ライブハウスの最後尾より

ライブハウスの最後尾より

邦楽ロックをライブハウスの最後尾から見つめていきます。個人的な創作物の発表も行っていきます。

どうも( ^_^)/

 

 

三日ほど前、久しぶりに唐揚げにレモンをかけた者です。

 

 

 

図書館で閉架にしておくにはもったいないほどいい、小説を読んでこういう感慨に浸ったのも久しぶりでした。

 

 西日を除けて、一階も二階も三階も、西の窓をすっかり日覆をした旅館が稍々やや近くに見えた。何処からか材木を叩く音がーーーもともと高くもない音らしかったが、町の空へ「カーン、カーン」と反響した。(p.21『城のある町にて』)

 

こういう、なんでもない景色をなんでもない気持ちで眺めている瞬間を切り取った文章がやたらめったらと真に迫ってくる。夏の午後、少し湿ったぬるい風を吸い込む鼻奥の疼痛までも再現されてきます。

 

それが、こう続く。

 

次々と止まるひまなしにつくつく法師が鳴いた。

(略)

「チュクチュクチュク」と始めて「オーシ、チュクチュク」にもどったりして、しまいに「スットコチーヨ」「スットコチーヨ」になって「ジー」と鳴きやんでしまう。中途に横から「チュクチュク」と始めるのが出て来る。するとまた一つのは「スットコチーヨ」を終って「ジー」に移りかけている。三重四重、五重にも六重にも重なって鳴いている。

 

はぁ~っと息を吐きたくなります。

 

なにひとつ言い当ててないにもかかわらず、青く、しかしかすかに白くもやがかった空までが見えます。

 

幻覚だと言われればそれまでですがそれを見たと読者に思わせる技巧を備えた文豪であったようです。

 

31歳で死去した作家で作品もあまり多くはありません。引用した『城のある町にて』がもっとも長い小説のようです。一片の詩のようなものも多く分厚い本ではないのに収録点数は多い、ギュッと詰まってる感があります。

 

基本的には、何も起こらない。

 

キャラクターやストーリーよりも先に文字こそが前面にあるとでもいうのか、ただつらつらと続く文字をじっと眺めたいと思わせる魅力があるのです。

 

ここまで書いておいてお前はこの本を図書館で借りただけに留めるのかと言われそうです。

 

分かりました。

 

古本屋で(終)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうも( ^_^)/

 

いつでもしれっと帰ってくる者です。

 

 

『DUNE砂の惑星』パート2を観てきました。

特上のSFであり貴種流離譚であり青春譚でありなにより悲しき復讐譚であるのでハッピーエンドはありえない、なのに妙なほどにとても美しくて「パート3おかわり!」って気にさせてくれます。

 

ポールは決して自分を救世主などとは言わない。

 

でもスティルガーはじめ原理主義者たちはポールが何を言おうが「それこそ救世主だ」とまっすぐに曲解してくるし、それ以外の人間は母親ジェシカも含めて救世主とその言い伝えを利用しようとするばかり、誰一人ポールの意志を尊重しようなどとはしない。

 

これは貴き血を持った白い肌のポール王子が虐げられた部族フレメンを率いて救うような物語ではないのですね。

 

Part1で姿の見えなかった皇帝は半ば耄碌した弱々しい老人で、それを影で操っているつもりのベネ・ゲゼリットは思想に頭をやられておかしくなったカルト教団にしか見えず、逆にあれだけ憎々しかったハルコンネンたちが深謀遠慮に長けた武人めいて見えてきてなぜか評価が相対的に上がってしまう事態に陥りました。

 

そうではない見方もあるかもしれません。多様な見え方が許される作品でもあります。

 

また評価が上がったといえば忘れてならないのが砂漠と砂虫だと思います。

 

水はなく乾燥しておまけに少しでも足音を立てればサンドワームが捕食しに来る砂漠は地獄のように見えていたのに、そのすべてを飲み込む雄大な威容に爽やかさを感じざるを得ない。それだけ、映画の中で人間どものやってることが本当にどうしようもなく苛立たしかったということなのですが。

 

どうか砂漠よ災いと幸いあれ。

 

すべてを奪い、飲み込み、さらってくれと願わずにいられない。

 

シャイー=フルード。

 

とてつもない迫力にヒトは畏怖しときに崇拝の念を抱く、というのはポールも同じだったようです。

 

恋人チャニと出会ったから、という以上に砂漠の民フレメンの生き方に共感し尊敬し本意として彼らの仲間になりたいと願う。

 

強さを見せつけ優麗な砂歩きを会得し砂虫を乗りこなしフレメンの名をもらう。

 

でも本当の意味で彼らと同じには、決してなれません。

 

だからこの映画はつらく悲しいのです。

 

ポールは救世主という名の道具として使い潰され、映画が終わった後もなおキリキリ働かせられる、なんですかこれは皇帝に労基法は適用されないとしたってちょっとブラックすぎやしませんか。

 

そうなることが運命づけられていた通りに動いた。

未来がどうなるかも分かっている。

しかし間違いなく戦った。

 

これはドゥニ・ヴィルヌーブ監督の性癖なのか選ぶ原作がすべてそうなっているのか分かりませんが『メッセージ』『ブレードランナー2049』にも共通しているテーマがあるように感じます。

 

誰も望んだものは得られない。生まれてしまえばあとは死ぬ以外に結末のない人間に、選ぶ権利などない。

 

まったく反論のしようがない事実です。

 

その冷たい事実を物語にしてしまえるのがこの監督の作家性であり強みなのだなと思います。

 

劇中の時間は一年と経っていない、レディ・ジェシカが妊娠してまだ出産していない程度の期間の物語ですが、いい感じに一作目と二作目の間が空いて、ティモシー・シャラメの顔が少年から男に変わりましたね。

 

ハンス・ジマーは相変わらず音楽上の暴力的な自由を謳歌している素晴らしい仕事ぶりです。低音が劇場の椅子を揺らし、そこからサンドワームが現れるというのは、もはや発明であると思います。2Dなのに気分は4DXです。

 

監督はこれからいくつも新作を発表したいでしょうし、いくら好きでもDUNEシリーズを全部映画化するのは難しいとは思います。が、さっきも書いたようにPart3くらいまではどうかやってほしいと思います。

 

 

 

 

どうも( ^_^)/

 

初心を忘れてばかりの者です。

 

このアルバムに出揃ったミュージシャンの方々の、立ち返る場所になってくれたらと願っています。俺は、そんな彼らにちょっとでも追いつきたいと思いました。

 

YouSpica 

 コンピレーションアルバム2023.02

 

 

ひと昔前に路上ライブをしていたころ、個人的でやや意味不明な決め事として「コンピレーションアルバムには参加しない」というのがありました。

 

「一回参加するのにおいくら万円程度かかります」っていうのが、商売なんだからと理解しつつもなんだか嫌だったのと、「俺に声をかけてくるようなコンピには参加したくない」というひねくれ根性があったのと、単純な人に聴かせられる域に達していなかったというのが理由でした。

 

金をかけるには値段が安すぎ、魂をかけるには志が低すぎ、人様のプレイリストでかけるにはもろもろがつたなすぎ、と、己の話はもういいとして。

 

 

お金も魂もぜんぶ賭けて懸けて、すぐ専用のプレイリストを作ったコンピがこちらです。

 

 

 

それでも世界が続くならが行ったクラウドファンディングから、ボーカルギターの篠塚さんが募集し選んだ楽曲を集めた月一コンピレーション企画、現在はやくも隔月になりそうなピンチらしいです。我こそはという方は送ってみましょう。

 

 

 

というところで実際に曲を聴いていきます。

 

一聴して感じるのは「鳴ってるなぁ」でした。

 

巧拙など関係なく、さらにそれ以前の「楽器を弾こう」「歌を歌おう」「歌詞を書こう」「メロディを奏でよう」「コードを積もう」という手前で「すでに鳴ってる」のがなによりすばらしいことだなと思いました。

 

作曲界隈に『泣きメロ』なるちょこざいな俗語がありますが、これはさながら『鳴きメロ』です。

 

鳴りで泣かすのでなくて、泣きはらした目で鳴らしてるというのか。

 

身体なのか精神なのか、俺には分かりませんが、このアルバムに集まったミュージシャンが「鳴って泣いてる」のが、とても良いです。

 

オートチューンになじんだ耳が喜んでます。

 

もちろん、こればっかりだとしんどいです。

 

「ホンモノの音楽ってナァこれなんだよ!」みたいな酒場の酔っ払いが厄介なクダを巻いてるようなことを書きたいのではなくて。

 

音楽を聴くという行為がやたらめったらに重くなってしまうので、たまぁに聴くといい。

 

演ってる彼ら彼女らもそんな風には受け止めてほしくはないと思う。

 

そういう“たまぁに”を提供してくれるレーベルがこのご時世に生えてきたというのは、ありがたいです。

 

 

どの曲も中秋の月光のような眩しさがありました。

 

 

聴いてみてください。

 

 

 

と。

 

 

 

 

音楽って、彩っちゃダメなものまであざやかにしてしまうところがあるというか「そこはそんなに美しくしなくていい」って引き算のコントロールが難しい代物だと思います。

 

近くで見ればただ大きな石が群れをなして燃えながら消え去ってくだけのことが、地球から見れば奇妙に綺麗に見えてしまう。

 

“音楽”や“バンド”の理解として、これほどの解釈はちょっと自分には思いつきませんでした。

 

こちらもぜひ、聴いてみてください。