こだわりのつっこみ -19ページ目

こだわりのつっこみ

素人が音楽、小説、映画などを自己中心的に語ります。

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 「ちょうどいいわ。引っ越し祝いあげる。」
 そして、くるくる紙に包まれたもうひとつの包みを差し出した。広げてみると、バナナの絵が描いてあるきれいなグラスが出てきた。
 「それで、ジュースを飲んでね。」
 えり子さんが言った。
 「バナナジュースを飲むと、いいかもしれない。」
 雄一は真顔で言った。
 「わー、嬉しい。」
 私は、泣きそうになりながら言った。
 口には出せずに、そう思った。
 大切な大切なコップ。
(p45より)

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さて、世界的なベストセラーのキッチンです。

続編も所収されている文庫の中の一編ですが、短いながらも瑞々しい文体ですぐ読めてしまいますニコニコ

有名どころですが、一応あらすじを話しますと…

唯一の肉親である祖母を亡くしたみかげという大学生の女の子は、一人取り残され広すぎる家で、ある種の放心状態とも言える状況で日々をすごしていました。大好きな台所の中で。
そんな折、同じ大学生の田辺雄一という青年が(祖母が通っていた花屋の店員、ただそれだけの関係だったのだが・・・)、家を尋ねてきて、しばらく自分の家に暮らしたらどうかと提案します。

みかげと雄一は顔見知り程度の関係だったんですが、みかげは雄一の家に上がり込み、そのまま同居することになります。
雄一は母親(えり子さん)と二人暮し。この母親は実は父親!!ニューハーフなのです。
そして、彼女は夜のお仕事をしており、そんな色気もあり自分の好きな道を楽しんでいる姿を見て、みかげは憧れのような、本当の母親のような感情を抱きます。

そんな奇妙な同居生活からはじまる、みかげの新たなる出発を描いた作品とでもいえましょうか。



 では以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。










キッチン (角川文庫)/吉本 ばなな
¥420









~1回目 2010.2.16~

続編も所収されているので、一緒に掲載しようと思ったのですが、この作品はこの作品で完結していると思うので、独立して掲載します。

さて、あらすじの続き、ラストまでですが、

次第に(というかいきなりですが)、雄一えり子さんとの3人の生活にみかげは慣れていきますが、しかし3人の中ではどうであれ、他人からみるとこの関係は異様なものに移ってしまう。

もともとかかわりがほぼなかった、みかげと雄一・えり子。
それがいきなり一緒に暮らしているってんだから、もちろん雄一の彼女には誤解をされて別れたしあせる、みかげ自身もいつまでもこの安寧のうちに暮らしてはいけないと思い、家を出ようかなと思い始めます。

そんな中みかげが見た夢。

雄一が淡々とみかげに語りかけるのです。
「利用してくれよ。あせるな。」(p54)
と。

その夢うつつの状態、起きあがりキッチンへと水を飲みに向かうと雄一が。
しかも、なんと、雄一もみかげがついさっき見た夢と同じ夢を見ていたのでした。
奇跡というか、異常というか。しかし、この夢の中にこそ、かげの気持ちと雄一の気持ちが現れていたのかなとも思える部分です目

その後も、いつかはこの家を出て行かなければならない、とも思いつつもみかげは、いつまでもここにはいられないという気持ちもしっかり持ちます。
しかし、前までとは異なり世間体を気にしてとか逃げからではなく、

「もっともっと大きくなり、いろんなことがあって、何度も底まで沈み込む。何度も苦しみ何度でもカムバックする。負けはしない。力は抜かない。」(p61-62)

という力強い気持ちで分かるように、成長の証としてではないでしょうか。



さて、感想ですが、若干淡々としすぎている感じはしましたガーンそれは展開が早くて読みやすいという長所でもあるのですが、みかげ、雄一、えり子くらいしか登場人物は出てこないので、もうちょっと3人の関係を眺めていたかったなぁと思うのです。

そうしたら、みかげが家を出て行く、負けない。という力強い気持ちがより共感できたんじゃないかなぁかお

しかし、この作品で一番印象に残った部分は、祖母とすごした家を引き払い、本格的にえり子宅にお世話になるという場面
祖母と過ごした家は、自分が住んでいたとは思えぬほど他人の家のようでした。
その時点で、みかげはいよいよ気づくのです。

ついこの間まであったものが、ものすごい勢いで去っていたことを。
それを失うことは、心から悲しいものだということを。
そして、二度とその感覚はもう味わうことができないのだということを。

ここでみかげはようやく自身のおかれた場所を見つけることが出来たのでしょう。

さらに追い討ちをかけるように、引き払った後、バスでえり子宅に向かう途中、おばあさんと、孫の会話を耳にします。

おばあさんが孫に優しくかけるその声と優しく見つめるそのまなざし。

もう二度とないのです。そう自覚したみかげは、思わず涙を落としてしまいバスから慌てて下車、文字通りわんわん泣くのです。

ようやくその状況を知ったみかげが、いわく、生まれて初めてというほどの泣き。
前述した、みかげと雄一との夢のリンクはこの出来事の直後に起こります。

雄一とえり子の住む家に居候することがなければ、みかげが祖母が(つまり肉親と呼べる人が)いなくなってしまった、ということに気づき、受け入れるまで、もっともっと時間がかかったことでしょう。
現に、雄一が居候話をもちかけにみかげの家に訪れる前は、廃人寸前だったのですから。

そう思うと、最後の場面。すごくぐっと来ます。みかげとえり子さんとの会話。

 「みかげの素直な心が、とても好きよ。きっと、あなたを育てたおばあちゃんもすてきな人だったのね。」
 とヒズ・マザーは言った。
 「自慢の祖母でした。」
 私は笑い、
 「いいわねえ。」
 と彼女が背中で笑った。(p61)

自慢の祖母と言えるようになったこと
みかげが現実を受け入れ強い気持ちで生きることができるようになったことがよく分かると思いますニコニコ


大事件があるわけでもなく、大それた結末があるわけでもありませんが、
みかげに感情を移入し、その結末にほっとできた小品です。


 
総合評価:★★
読みやすさ:★★★★★
キャラ:★★★
読み返したい度:★★★
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 死にたい、いっそ、死にたい、もう取返しがつかないんだ、どんな事をしても、何をしても、駄目になるだけなんだ、恥の上塗りをするだけなんだ、自転車で青葉の滝など、自分には望むべくも無いんだ、ただけがらわしい罪にあさましい罪が重なり、苦悩が増大し強烈になるだけなんだ、死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ、などと思いつめても、やっぱり、アパートと薬屋の間を半狂乱の姿で往復しているばかりなのでした。
 いくら仕事をしても、薬の使用量もしたがってふえているので、薬代の借りがおそろしいほどの額にのぼり、奥さんは、自分の顔を見ると涙を浮かべ、自分も涙を流しました。
 地獄。
(p129より)

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ものすごくなんともいえない苦しい読後感。

見事な筆致で、読む側を圧倒的に引き込みます。

今回は、人間失格です。

人間失格は、夏目漱石の『こころ』と並んで、文学作品のロングセラーの双璧となっているとのことですが、その理由、分かる気がします。

『こころ』は高校の現代文の教科書にも掲載されているので、なんとなくその延長で買ってみたというケースがあると思います。私も例外ではありません。
もちろん、こちらも傑作ではあるとは思いますが、最後の乃木将軍の殉死をきっかけに先生が命を絶つという、現代人には分かりにくいところで終わるのに対し、この『人間失格』の方は、現代人にも十分通じる心の闇や無常感を伝えている作品だと思いました。

わずか300円で、こんなにも人間の感情を揺さぶる作品を手に出来るとは、幸せなことです。

近く、映画化作品が公開される様ですが、読んでる最中は全然知らなかったので、なんともタイミングがいいです(笑)
とはいえ映画は恐らく見に行きませんけどねあせる
失礼ながら、生田斗真が葉蔵だとは思えないし(伊勢谷友介の堀木はなんとなく分かる気がしますが)、そもそもこういった想像力を働かせて自分なりの物語を解釈していく文学作品を映画化すること自体あまり好ましいものではないと思います。

それだけ、この作品は、文字だけであっても十分に読者を引き込む力を持っている。


ほんのあらすじを紹介すると、

東北地方に生まれた主人公である葉蔵は、物心つくころには自分が人間生活に対して順応しきれないということを感じていました。そこで彼が採った行動は「道化」を演じるということ。

それは、大学時代に上京してからも変わらないのですが、堀木という悪友と知己になり、女・酒・煙草・左翼運動などを教えられることになり、彼の人生がここからより厭世的な方向へ。

その「道化」と本心のギャップは多くの女性を惹きつけ、葉蔵はある女性とは心中(彼だけは未遂に終わりますが)、ある女性とは同棲、さらに結婚(その相手によって信頼という今まで持てなかった気持ちを感じるのですが)を経験します。
しかし、ある事件をきっかけに、絶望のうちに葉蔵は生き続ける気力はないが、死ぬことも出来ないという「人間失格」状態におかれることになるのです。



 では以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。











人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))/太宰 治
¥300











~1回目 2010.2.12~

太宰治の最後の完成された作品としても有名なこの作品。
その後も「グッド・バイ」を書いていることから(このタイトルも意味深ですが)、完全な自伝や遺書としては読みきれない部分もあるかと思います。
が、彼が葉蔵を通して書きたかった自分という存在も凝縮されている作品だと思いました。


まず最初に言っておきたいことは、父の存在という抑圧と、少年時代に女中に犯されたという幼児虐待的な体験
これにより、葉蔵の性格が歪んでしまった(一般社会の望む性格という意味において)、ということは少なからずあるでしょう。
外国ではこの作品を幼児虐待的観点から扱う傾向もあるみたいなので、この指摘は的外れというわけでもないんだろうな。


さて、あらすじをもう少し詳しく語りながら、感想を書きたいと思います。


人間を極度に恐れながらも、愛されたいという思いゆえ、「道化」を演じてきた少年期の葉蔵を見抜いたのは同級生の竹一

彼は葉蔵に
「惚れられるという予言と、偉い絵画きになるという予言」(p38)
を残します。

絵画きになるという予言は当たらずとも遠からず、しがない漫画家となるのですが、女に惚れられるという予言は当たり、葉蔵は意図していなくても女には困らないという生活を東京にて送ることになるのです。


東京では堀木という一人の青年から、女や煙草、酒、左翼運動を教わります。左翼運動や煙草はともかくとして、葉蔵は女と酒によりどんどん狂ったように落ちていくのです。
まあ、もともと生に執着しているという素振りはありませんでしたが…ガーン


まずはツネ子
服役囚を旦那にもつ女ですが、生まれて初めて貧乏くさいこの女性に積極的な恋心を抱き、そして2人で心中を決め込みます。

しかし、死んだのはツネ子だけ。

葉蔵は助かり、自殺幇助に問われるも不起訴処分、しかし実家からはこの件で縁を切られたような状態になってしまいます。つまりこれ以降は金がいつもないという状態。


次に出会ったのは、シゲ子という幼子を持つ甲州生まれの女性、シヅ子
この女性と幼女のくだり、凄くこの小説では重要な意味を持っている気がします。

シゲ子には「お父ちゃん」と呼ばれ、あたかも親子のような関係を持っていたものの(少なくとも葉蔵はそう思っていた)、シゲ子に不意に「本当のお父ちゃんがほしい」と言われてしまう。

それ以来、葉蔵は他の女性と同じようにおびえてしまうことになります。

そして、葉蔵が聞いた、シヅ子とシゲ子のなんでもない会話。

むしろ男であるなら微笑を浮かべ、愛情を感じるであろうその会話を聞いた葉蔵は、自分という馬鹿者が2人の間をめちゃくちゃにしてしまう、と思い込んで、その場を去り、それ以来彼女たちとの関係を絶つのです。
確かに、何をおびえる事があるのだろうはてなマークそのまま3人で幸せになればいいじゃないかビックリマークと思える場面です。
しかし、人間の「おびえ」は大なり小なりそういった、「言葉にできない思い込み」から始まっていることも真理であるように思えてしまいます。相手は全然おびえさせる意図はなかったとしても、本人は思い込んでしまうというケースってよくあるし。

もちろん葉蔵は極端ですがショック!


さらに、ヨシ子
この女性と葉蔵は結婚することになります。

「結婚して春になったら二人で自転車で青葉の滝を見に行こう」(p105)

と思えるような、読んでいるこちら側も「あぁ。葉蔵、いろいろあったけど良かったな。幸せになってほしいな」と素直に2人を祝福したくなる。

しかし、その愛も脆い。ほんの一瞬で絶望になってしまう。

ある時、ヨシ子が、出入のあった商人に犯されるのです。
もちろん、ヨシ子は喜んで受け入れたわけではありませんが、葉蔵は一切の期待や喜びを失い、恐怖が襲います
怒りではなく恐怖。

ヨシ子が自分に抱いてくれていた無上の信頼を汚され、人を信じる能力がなくなった。
冒頭で紹介した本文は、この事件のあとのことです。


女のいないところを欲し、さらに酒に逃げ、挙句薬(モルヒネ)に逃げる。

なんという絶望。

もはや何ものからも逃げられず、かといって死ぬことも出来なくなった(いや、死ぬという気力さえ残っていないのだと思います)葉蔵は、堀木に連れられ、精神病院に送り込まれます。

そこで葉蔵が思ったこと。
自分は完全に人間でなくなってしまった、つまり

「人間、失格」(p132)

のち、病院を退院した葉蔵は、生まれ育った場所と程近いある地方でテツという女性と残りの余生を、ただ幸せでもない不幸でもない、まさに死ぬまでの「余」った時間を「生」きるということを続けていくのです。



これを読んで、葉蔵は人間失格に値する人間なのだろうかどうか、よく考えます。
答えは当然見つからず、むしろ葉蔵は私と何がどう違うのだろう?
もちろん、心中しようとか、人間に絶望を感じたり、薬や酒に逃げ溺れることはしませんし、思ったこともありません。
しかし、だからといって葉蔵とまったく違うとも思えません。

葉蔵は、人間社会のある種の欺瞞さに対してのセンサーが鋭かった、それゆえ一人で苦悩をしたのではないか、という気がするのです。

葉蔵の性格は生まれつきではなく、シゲ子やヨシ子を通して、なんらか人間社会に(不安は恐怖はまったくなくならないにしても)順応していく機会はあった。しかし、それを人間が崩していった。

そもそも、その性格を作り上げたのは故郷での体験(前述した抑圧と虐待)だと思うので。

そのことに対し、葉蔵は他人ではなく、むしろ自分を責め、自分の身を滅ぼしていった。

となると、一般人と狂人の境目とは一体なんなんだろう?という結論しかでません、今の私の頭では。

特に、現代という複雑怪奇な社会においては、ますますこの小説が、小説ではなく、かなりのリアリティを持って人間に(少なくとも私に)問い続けてくると感じました。

うーん、この本とは一生のお付き合いをする気がします。



総合評価:★★★★☆
読みやすさ:★★★★
キャラ:★★★★
読み返したい度:★★★★★
さて、今回は前回の予告どおり、声楽曲について、どのような形態があるかを紹介したいと思います。(YouTubeさん、お世話になります。以下、オレンジをクリックしていただくと、実際の演奏に飛びます)。
声が主役の曲は声楽曲といいましたが、声楽曲の方はちと厄介です。

というのも、声楽曲は歌う人の人数によって独唱、重唱、合唱に分かれます。

独唱はその名の通り、一人で歌うこと。
重唱は何人かでハモリながら歌うこと。
合唱は大人数で歌うこと。
ここまでは簡単。

しかし、声楽曲は、器楽曲とは違い、人数の多さでジャンルを決めることはしないのです。
むしろ、その歌が、どんな目的をもって作られたのか?ということで決まるのです。

なぜかというと、器楽曲は、純粋に、作り上げられた音楽を楽しむ、もしくはその演奏者の技術を楽しむ、という目的で作られることがほとんどなのですが、
声楽曲の場合、上記の目的以外に

①映画などのように、ある文学作品や詩をもとに、ドラマを表現する。
②宗教の分かりにくいものを音楽と歌で分かりやすく表現する。

という目的があるからです。

なので、ジャンル分けもそれに応じて行うことにします。

まず、①ドラマを表現する、というものとして、
オペラ劇付随音楽歌曲、というものがあります。


まずは、オペラです。
こちらは有名なのでなんとなくイメージは出来ると思いますが、台本をもとにして、舞台装置(大道具・小道具・照明・衣装など)を完備し、オーケストラの伴奏に乗せて、独唱、重唱、合唱なんでもありでドラマを作り上げる、というものです。ということで音楽的要素以外のものも多く含まれることから、「総合芸術」とよく言われます。
この作品 はその中でも代表といえるでしょう(ワーグナー作曲『ニーベルングの指輪』の「ヴァルキューレ」中の第3幕の始まりです)
もっと見てみたいという方は、名作映画『アマデウス』をご覧いただくと、いかにオペラを作曲すること、演奏することが大変なことか分かると思います。


次に、劇付随音楽
一言で言えば、オペラの縮小版とでもいいましょうか。
オペラは規模が大きく、金がかかるというので、音楽の方が重視された形態ともいえると思います。
こちらは、その時代に有名だった文学者や詩人の作品をもとに音楽が付けられていて、例えばこの曲 はシェークスピアの作品を基にして作られています(メンデルスゾーン作曲『夏の夜の夢』からです。歌の部分は4:40あたりから。)


さらに歌曲
こちらは前に2つ紹介したオペラ、劇付随音楽と比べると比較的小規模で、
多くはピアノを伴奏として独唱という形が多く、作品数としてもかなり多いです。
例えばこの曲 は有名ではありませんがいかがでしょう(ヴォーン=ウィリアムズの残した歌曲集『生命の家』より「沈黙の午後」です。)



さて、お次は②宗教的なものを表現する
というパターンです。

クラシック音楽は、聖歌のような形から次第に発展したという側面があり、それゆえ歴史的にも古いものがあります。
だから必然的にキリスト教の聖書を土台として、その印象的なシーンを音楽にしたり、名句が書かれている部分を歌にするということになります。
これら宗教曲はさらに細かく分かれており、たとえば日常の礼拝などで歌われたカンタータや、厳かな礼拝時に歌われたミサ、さらに死者のためのミサ曲となるレクイエム、ドラマチックに宗教的な場面を歌い上げるオラトリオなどがあります。

まずはカンタータ
もともとカンタータとは伴奏がついた歌全般を言うのですが、宗教的な意味で言えば、日常の礼拝の際に歌われるもので、特徴的なことはプロの歌手だけでなく、一般の礼拝者も歌えるように作られたということがあります。
なので芸術性はともかく、親しみやすいということがその第一条件なのです。
さて、この歌 は聴いたことがある人もいるかもしれません(バッハ作曲カンタータ第140番から、コラールの部分です)
さらに意外ながらも日本からもこの歌 を紹介します(「大地讃頌」として有名ですが、この歌は佐藤眞作曲のカンタータ『土の歌』の1曲なのです)


次にミサ
こちらはなんとなく、格式高く、厳かな感じがします。大雑把に言えば、日常ではなく特別な儀式の際に演奏されるものです。
あまり有名な曲はありませんが、この歌 は割とメジャーなほうです(バッハ作曲『ミサ曲 ロ短調』からキリエの一部分。)


さらにレクイエム
ミサの中でも、「鎮魂歌」と訳されるように、亡くなった人の魂の安らかなる事を神に願う、という一連の歌です。ですから、どこか荘厳で悲しみに満ちた感じもするけれど、最後は心休まる、というような印象を受ける歌が多いです。
先ほど紹介した映画『アマデウス』の中でもレクイエムはクライマックスとして登場しますが、この歌 もなかなか美的であります(フォーレ作曲の『レクイエム』から3曲目「サンクトゥス」)。


最後にオラトリオです。
こちらはオペラのように、ある台本(聖書など)を基にして、非常に物語性に富んだ声楽曲となっているのが特徴です。
しかし、オペラと違うところは、演劇スタイルではなく、衣装や演技も必要ありません。
有名なところとしては、この歌 があります(ヘンデル作曲『メサイア』から「ハレルヤコーラス」として有名な部分)



さて、一応クラシックのジャンル分けは済みました。
しかし、概してクラシックをあまり聞いてなかった人にとっては、声楽曲はなんとなく腰を据えにくいと思います。
日本人の多くはキリスト教徒ではないのでそもそも馴染みが薄かったり、外国語で歌われているのでなんとなくその迫力を十分楽しめない、という面があるからです。
実際、私もあまり声楽曲にはまだ踏み出せていませんガーン
中高生向けの合唱曲は割と豊富だと思うのですが、日本語でのオペラや宗教曲がもっともっと増えてくれればなぁと思うのです。

私がもっぱら関心があるのは器楽曲。さらにその中でもオーケストラが奏でる管弦楽曲です。
以前書いたこともありますが、最初に好きになったクラシックの曲が組曲「展覧会の絵」ですから。
なので、次回からはオーケストラの魅力なんかを語れればいいかなぁと思います。

ユグドラシル/BUMP OF CHICKEN
¥3,059


 概要:2004年に発表された、BUMP OF CHICKENのメジャー2ndアルバム。インディーズともあわせると4枚目。歌のみのトラック12曲中、4曲がシングル、のちに1曲がシングルカットされた。前アルバム「天体観測」から約2年後に発表されたとあって、ファンには待ち望んだアルバムとなった。


総論:恐らく、ファンの多くは、その共感を呼ぶ歌詞、そして練られた言葉に惹かれていると思われるBUMP OF CHICKEN。
もちろん、自分も歌詞に魅了された一人ではありますが、音楽的にもなかなか面白いのです。当初はエレキギター、エレキベース、ドラムのサウンドしか持たなかったのに、年を重ねるごとに、アコースティック色を入れてきたり、これまでとは違う作風になってくるという現象は、色んなバンドに見られるものですが(例えばACIDMAN)、BUMPもこのアルバムで若干の変化が。
もちろん、その仲の良さが分かるしっかりまとまったサウンドは持ちながらも、マンドリンの音が聞えてきたり、音楽的にも拍子を変えてきたりという風に、このアルバムではそんな彼らの成長が音を通して感じることが出来ますニコニコ


抄説:★は5つが満点で☆は0.5点。さらに違う色のタイトルにクリックしていただくと偏狭な思い入れの記事に飛びます。
1.asgard  
 歌ではなく、ギター1本で奏でられる曲です。
 物語の始まりとしたら、何が始まるんだろうと思わせるものです。


2.オンリー ロンリー グローリー  ★★ 
 シングル曲。疾走感がものすごいです。ギターが掻き鳴らされて、その中を早口で藤原さんが歌い出だします。
サビはハモりの効いた伸ばしが強調されますが、それが賛美歌のようにも聴こえてきます。

 まあ、個人的にはそこまで好きなメロディではないのですが。。あせる

 ただし、あまり好きでなかった「ハルジオン」が後に大好きになった例もあるので、その評価はいつの日か変わるかもしれません。


3.乗車権  ★★★★
 意欲作といいましょうか、新境地のような作品です。

 そのなんとも言えぬ不気味感は、全編を通して貫かれます。

 その不気味感を引き出している要素は色々ありますが、まずは拍子が一定でなく、Aメロが6拍子、Bメロとサビが4拍子ということで、落ち着かないことこの上ない。

 そして短調なので、暗く、なんか怖い。

 さらには、音でも2番Aメロでは叫びにも似たギターがかき鳴り、サビでは怪しげな「あ~」かというハモりが。
 手を抜かない、これでもかという演出、さすがです。


4.ギルド  ★★★★★
 BUMP OF CHICKENでしか出せない特有の少しひねくれた世界観が歌詞に滲み出ている、彼らの持ち味が十分に発揮された名曲アップ
 何回聴いたか分かりません。人間という仕事という辺り、さすがです。
 曲は、タイトルのギルドが示すとおり、刀鍛冶みたいな金属音が随所に入り、なかなか面白い。
 エレキ・アコースティックギターのアルペジオ、ベースライン、ドラム、これらは全編通して変化はなく、一定の音を保ち続けています。これもタイトル通り、演出上、仕事として一定のことをしている感が。
 しかしこれが前曲と比べてなんと安心感をもたらしてくれているか!!

 藤原さんの歌い方。特に気になるのがサビの、それぞれ1番「忘れたんだろうか」、2番「許されるだろうか」、ラスト「引きずり出してやる」の部分、歌い方に、歌詞にあわせたような変化が。
1番ではしっかりと歌われ、2番ではなんとなく不安定な音程、ラストは最後の「やる」の「る」の声に唸りが合わさっているように聴こえます

 メロディ、サビ、伴奏は素晴らしいのですが、個人的には、少し最後の部分が長いようには感じます。


5.embrace  ★★★
 こちら、このアルバムで初めて聴くことになるバラードです。
サビのハモリやギターのサウンドが重厚なので、これまで不気味感や爽快感などの気分が一新されます。
 

6.sailing day  ★★★☆
 シングル曲。
 
 前々作の「グングニル」にも似たようなギターのサウンドが藤原さんの歌声に乗せて、すこぶる爽快です。
 とはいえ、展開部「だれもがみんな~」のあと、イントロが再びならされ、そのあとの歌い始めからは一端落ち着いたような拍子に戻るので一息つけ、最後のサビに再び疾走感を取り戻す、という感じがバランスが取れていると思います。

 疾走感、シングル曲という点で共通の2曲目、「オンリー ロンリー グローリー」よりもこちらの方が個人的には好きです。


7.同じドアをくぐれたら  ★★★
 疾走感を感じた次にみせるは、3拍子のバラード。アコースティックギターと藤原さんの声のみで始まります。

 間奏部は、なんとなくギターが、バグパイプに似たような音で、郷愁を感じるような印象を受けます。
 でも、マンドリンはこの曲には合わないかなぁと思います。なんかマンドリンの軽いかわいらしいサウンドが、耳に異常に残るというか、違和感があるのですダウン

 それと、サビがなんとなく燃え尽きにくいことと、サビが終わって、マンドリンが出てくるところから少々長く感じるということで、この歌の星は低めです。


8.車輪の唄  ★★★★☆
 アルバム曲でありながら、BUMP OF CHICKENの真骨頂のストーリー仕立ての歌詞、サウンドのさりげない盛り上げ方などで、かなり練られているなぁと感じました。
 その後、シングルカットされて、「あぁ~やっぱりか」という。
 しかし、シングルカットしなくてもよかったかなぁガーン

 こちらもマンドリンを使っていますが、こちらの方は歌詞がかわいかったり、ギターもアコースティックで押していたり、ドラムも正規のドラムというよりはなんとなくストリート的な音だったりということで、親和性が高く、全然嫌じゃないです。

 イントロがなんとなくカントリーっぽいなぁと思っていたら、前アルバムの名曲「ダンデライオン」のイントロに似ていたので、そのせいかもしれません。
 そういえば、サビで左のほうから聞こえてくる「ウーワー」っていうギターの音も「ダンデライオン」っぽい。

 1番は抑え目に、順々に楽器が入ってくる感じ、2番からはカントリーバンドのような雰囲気でよいです。
 3番になると、ドラムのバタバタ音がプラスされて、さらに良。電車に乗ってしまった人を自転車で追いかけるが次第に離されていく、その躍動感・焦燥感みたいなものがバタバタ音でさらに表現されていると思います。

 音はもちろんですが、この歌の歌詞、凄く好きです。というか上手い!!


9.スノースマイル  ★★★★★
 この歌を聴いて、このバンドを深く知ろうと思いました。そういう思い出の歌。シングル曲です。

 イントロのアコースティック・ギターが、キラキラして、雪景色を思わせます。
 同じアコースティック・ギターで始まるという点では前曲の「車輪の唄」と一緒ですが、こちらの歌は、2回目のAメロですでにベースとドラムのリズム隊が分厚く登場。いいですねぇ。

 この歌の影の主役はベースかなあと思うのです
 このベースがこの歌の展開を仕切っているというか、ベースが歌っています。
 ベースを追っていきますね。ベースが出てくるのは1番Aメロの2回目から。
 1番のサビに入ると。ゆっくり進む気がしますが、それは極力ベースが動かず、「ブーン、ブーン」と鳴らしているから。しかし、それは2番に入ると大きく変わります。
 2番のAメロからはアコースティック・ギターのメロディとほぼ同じように動いています。サビに入ると1番とは異なり、かなりの動きを見せます。そして間奏部分の歌?につながるのです。
 間奏部分はもちろん、「スノースマーイル♪」と爽やかなハモリが続くのですが、ベース、歌っていますひらめき電球ギターなどがあまり動かない分、ここはかなりベース目立ってます。なんとなくここ、クリスマスのような、教会の鐘のような感じを受けます。
 その動きのまま、ラストのサビへ。ここはブリブリ動いています。これでもかというくらいに。1,2番で抑えていたものが一気に出てきたといえましょう。
 Bメロや展開部がなく、Aメロとサビしかない歌ですが、このベースの動きの変化により、全然そうは感じさせないところがうまいなぁと思います音譜


10.レム  ★★★★★

 ここへきて、こんな歌を持ってくるかぁ、と驚きました。もちろん、いい意味で。
歌詞はかなり皮肉ったものでありながら、最後に救いを持ってくる、それだけでもこの歌を聴く価値はあると思いますが、それに引けを取らない素晴らしい曲。

 物静かな語りかけるようなギターと声から始まります。上では聴こえるか聴こえないかのエレキ・ギターの音。なんとなく弦で弾いているような伸びの効いたギターです。
 2番のサビに入るとアコースティック・ギターがもう1本追加され、太くなっていきます。

 間奏はヴァイオリンのピチカートのようなはじける音で、初めて聴いたときは沖縄民謡を思い浮かべました。
 なんでだろはてなマーク
 その間奏の終わりかけには先ほどの弦のようなギターの音とは別に、不協和音のような叫ぶギターがさりげなく、それこそさりげなく入り、3番へとつながっていきます。3番のサビでは急に消えてしまいますが。

 ベースやドラムは登場しないのですが、確かにこの歌では不要だろうなと思うので、いいと思います。



11.fire sign  ★★★★
 打って変わって爽やかなサウンド。というか、BUMPにはよくあると思いきや実はこういうアコースティックも押し出されてエレキ感もあって、爽やかで早すぎないテンポの歌、意外に聴いたことないような気もして、なかなか素敵です。
 少なくともこのアルバムでは同じようなサウンドはありません。しかし、歌詞は今までに発表された歌たちを髣髴とさせるような内容が含まれており、新しいが懐かしいという、なんとも不思議な空間に包まれます。
 それだけに貴重で、聴いているとなんだかウキウキしてきます。 


12.太陽  ★★★☆
 なんとも不思議な和音から始まります。個人的には苦手かなぁと思うのですが、サビまで聴くと、あぁ、なんかいいなと思います。そのまま歌に引き込まれます。
 
 最後に歌とコーラスが重なり合うところは、前曲「fire sign」のようであり、
 サウンド的には後曲「ロストマン」のようでもあります。つまり、歌詞云々は兎も角として、音の面で聴くと、2つの歌をつなげているように聴こえます。


13.ロストマン  ★★★★★
 シングル曲。
 だんだん盛り上がる、BUMPの得意芸がまさにぴったりハマったといってもいい、珠玉のバラードです。
 まさにアルバムの歌の最後を飾るにはこれだビックリマークという歌です。

 曲はAメロ、Bメロ、サビ、さらに展開部もあり、ということで壮大。
 1番で動きを抑えたベースは「スノースマイル」を彷彿とさせますし、時おり出てくる薄い金属をを叩いたようなドラムの音も効果的です。
 2番のサビではこれまで抑え目だったエレキ・ギターが解放され、展開部を経た最後のサビではいったん抑えて、「ロストマン」というコーラスから盛り上がったサビが終わりに向けて加速します。
 
 4:05からの「いつだってはじめの一歩」の「はじめ」の部分、歌い方変えやがって憎いぜこんちくしょーにひひ

 4:50からエレキ・ギターとベースがユニゾン(一緒に同じメロディを弾く)に。太いなぁ。


14.midgard  ☆
 こちらは1曲目と同じく、ギターのみの曲で、なおかつ同じメロディです。
 違うといえば、こっちの方が若干音が大きいというか、ハッキリ聴こえるような感じです。
だれに頼まれたわけでもありませんが、クラシック音楽について敷居が高いとか興味がないという人にも食わず嫌いをおさらばして一齧りでもしていただきたく、クラシック音楽を語ってみることにしました。

一口にクラシック音楽といっても、その幅は広く、作曲家も作品も多数。なので、多くの人はまず何から手をつけてよいのか分からないという方がほとんどだと思います。
交響曲だの協奏曲だの弦楽四重奏だのと色々ありますから、分かりにくいことは確かです。

ではまず、作曲家や作品のことは置いておいて、クラシック音楽にはどんな形態があるのかを紹介してみます(YouTubeさん、お世話になります。以下、オレンジをクリックしていただくと、実際の演奏に飛びます)。

まずは、主役が楽器の場合と、主役が声の場合に大きく分かれます。
楽器が主役の曲は器楽曲声が主役の曲は声楽曲といいます。

では今回は楽器のみを使う(もしくは補助的に人の声を使う)器楽曲から紹介します

器楽曲は大雑把に言って次のように分かれます。

一人(もしくは数人)を目立たせる 独奏曲協奏曲
特にどれが目立つとは言いにくい 室内楽曲管弦楽曲

そして、共に前者が少人数で演奏、後者は大人数で演奏します。

よく分かりにくいかもしれませんので曲を紹介しながら説明を。


まず独奏曲
こちらは全部一人で弾いちゃうか、もしくは伴奏がいるもの。

例えば、ピアノの独奏はこの中でも一般的で、この曲( ショパンという人の作曲した『別れの曲』という名でも有名です)なんかは聴いたことあるかもしれません。
他には、ヴァイオリン一人で弾いちゃう場合も。例えばこの曲 (バッハという人の「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ」第3番の第3楽章です。)
でも、ピアノの独奏曲以外は、一般的に伴奏をともなう形式が一般的です。この曲 のように(モーツァルトの「ヴァイオリン・ソナタ」ホ短調K.340の第2楽章です)

この独奏曲の良いところはもちろん、演奏者のテクニックと歌い方を十分堪能できるということ。純粋に、その楽器の音を知るためには、一番聴きやすいと思います。


さて、次に
協奏曲一人(曲によっては数人)を目立たせるのですが、その伴奏を大人数でする、というのがこちらの形態。
一般的にその伴奏の役目はオーケストラがします(おっと、まだオーケストラとは何たるか、はっきり知らなくても全然構いません)
そして、ピアノが主人公ならピアノ協奏曲、チェロが主人公ならチェロ協奏曲などと呼ばれるのです。

例えば、ピアノ協奏曲で有名なのはこの曲 (チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲」第1番の第1楽章です。冒頭はあまりにも有名)
チェロ協奏曲はこの曲 でしょうか(ドヴォルザークの「チェロ協奏曲」の第1楽章。チェロが入ってくるのは4:30辺りから。続きはこちら です)

こちらの楽しみは、独奏曲の楽しみに加え、オーケストラという何十人にもなるメンバーたちとの息の合い具合を注意して聴くのも一興です。


では次に、個々の楽器の目立ち具合ではなく、全体としての統一とバランス、そして音色を重視した室内楽と管弦楽曲の紹介をしましょう。


室内楽とは、これまた大雑把に言って2人から多くても10名以下という、人数で合奏する形態。

「室内」との名が付くとおり、広いコンサートホールではなく、狭い室内でも演奏可能な人数で、というのが一般的な見解のようです。

室内楽曲は、ある程度演奏される組み合わせが決まっており、有名なのは弦楽器4人で演奏される弦楽四重奏、またはピアノと弦楽器2人のピアノ三重奏など。

個人的に好きな弦楽四重奏曲はこの曲 です(ラヴェルの「弦楽四重奏曲」の第2楽章)
この室内楽は、
各人のテンポ感、技術、ハーモニーが堪能できるようです。「ようです」というのは、まだ私自身、室内楽好きになってはいないということなのですが・・・この形態、いわゆる「通」好みらしいのです。

あえて美術でたとえるとしたら、墨の濃淡のみで表現される「水墨画」のような感じだと個人的には思っております。


そして最後に管弦楽曲
こちらは先ほどから何度か登場している、オーケストラによって奏でられる曲です。
詳しくはまた別の機会に書きますが、オーケストラは管弦楽と訳されているように、クラリネットやトランペットなどの「管」楽器、ヴァイオリンやチェロなどの「弦
」楽器、それにティンパニ、シンバルなどの打楽器などを使った、大規模な合奏です。

さらに管弦楽曲はさらに、ある一定の規則をもとにして作られた交響曲や、あるコンセプトをもとに作られた組曲、バレエのBGMとして作られたバレエ音楽など多岐に広がりますが、しかし初心者の方には入りやすいと思います。

交響曲としては、たとえばこの曲 (ヴォーン=ウィリアムズ作曲の「交響曲第5番」第3楽章)
組曲としてはこの曲 (ホルスト作曲の組曲『惑星』から「火星」です。「木星」は有名です)
バレエ音楽はこちら はいかがでしょう(ストラヴィンスキー作曲の『春の祭典』です。続きはこちらこちら 、そしてこちら です。)

こちらの楽しみはといえば、当然様々な楽器を使っていることから、その音の集合の強弱(ダイナミズム)や、違う楽器とのハーモニーなど、様々に楽しめます
先ほど、室内楽曲を「水墨画」とたとえましたが、管弦楽曲を同じようにたとえるならば、様々な色を使って描いた「色彩に富んだ絵画」とでもいえるでしょうか。


長くなりましたが、いくつか紹介した曲の中で、1曲でもピンとこられたら幸いです。
ただし、これは絶対的なジャンル分けではなく、私なりに分かりやすいように分けただけで、別の人の解釈もあるということを言っておきます。
では、次回は声を中心とした声楽曲を、紹介したいと思います。