「……あたしだってもうながいことないわ、助けようというんじゃないの、こうして抱いて、一緒に死んであげるんだわ、一人で死なすのは可哀そうだもの」
「おまえは俺が助ける、俺が助けてみせる、おせんちゃん、おまえだけはおれが死なせやあしないよ」彼はそう云って、刺子半纏の上から水を掛けると、おせんのそばへ跼んで彼女の目を覗いた。「……おまえにあ、ずいぶん厭な思いをさせたな、済まなかった。堪忍して呉んなおせんちゃん」
(p84)
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時代物を読んでみました。
選んだのは、読みやすい山本周五郎。作品は
柳橋物語。『柳橋物語・むかしも今も』という中編2作を所収してある新潮文庫の中の1つです。
舞台は江戸時代ですが下町物といって、難しい政治の話や、有名な人物は出てきません。
なので、雰囲気は落語や時代劇のような感じで、非常に馴染みやすいと思います。
あらすじです。
主人公は江戸に源六という祖父と2人で住むおせん。
ある日、おせんは庄吉という幼馴染に突然呼び出されます。
そこで告げられたのは、庄吉は明日から上方に行くということ、そしておせんのことが好きだということと、帰ってくるまで待っていて欲しいということ。
おせんは動揺しますが「待っているわ」と返事。
そしてもう一言、庄吉は幸太が言い寄ってきても相手にしないで欲しいとおせんに頼んでから江戸を去ります。
幸太とは庄吉と同じく杉田屋という大工を稼業としている家に一緒に住んでいる、ライバルであり、同じくおせんとも幼馴染の仲なのです。
庄吉が江戸を去った後、案の定とでも言いましょうか、幸太は事あるごとにおせんに言い寄ってきます。
しかし、おせんは庄吉の言いつけどおり幸太の言い寄りに拒否し、ひたすら庄吉の帰りを待つのです。
しかし、その待つ間、さまざまなことが起こります。
おせんの身にも、幸太の身にも、庄吉の身にも。
おせんはその非業で不運な運命と向き合いながら、本当の愛を知っていくという内容です。
詳しい内容は以下に掲載することにします。
では、以下はネタバレを含む個人的な感想です。
~1回目 2009.12.8~
まずは、あらすじを結末まで紹介することにします。
おせんは庄吉の言いつけを守って、幸太との縁談話や度重なる幸太の行為を無下にして拒否反応を示します。
そんな折、おせんの祖父である源六が卒中で病床に伏せ、さらに江戸の町で火事が発生。
ここで幸太がおせんの前に現れ、火事から逃げる手助けをするのです。
冒頭の本文は、まさにこの火事のクライマックスであり、この後幸太は自分がおせんをいかに愛していたか、そしておせんからそれを拒否されていかに苦しかったかをおせんに告げ、おせんをかばって亡くなってしまいます。
火事が一段落し、岩陰で泣いていた誰の子とも知らぬ赤子を抱きながら、茫然自失となった身寄りのなくなったおせん。
おせんは、火事の恐怖や目撃した惨劇のショックで記憶喪失になっていました。
しかし、おせんはまったくツキに見放されたわけではなく、江戸の温かい人情を受けながら、あの火事の日に抱き上げた赤子を「幸太郎」と名づけ、自分の子供として育てることにします(ただし、これは幸太が好きだったから、そう名付けたということではなく、記憶喪失の中「幸太」という名を口にしていたことからそう決まったのです)。
おせんは徐々に記憶も回復していきますが、その後も起こる様々な不幸にも耐えていかねばなりませんでした。
そんな折、庄吉が上方から江戸に戻っているとのこと。
おせんは期待を弾ませ、庄吉と会うのですが、彼は、おせんが育てている赤子が幸太との子供で、自分との約束を破ったではないかとおせんをなじります。
その後も誤解が解けることなく、庄吉はなんと他の女性と結婚してしまうのです。
そのショックでおせんは再びあの記憶喪失状態に戻ってしまいます。
しかし、おせんの記憶喪失を蘇らせたのは、庄吉ではなく、幸太。
幸太を失った現場でおせんは、幸太がいかに無償の愛を自分に捧げてくれていたか、自分が拒否したことがいかに幸太にとって辛かったかを考えるのです。
そして、おせんは火事の現場で出会った幸太郎を、自分と幸太との子と思うようにし、幸太の愛をかみ締めながら精一杯生きていくことにするのです。
さて、感想です。
中編でありながら、おせんの人生はかなり波乱万丈に描かれます。
しかし、そのような人生であってもくじけずに、人情に触れながら大人の女性へと成長していく姿を追っていくと、読みゆく中でおせんになりきってしまいます。
思えば、庄吉との約束は、若年期にありがちな「恋に恋する」状態といっても差支えがなく、おせん自身が後に回想しているように、庄吉への想いはもともと同情的な部分から生まれたもので、その分冷静に自分を本当に愛してくれているのは誰か?ということが分からなかったのでしょう。
しかし、幼さゆえにそれを責めるのは酷というもので、おせんはそれに見合うだけの不幸を背負ってきたのです。
これを読むと、確かに最初は幸太に対して嫌なイメージがありました。しかし、読みすすめるうち幸太との方が幸せになるのではないかと思うのです。
さらに自分にとって決定的だったのは、庄吉がとんでもなく冷たい男だったということ。
幸太郎を、幸太の子だと思った庄吉は、おせんに対して「子供捨てて来い」と無理難題を押し付けます。
そんなの無理ですよ

むしろ、「長い間苦労をかけたな。その子が誰の子でも俺には構わん。一生をかけておせんと幸太郎を守っていくよ」くらいは言って欲しいものです。
その点、おせんは、心の中の幸太、一人息子となった幸太郎、そして江戸の温かい人情に囲まれて、金持ちでなくとも幸せな生活を送ったことでしょう。
祖父、源六が生前残した重みのある言葉
「金があって好き勝手な暮しができたとしても、それで仕合せとは決まらないものだ、人間はどっちにしても苦労するようにできているんだから」(p30より)
これがまさにおせんの一生を、翻って人間の一生を現しているのだと思いました。
総合評価:★★★
読みやすさ:★★★☆
キャラ:★★★☆
読み返したい度:★★★★
