先日高野山真言宗でお布施の運用に失敗して6.8億円の損失を出したと報じられてました。
運用の目的がお金を増やして赤字体質の高野山大学への出資や設備修繕などに当てられる予定で長期ものを購入していたのに最近では短期利回りものに手をだして損失がふくらんだとか・・・
この手の話は他の宗派にもあり有名な話だと
曹洞宗が母体の駒澤大学で154億円、日蓮宗が母体の立正大学で148億円いずれも少子化対策のなかで資金を運用する目的で失敗して損失を出してしまったとかでこれも坊主が少なからず関与しており大問題になりました。
宗教と金って切っても切れない縁で、今回の真言宗の一件は露骨に欲丸出しと言った感じですねよ。本来なら欲の象徴でもあるお金は檀家や信者、支援者からの気持ちで頂いているものなのだから石橋を叩くくらいがちょうどいいと思うのですが。運用をするなとは言わないけどもうちょっとやり方があるかと・・・
仏教も閉鎖的世界であるから余計にリスクヘッジが下手だと思うのですよ。
結局内輪の高僧同士で決めてしまうから外部の人間にいいようにカモにされてしまったり、お金の使い方が下手だから失敗すると・・・
ガリ勉して偏差値の高い大学に入ったはいいけど遊び方をしらずに育ったからキャンパスライフで自爆する大学生と一緒ですよこれ。学生の頃酒癖の悪さの度合いは偏差値に比例するなんてよく言っていましたよ~
問題になった各宗派の開祖たちはあの世で嘆いていますよ絶対!
バチカン銀行よりマシだなんて言ってる人がいたら日本の仏教は終わってしまいますよ・・・
宋より帰国した後、京都の深草に興聖寺を建立したことにより比叡山の迫害が日に日に増してくるところから始まります。道元の危機に対して大檀那となる波多野義重が自分の領地である越前に招き永平寺を建立し理想としていた慎ましい修行生活を送るようになります。師の如浄より「国王・大臣に接触してはいけない」と遺訓を受けていましたが、波多野義重の懇願により執権である北条時頼と面会を果たしました。
永平寺建立後の暮らし向きは米が食べられないくらい貧しい時もあったのに修行と捉えるなど前向きな修行生活にただ脱帽でした。北条時頼の苦悩を救うために鎌倉に下向した際も時頼から寺や領地の寄進をきっぱり断るところも驚きでした。
鎌倉下向したあと数年後に京都で亡くなるのですが最後はストイックな修行僧から1人の人間として旅立つ準備をしているところは作者の想いが入っていたと思います。
上・中・下を通して作者の仏教感など小難しいところが多かったですが道元の伝えようとした教えはよく理解できました。現代社会でも充分に活かせる教えだとおもいます。
予断ですが永平寺を建立した波多野義重の子孫が800年以上経った現在でも永平寺筆頭檀を務められているそうです。現在でも弟子の懐奘(えじょう)が道元廟を守っているとして夜中の巡視は懐奘が回っていたとされている時間は避けているそうです。道元の功徳が現在でも伝えられている話ですよね。
比叡山を降りて建仁寺での修行を経て宋(中国)に渡った後のからのお話です。
宋の天童山に入った道元が自分の思い描いた修行ができず苦悶の日々を送り、いてもたまらず正師を探す旅に出ます。しかし思った以上の師には巡り逢えず諦めていた時に最初に入った天童山で住持が如浄に変わったと知らせを受け戻ります。そこでは思い描いていた修行があり大悟をすることができ正伝の仏法を日本に持ち帰ります。持ち帰ったものは高価な仏像や経典ではなく身ひとつということで訝られたり、比叡山の迫害が強くなりますが後ろ盾になった貴族や後の大旦那になる波多野義重らの助けにより京都の深草に興聖寺を開く事になるまでが中巻のあらずじです。
高潔に人間らしく生き修行に打ち込む姿は芯の強さがあり、こうありたいとおもうのですが俗人なのでうまくいかないですよね。師に国王・大臣に接触してはいけないと言われた通り京都の真ん中ではなく町外れに寺を建立し権力とは距離を置いたところは同じ禅宗である臨済宗の祖栄西とは違うところで、栄えるよりも慎ましく修行するという姿勢を貫いるように感じました。
