嫌いなものはそんなにない者です。
正確には、嫌いなもの、もしくは嫌いな人はすぐに記憶から消してしまうので、憶えていないというのが正しいです。
そのせいで十代に出会ったはずの人の名前がほとんど出てきません。嫌いだったんだなぁ(^ω^;)。
そんな俺ですが、これだけはどうしても度し難いというワーストスリーがあります。それは
戦争と、
満員電車と、
犯罪報道
です。
順位は無く、どれも等しく嫌いです。
それぞれ『碌でもないのに無くならない』『誰もが嫌な思いをするのに無くならない』『見たくもないのに無くならない』というのが気に入りません。
特に犯罪報道で“心の闇”などと言い出した日にはすぐさまチャンネルを替えるかTVを消します。見出しにあったら絶対に読まないし、紙媒体なら破り捨てたくなります。
TVやその他メディアでその言葉を聞く度に、味噌もクソも一緒にして鍋に放り込む怠惰な乱雑さを感じてしまうのです。
同じように“心の傷”も嫌な感じです。そもそも“心のなんちゃら”が全部だめなのでしょう。俺は曖昧なものを愛していますが、正確さを期さねばならない報道にその言葉を使って欲しくないのです。
ある心療内科医の先生が、トラウマや抑うつ感情を“脳にできた深い傷”と呼んでいて、これは良い言葉だなと思ったことがあり、それ以来そっちを使っています。
アクセル・ワールド〈1〉黒雪姫の帰還 (電撃文庫)/アスキーメディアワークス

川原礫さんの小説『アクセル・ワールド』は、ある日“ブレインバースト”なる奇妙なゲームを貰った少年とその仲間たちが繰り広げる、近未来の日本を舞台にした青春群像劇です。
仮想空間で行われる個性豊かなアバターたちとの戦いや友情など、ライトSFな設定を駆使した少年漫画的な物語が魅力です。
しかし、それ以上に、この小説が多くの人に読まれ楽しまれているのは、少年たちが持つ生の“光陰”がよく描けているからだと思っています。
“ブレインバースト”を遊ぶには(インストールするには)いくつかの条件/資格が必要で、その一つに『心に大きなトラウマを負っていること』があります。
その内容は、当然ながら人それぞれです。
幼い頃、両親に冷たくされた。
誰かにいじめられた。
肉親が死の淵を彷徨っている。
アレルギーのために好きな物が食べられない。
本当に多様な“心の傷”(≒脳の傷)が描かれます。しかし基本的に物語はジュブナイルでエキサイティングな方向に展開していくので、重くなりすぎません。ライトノベルらしく、スラスラ読めます。
主人公のハルユキを中心とした、明るいけど影を持ったキャラクターたちが織り成す物語がどこへ向かうのか、もう20巻にもなるというのに作中では一年を経過したかどうかだし、一つの章が何巻にも渡って書かれる作者の終わる終わる詐欺が甚だしい数あるので、いつ終わるのか全然わかりませんが、楽しく読んでいます。
ところで、さきほど、“当然ながら人それぞれ”、と書きました。ですが、ついつい忘れがちな事実でもあります。それに、大層めんどくさい事実でもあります。
メディアが雑に扱うようにあまり表層をなぞるだけで大雑把に分類わけしてしまうのも、「まぁ、いろいろだよね」という何もいっていない言葉でまとめてしまうのもよくないです。
怨憎会苦。愛別離苦。生老病死は避けがたく訪れ、つまり生きることは傷つくことで、苦しむことであるというのが仏教の教えですが、これは俺もそう思います。
生きていれば誰もに傷はつく、誰でも同じだからといって放っておくのか、恐れず向き合うのかはその人次第です。
ハルユキは対人関係がとても苦手で、自尊感情が不当に低く、いつも劣等感で頭を抱えてしまいますが、同時に、しっかり目と目を合わせて話した相手とは誰とでも友達になり―――それがたとえ敵でも、人ではなくとも、プログラムでも(!)―――、懸命に守ろうとする優しいファイターです。
それはまるで、闇の中にポッと点いた小さな明かりです。だから、その光は優しい。
映画もやります。楽しみです。
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