一見すると無茶苦茶な意見にも、それなりの背景というか、ある種のトラウマがあるようだ。
発端はこれで
精神が崩壊していても運転業務を止めなかった
— 鶴坊主(禿坊主) ~窓際運転士~ (@sinbouzu) March 4, 2026
止められなかった人がどうなったか
もうお忘れなんですね https://t.co/J2BDq5Ugt6 pic.twitter.com/zMHWavCuC6
精神が崩壊していても運転業務を止めなかった
止められなかった人がどうなったか
もうお忘れなんですね
引用されている方のご意見がこちらだった
そうなんよね
— ぶたさん (@ahiru1191) March 2, 2026
最近はすぐ辞めたり、耐性ない人が増えて今後どうなることやら
今の時代通用しないという人もいるけど、今が正しくて旧式が悪いということもないので戻すべきものは戻さんといかんと思います
そうなんよね
最近はすぐ辞めたり、耐性ない人が増えて今後どうなることやら
今の時代通用しないという人もいるけど、今が正しくて旧式が悪いということもないので戻すべきものは戻さんといかんと思います
応酬の発端は、いわゆるカスハラで運転を休止したバス運転手の是非のようだ。
迷惑かけられたのやら、正座させるか、運転席を囲んで動かせやてなるのが普通じゃないですか?
— ぶたさん (@ahiru1191) March 2, 2026
たかだか怒鳴られたくらいで何甘えとんねんてなるでしょ
プロの仕事は逃げたらいかん
どの業界でも一般の人や利害関係者がいるところは怒鳴り怒鳴られ当たり前なんだから
迷惑かけられたのやら、正座させるか、運転席を囲んで動かせやてなるのが普通じゃないですか?
たかだか怒鳴られたくらいで何甘えとんねんてなるでしょ
プロの仕事は逃げたらいかん
どの業界でも一般の人や利害関係者がいるところは怒鳴り怒鳴られ当たり前なんだから
ムチャな意見である。ぶたさん氏の居住地が福知山線沿線の尼崎ということもあり、この人自身もカスハラやパワハラの被害者側なのではないかという想像も働く。
とはいえ、SNSや匿名掲示板など、社会やネットの主流や大勢に逆を張るひねくれ者の巣窟である。これもそうしたネタアカウントのひとつなのだろうと、最初は軽く考えていた。
のだが。
いいよ
— ぶたさん (@ahiru1191) March 4, 2026
移動手段に絶対的な安全性は求めていないから
リプライで「死んでもいいのか」と問われた返事がこれである。
なかなか気合の入ったアマノジャクではないかと、少し面白くなってくる。
いや、生きたいとは思わんな
— ぶたさん (@ahiru1191) March 4, 2026
楽に死ねる即死がええんだよ
阪神大震災で生き残り死んだ奴が羨ましかった
脱線事故も運悪くあの電車の先頭車に乗ってなかった
顔見知りでもない人の生死に全く興味がなく統計でしかない
いや、生きたいとは思わんな
楽に死ねる即死がええんだよ
阪神大震災で生き残り死んだ奴が羨ましかった
脱線事故も運悪くあの電車の先頭車に乗ってなかった
顔見知りでもない人の生死に全く興味がなく統計でしかない
ここまでくると、ちょっと様子が変わってくる。というか、最初の論点がもう消え失せてしまっている。
そして。
毎日勤務してしんどいだろ
— ぶたさん (@ahiru1191) March 5, 2026
仕事せんと食えんし
だから勝手に産んだ親に制裁したい
毎日勤務してしんどいだろ
仕事せんと食えんし
だから勝手に産んだ親に制裁したい
事ここに至ると、罵倒半分・同情と心配半分といったリプライも増えてくる。
上記した通り、ぶたさん氏にとってカスハラで職務を停止することは「自分だってそうしたいが、できない」ことを“簡単に”行う“裏切り”行為であるのだと想像できる。
要するに、カスハラ被害者のボイコットに、自分を投影しているのだ。そしてその嫉妬と恨みは、いよいよ己の生誕の厄災にまでさかのぼる。
カスハラという新語に対する反発や、それに伴う“過剰に”労働者が守られる社会への問題提起など、遥か彼方へすっ飛んでしまっている。というか、最初からぶたさん氏は自分の話しかしていない。
こういうアカウントも、匿名空間には数多いる。世間の風潮に逆しか張らない連中よりも、よほど人間的だし、さらには深刻であると思う。当然、嫌いにはなれない。ある面では好ましいとすら感じる。
ここからは完全な妄想だが、嫌なことに対し、はっきりと拒絶の意志を示しても状況が何も変わらなかったことがトラウマになってしまっているのだろう。
なので、自分の自己イメージを「社会を円滑に運営すべく耐えがたきを耐える模範的労働者」に定め、そのイメージから逸脱する行動をとる人間を、こちらが引いてしまうくらいの熱量で激しく攻撃する。
『“軟弱な労働者”批判』が、『自分を過酷な現代社会に産んだ親への怒り』に直結してしまうような精神状態で日々働いているのは、たしかに苦行に耐える修験者といってもいいかもしれない。
ただ、私は、そんな今にも壊れそうな状態の人間に何かしら社会に関わる労働をしてほしいとは思わない。とはいえ、朝9時という、日勤者であればだいたい始業の時間帯までせっせとレスバトルに興じているので、その心配は杞憂かもしれない。
なにはともあれ、運転手という職業に携わる方々を恫喝するのは辞めていただきたい。彼ら彼女らがキレて、限界まで加速したそのステアリングや操縦桿を“クイッ”とやってしまったが最後である。
私も、特に死ぬことについて思うことはないが、痛い思いはしたくない。それは、ぶたさん氏も同意してくれるのではないか。