ライブハウスの最後尾より -7ページ目

ライブハウスの最後尾より

邦楽ロックをライブハウスの最後尾から見つめていきます。個人的な創作物の発表も行っていきます。

どうも( ^_^)/

 

天気予報をよく見逃す者です。

 

俺は常々ニュースは空模様をトップに持ってくるべきであると主張しているのですが、民法はおろかNHKにさえ伝わりません。どう考えても一番知りたい情報はそれだと思うのですが。

 

ある日の話です。

 

午後から雪の予想で、洗濯物を干しているときの具合で午前中は大丈夫だろうと決め打ち、自転車で図書館に向かいました。

 

今回はかなり余裕をもって読み終えられた本を返し、予約していた本を借り、さらに何冊か有名だけど有名過ぎて逆に誰もちゃんと読んでなさそうな古典小説を借り、そのまま窓際の席で読んでいました。

 

 

これが意外と大事なことです。

 

“読む”にはある程度気分のノリというかテンションが必要で、本というのは買った日や借りた日にすべて読み切る勢いで読んでしまった方がいいのです。

 

 

 

耳の友はストレイテナーのアルバム、テナー史上類を見ないほど感動的な作品です。

 

 

しばらく読んで、そろそろ一冊読み終わるくらいのころ、窓の外を見る。

 

 

雪ィ!!( ゚Д゚)

 

 

降っとるやないか。

 

けっこうな勢いで降っとるやないかと、天が我を見放してました。

 

 

おまけに、

 

 

まぁ自転車だからそもそも差せないんですが。カッパもない。

 

 

何で自転車で行こうと思ったのか。どういうわけか俺はその日自転車に固執していました。嘘です。俺はちょっと出かけるだけのことに車は使いたくない主義です。

 

 

己の流儀に足をすくわれる。途端に落ちるテンション。既にこの日の天気予報は当てにならん。この雪がいつまで続くか分からない。

 

 

 

 

陽水からの風。外は雪。やかましいわ。

 

 

帰り支度を整え、外に出る。雪はみぞれに変わっていた。一応フード付きのコートを着てきていたのでこれで何とかしのげるか。

 

 

ガタ落ちのテンションの中、自転車を走らせる。

 

 

と、空に晴れ間。

 

止むんかい。

 

しかし。

 

 

フワフワと落ちる水滴が光って、なんとも美しかったです。

 

写真は無いです。タブレットでは雨粒に陽光が反射した光景を写せなかった。

 

いや、あれは自分で雨に打たれる中でしか感じ取れない美しさだったと思います。

 

 

これは自分が車があまり好きじゃない理由でもありそうです。

 

風とか光とか匂いとかを直接感じたい欲求が強いのでしょう。

 

本は家に帰ってからじっくり読めました。

 

 

これからは読書が滞ったときは自転車でそこらを一回りしてくることにします。

 

 

 

 

※前編はこちら

 

こちらの記事はネタバレありです。

 

 

 

どうも( ^_^)/

 

地元愛はそんなにない者です。

 

千葉愛に溢れた小説を読み終えました。

 

渡航

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。

 
 
前編はただ俺の八幡への思いが溢れ出し、ただの強火のラブレターになってしまったので、まずはちゃんとあらすじを書きますね。
 
 
ぼっちの高校生である比企谷八幡は、そのひねくれ切った性根を見かねた教師平塚静から『奉仕部』なる謎の部活に入ることを強要される。才色兼備ながらまた別の意味で問題児の部長・雪ノ下雪乃と最初の依頼主でもあった由比ヶ浜結衣とともに騒がしい日々を過ごすことになる。
 
 
八幡、雪乃、結衣の三人にはちょっとだけこじれた事情というか事件が絡んでおるのですが、なんだかんだでラブコメです。
 
八幡は雪乃の妥協しない在り方に憧れ、結衣は八幡に恋し、雪乃は結衣との友情と八幡に惹かれる恋慕との板挟みに苦しむわけです。
 
などと書いてしまったら、きっと八幡は怒ります。
 
「言えねぇだろ。……こんなの、言葉になってたまるかよ」
 我ながら情けない声で笑い、くしゃりと顔を歪めた。
 言葉一つじゃ足りねぇよ。
 本音も建前も冗談も全部費やしたって、伝えきれる気がしない。
 そんな単純な感情じゃない。たった一言で伝えられる感情が含まれているのはまちがいない。けど、それを一つの枠に押し込めれば嘘になる。
(14巻 P.397-398より)
 
そうだな八幡。
 
実際としてどうかは関係ない。
 
三人の関係がもたらした問題が、それを解きほぐす方法が簡単なものであって欲しくないから、たくさん難しく考えて、半分くらいは自覚的に無理やりにでもこじれさせてここまで来たんだろう。
 
 
分かるよ八幡。
 
お前はそういうやつだ(最後方腕組みポーズ)。
 
せやかて八幡。
 
こいつぁぶっちゃけ“トライアングラー”以外の何物でもねぇぜよ?
 
マクロス八幡。
 
ネットをチラリと覗けば未だに、雪乃派結衣派(と、いろは派)が仲良く喧嘩しとるのぜ?
 
最終的に祝福されるべき少年が心から救われる物語で、非常にいいものを見させてもらったといったところです。
 
 
しかしここに、まだぜんぜん救われてない女の子がいます。
 
結衣じゃないですよ。
 
確かに結衣はその名の通り八幡と雪乃を“結”び、二人の“かすがい”の役割を結果として引き受けねばならなかったわけですが、彼女が求める光は未だに消えていません。求め続ける限り救いの芽は常にあり、物語はまだまだ続くのです。
 
それがどうなるかは新シリーズ『結』を読んでから決めるとして。
 
 
『俺ガイル』の核心は『三角関係』で、でも奉仕部の関係を壊したくもなくてにっちもさっちもいかなくなってどうしたもんかしゃんこりゃとなっているだけの物語です。
 
 
なので、実際に八幡自身がその言葉を口にしたときは「やった! 普通のラブコメ主人公がなかなか言えないことを言ってのける! そこ痺れる以下略ゥ!」と興奮したものですが(今さらですがこの読者は酷く変態です)、直後、この作品の事件・混乱・ひっかき回しの元たる陽乃が『共依存』なんて言葉でふっかけてきたせいで余計に拗れてしまいます。
 
 
この陽乃、いわばリトル八幡かつある面ではビッグ八幡なキャラで、彼と同じく光をさまよい求めていながらトリックスター止まり、というか年上であるがゆえに“大人”の役割を押し付けられ、八幡たちのように間違える青春を送ることができないなかなか不憫で拗ねた女の子です。
 
 
そのめちゃくちゃな行動原理やバックボーンは断片的に語られるのみで、彼女が具体的になにを求めていたのかは最後まではっきりとしないままです。
 
 
八幡たち高校生の目から見れば自分たちを常に手のひらで転がしてくる超然とした恐ろしい人物ですが、少し目線を高くすれば「暇なの? 大学は?」と真顔で訊きたくなるほど母校に遊びに来るめんどくさい大学二年生でしかないという複雑なキャラクターです。
 
 
なかなか好かれにくいとはいえ、陽乃を主人公にしたスピンオフなどあったら絶対に読みたいくらいには興味深いです。そんな本が出たら内容はほぼ太宰のアレでしょうが。
 
少なくとも彼女がいたおかげで『俺ガイル』はこじんまりと丸く収まらずこうして語り尽せる作品として完結したのだろうと思います。
 
八幡がひたすら彼女を怖がるのは陽乃が「何もなかった未来の八幡」だからかもしれません。
 
そして陽乃が八幡をどこか求めている気がするのも、彼に過大な期待を寄せているからなどと考えました。
 
 
しかしな陽乃。
 
八幡はスーパーマンじゃないのだぜ?
 
ただ外見がそう悪くなく、文系の秀才で、地味な事務仕事はコツコツと真面目にこなし、妹思いで仲間思いで友達思いでめんどくさいくらい誠実なだけの高校生だ。
 
 
 
やはり俺は八幡と友達になりたいですね。どこかにいないでしょうか。
 
 
八幡と雪乃の結婚式で勝手に流して盛大に嫌がられたい楽曲。

 

 

※この文章は、『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』を8巻まで読んだところでブログ主がメモとして書き残していたものです。であるにもかかわらず自分の中の八幡理解度がかなり高いと思ったので、物語の結末を知らなかった時点の感想と、最終巻を読み終えた後の感想を前後編に分けお届けします。

 

どうも( ^_^)/

 

地元愛はそんなにない者です。

 

千葉愛に溢れた小説を読んでいます。

 

渡航

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。

 

 

親愛なる主人公比企谷八幡(ひきがやはちまん)の勝手なテーマソングその1

 

 

気付いたらもう嵐の中で 帰り道が分からなくなっていた

(BUMP OF CHICKEN “ファイター”)

 

 誰だって空気には逆らえない。そのせいで誰かが辛い思いをしていると理解していても、どうにもならないことってある。

 空気や雰囲気には逆らえない。本位に沿わない行動をとらざるを得ないときだってある。

“みんな”が言うから。“みんな”がそうするから、そうしないと“みんな”の中に入れてもらえないから。

 でも“みんな”なんて奴はいない。喋りもしなければ殴りもしない。怒りも笑いもしない。

 集団の魔力が作り出した幻想だ。気付かないうちに生み出していた魔物だ。個人のちっぽけな悪意を隠すために想像された亡霊だ。仲間外れを食い殺して仲間にすら呪いを振りまく妖怪変化だ。

 かつて彼も、彼女もその被害者だった。

 だから俺は憎むのだ。

“みんな”であることを強要する世界を。

 誰からの犠牲の上で成り立つ下劣な平穏を。

 優しさや正義さえ塗りつぶし、悪辣なものに仕立て上げ、時を経てなお棘を遺す、欺瞞でしかない空虚な概念を。

(4巻 P.261-262)

 

比企谷八幡は孤独という名の台風の目の中でうずくまり泣き続けている少年です。

 

自分を仲間はずれにした世界の欺瞞や空虚を誰よりも繊細に感じ取っていながら、そんな世界にどうしようもなく憧れ、求めてしまう矛盾に苛まれ、動けなくなってしまっている。

 

せめてもの抵抗としてか、八幡は「本物が欲しい」と語り続けます。

 

表面的で排他的で、その場の雰囲気次第でいくらでも邪悪になれてしまう人間関係、要するに八幡を排除し続けてきた世界をすべて“嘘”だと断じ、そのことに気付けた自分には“本物”が分かると、“本物”を手に入れることができるはずだと、胸の内で血の涙を流しながら訴えているわけです。

 

 

愛すべき主人公八幡の勝手なテーマソングその2

 

 

季節の無い街にしゃがみこむ男の子

頭を撫でくれる人がいなかっただけ それだけなのに

 

 

彼の過去に、そう大したことは起こっていません。

 

学校の教室なんてちょっと混んでるバスか電車の車両みたいなもので、要するにたまたま偶然出会っただけの他人が数十人寄り集まっただけの空間です。

 

そりゃあ急に騒ぎ出す困ったちゃんもいるし気の合わない奴もいるし気に食わない奴もいる。

 

長くても数十分程度の乗車時間なら人は誰と乗り合わせようとも儀礼的な無関心と紳士的な沈黙でやり過ごせますが、残念ながら学校は6時間か7時間くらい一緒にいなきゃならない。

 

風通しの悪い空間に人間が固まれば、ストレスがたまる。仲良くするのも仲間外れを作るのもそれを緩和してくれます。

 

八幡は、誰にでも当たる貧乏くじが当たっただけの子です。

 

掛け違えられ宙ぶらりんになったボタンのように、小さなズレがいつまでもいつまでも解消できないまま高校二年生まで来てしまった。

 

 

彼自身も自分に何か特別なところなど無いことは分かっている。

 

平凡で凡庸でありながら、そういった人たちと同じものが得られなかった少年は、だから自分から間違え続けるしかないのかもしれません。

 

6巻の文化祭が顕著ですが、自分だけが悪者になるような方法ばかり選びたがるの、八幡本人ですら気付いてないかもしれませんが、あれでけっこう気持ちよくなってるのかもしれない。

 

ダークヒーロー気分というのか、誰にも理解されないまま事件を丸く収める孤高な感じに酔いしれてる部分もあるんじゃないの? と、友達になって訊いてやりたい。次の瞬間に絶交されるでしょうが。

 

 

そうです。俺はすっかりこの八幡という男の子が好きになってしまったようなのです。

 

彼と友人になって周りの人間や世界に「どうしてこんなになるまでこいつを放っておいたんだ」と喚き散らしてやりたいです。

 

そして、目の前に触れられる光があるのに、それを手に取るためにとんでもなく遠回りして傷つかなきゃいけなくなったこの少年の物語を一番近いところで黙って見ていてやりたい。

 

 

大変に人気の出たラブコメ作品というイメージしかないまま読み始めましたが、ここまで深く重く主人公をえぐり込んでいく小説だとは思いませんでした。

 

 

最後まで、一気読みしたいと思います。

 

 

後編(一気読みしたあと)に続く。