気味の悪い誕生日で終らせていたら!!
その絶望感と気色悪さが、その「鍵つきドア」のラスト、家庭教師の「嘔吐」ですべて表現できてしまっていたのに~。

 ふふふ、あははは、えーやだあ、ふふふふ、ばっかねえ、きゃははは、たよりなく浮かび上がるあぶくみたいに、笑い声がトイレのドアから侵入してくる。口からしたたり落ちた唾液が、便器の水に波紋をつくるのを眺めながら、あたしはそれを聞いている。(p225より)

これ、家庭教師の先生が、京橋家による誕生会にて酒を呑みすぎてトイレに駆け込んで嘔吐した後の部分なのですが、すごくこの文章は重い。
この5章における家庭教師の嘔吐は、唯一、血縁ではなく他人から見た京橋家の異様さ、気味の悪さを比喩しているものと思いました
なので、それをが如実に表された部分を活かしたままで終ってほしかったなぁ~という思いを強く持つのです。

それに、なんだか無理があるんじゃないか?と思えるような部分も多かった気がします。

 (1)父親がアホすぎるということ。ほんとにこんな父親いるのかなぁ?いるとしたらちょっとした記憶障害じゃないか?

 (2)母親は父親と家庭教師の愛人との関係を、父親の行動を通して確信することになるのですが、そのあと父と母はどのようにして決着をつけたのかが分からないということ。家庭を守るんなら、バレた時点で母親は家庭教師を辞めさせると思うんですが。しかも以前浮気がばれたときからセックスレスになったくらいなんですから、そのあと何もありませんでした~なんてことはないと思うんですが。

 (3)弟は、童貞ではないということを唯一といってもいい誇りとして、いじめに耐えているということ。童貞なのかそうじゃないのかってのはそんなに大事なのかなぁ?少なくとも自分のまわりでは中学・高校時代に童貞かそうじゃないのか気にしている人はいなかった。もちろん、卒業している人は「それなり」に敬意の目で見られてはいましたが(笑)。

アホ親父に、イヤに大人びた弟。
なんだか男の描き方が、男の自分としてはリアルに感じられませんでした。。残念。

しかし、文章のひきつける力、言葉の使い方、なんともいえない家庭という設定、面白かったです。




総合評価:★★
読みやすさ:★★★★
キャラ:★★★
読み返したい度:★★