前時代的な脳科学
先日、脳科学者?の茂木健一郎が深夜のテレビ番組で教育メソッドのようなものを喋っていました。
が、なんでしたっけねえ、好きな事をさせるとか、応援団に徹するとか、まあ昔ながらの英才教育至上主義みたいな論調でした。
多分、彼の発言から察するに、茂木にとっては、被虐待者や孤児が天才になってはいけないのでしょう。もしかしたら母子家庭も、天才が生まれる事など彼にとってはありえないことなのかもしれない。正規の音楽教育を受けておらず、思春期をおばと過ごしたジョン・レノンも茂木にとっては天才ではないでしょう。
天才とそうでない者。自分の子どもを天才にして、そうでない者にしないためにはどうすればいいか?という強迫観念的なヒエラルキーがそこにはあります。それは、言い方が違うだけで、勝ち組、負け組みのようなカテゴライズの仕方となんら変わるものではありません。
そんなに子どもを天才にしたいか?という議論をするつもりはありませんが、彼の言動の裏には常にヒエラルキーがあって、しかも、それを意識的に言葉から排除している事は確かです。
茂木のヒエラルキーは障がい者にも適用されます。
茂木はサヴァンが特にお気に入りのようです。突出した才能があるというのは何ものにも変えがたい事ですが、サヴァン症以外の障がいにあまり関心を示さないところを見ると、彼の目には、サヴァンは金色のチケットのように輝いて見えるようです。
『まあ、あなたの子どもはサヴァンなのね、ダウン症じゃなくてよかったわね!』
サヴァン症を殊更に取上げるのも、スピリチュアルに傾倒するのも、もしかしたら先天的な優位性を裏付けるものとして、茂木の中では位置づけられているのではないでしょうか。
先天的な優位性があるなら、つまり資質が固有のものなら、なぜ英才教育が必要なのか?(なぜ天才を”天才にする”必要があるのか)という疑問がありますが、茂木メソッドはそれに対する答えは用意していないようです。
同じようなメソッドで教育を受けた人が大勢いるにもかかわらず、それでもやはりイチローや浅田真央などのスポーツ選手の才能は飛び抜けているのですから、メソッドの有効性を証明する事にはなりません。
よく言われるような『子どもは天才』であるとか『子どもは詩人』であるなどのいささか陳腐な表現は、万人の子に向けられたものです。
子どもが皆天才であるなら、天才の存在自体が陳腐なのですから、これらの言葉が陳腐化するのは止むを得ません。であるならば、むしろ『成長していく上で、天才であり続けるにはどうすれば良いか』、という命題が生まれます。
茂木のメソッドは、万人が享受出来るかたちでは用意されていません。言うまでも無い事ですが、子どもは親を選べないからです。
茂木の論調は、モンスターペアレントや親殺しなどの問題(を放って置く事)に通じる物があります。
自助努力を認めず、全てが親次第で決まるというのは選民的ですし、前時代的で馬鹿馬鹿しいと思います。
が、なんでしたっけねえ、好きな事をさせるとか、応援団に徹するとか、まあ昔ながらの英才教育至上主義みたいな論調でした。
多分、彼の発言から察するに、茂木にとっては、被虐待者や孤児が天才になってはいけないのでしょう。もしかしたら母子家庭も、天才が生まれる事など彼にとってはありえないことなのかもしれない。正規の音楽教育を受けておらず、思春期をおばと過ごしたジョン・レノンも茂木にとっては天才ではないでしょう。
天才とそうでない者。自分の子どもを天才にして、そうでない者にしないためにはどうすればいいか?という強迫観念的なヒエラルキーがそこにはあります。それは、言い方が違うだけで、勝ち組、負け組みのようなカテゴライズの仕方となんら変わるものではありません。
そんなに子どもを天才にしたいか?という議論をするつもりはありませんが、彼の言動の裏には常にヒエラルキーがあって、しかも、それを意識的に言葉から排除している事は確かです。
茂木のヒエラルキーは障がい者にも適用されます。
茂木はサヴァンが特にお気に入りのようです。突出した才能があるというのは何ものにも変えがたい事ですが、サヴァン症以外の障がいにあまり関心を示さないところを見ると、彼の目には、サヴァンは金色のチケットのように輝いて見えるようです。
『まあ、あなたの子どもはサヴァンなのね、ダウン症じゃなくてよかったわね!』
サヴァン症を殊更に取上げるのも、スピリチュアルに傾倒するのも、もしかしたら先天的な優位性を裏付けるものとして、茂木の中では位置づけられているのではないでしょうか。
先天的な優位性があるなら、つまり資質が固有のものなら、なぜ英才教育が必要なのか?(なぜ天才を”天才にする”必要があるのか)という疑問がありますが、茂木メソッドはそれに対する答えは用意していないようです。
同じようなメソッドで教育を受けた人が大勢いるにもかかわらず、それでもやはりイチローや浅田真央などのスポーツ選手の才能は飛び抜けているのですから、メソッドの有効性を証明する事にはなりません。
よく言われるような『子どもは天才』であるとか『子どもは詩人』であるなどのいささか陳腐な表現は、万人の子に向けられたものです。
子どもが皆天才であるなら、天才の存在自体が陳腐なのですから、これらの言葉が陳腐化するのは止むを得ません。であるならば、むしろ『成長していく上で、天才であり続けるにはどうすれば良いか』、という命題が生まれます。
茂木のメソッドは、万人が享受出来るかたちでは用意されていません。言うまでも無い事ですが、子どもは親を選べないからです。
茂木の論調は、モンスターペアレントや親殺しなどの問題(を放って置く事)に通じる物があります。
自助努力を認めず、全てが親次第で決まるというのは選民的ですし、前時代的で馬鹿馬鹿しいと思います。
『反政府グループ』だった反タクシン派
タイの政権が交代したとき、昨日まで『反政府グループ』だった反タクシン派の人間は、一晩で『与党の支援者』になった。マスコミは何ヶ月たっても相変わらず『反政府グループ』という扱いをしていたが、いま、『反政府グループ』であるはずの親タクシン派が『反政府グループ』といわれるわけではない。
なんという鈍感!
他国の民衆の生活など眼に入らぬかのように自分の旅程の乱れに不満を漏らす旅行者など放っておいて、治安のためにも自国の政治を優先するべきだし、他国の人間は見守るべきだろう。
手を差し伸べる気がないなら尚更です。
なんという鈍感!
他国の民衆の生活など眼に入らぬかのように自分の旅程の乱れに不満を漏らす旅行者など放っておいて、治安のためにも自国の政治を優先するべきだし、他国の人間は見守るべきだろう。
手を差し伸べる気がないなら尚更です。
ジャーナリズムが崩壊してるのかも
タイ政権崩壊、民衆の勝利であった。
空港が機能停止してデモを迷惑行為呼ばわりしたバカな記者もいるが(朝日新聞に・・・)、
首相ばかりコロコロとかわるわりに肝心な事は何も変わらないわが国とはえらい違いである。
行動が結果に結びつくのだから、政治に関しては、実は日本よりも(政権を含めて)タイ国民の民意は高いのではないだろうか。
たとえ公共の交通機関であってもリスクはつきもので、海外旅行の経験をお持ちの方はだいたいお分かりいただけることだろう。
特に航空関係は、ストライキが起こると何も出来ない。
格安航空券だと払い戻しも出来ないし、ストライキでなくても、天候の都合で運行停止になる。
一旦飛び立っても別の空港に着く事もあるから、目的地に着くまで安心できないのが航空便である。
交通が絶対でない事は日常生活でも同じ事だ。
東京に雪が降ればどうなるか。知らないわけでもあるまい。
先の記事、まるで自己責任などと言って肝心なところは全て丸投げ、切捨てて来た旧小泉政権そのもののような言説である。
新聞社でリスク管理が出来ていない証拠、というより、リスク管理という発想すらないと思う。
厚生次官連続殺傷事件に対するマスコミの反応にも感じたことだが、どうも最近は政府の見解などをそのまま垂れ流す、例の記者クラブ制度よろしく報道が体制拠りになっている気がする。
戦中ジャーナリズムの轍を踏んでいるかのようである。
ジャーナリスト宣言どころか、ジャーナリズムが崩壊しているとしか思えない。
【上杉隆がほぼ同名の新書を書いている事が分かったのですが無関係です。本当に偶然の一致 20110611 追記】
空港が機能停止してデモを迷惑行為呼ばわりしたバカな記者もいるが(朝日新聞に・・・)、
首相ばかりコロコロとかわるわりに肝心な事は何も変わらないわが国とはえらい違いである。
行動が結果に結びつくのだから、政治に関しては、実は日本よりも(政権を含めて)タイ国民の民意は高いのではないだろうか。
たとえ公共の交通機関であってもリスクはつきもので、海外旅行の経験をお持ちの方はだいたいお分かりいただけることだろう。
特に航空関係は、ストライキが起こると何も出来ない。
格安航空券だと払い戻しも出来ないし、ストライキでなくても、天候の都合で運行停止になる。
一旦飛び立っても別の空港に着く事もあるから、目的地に着くまで安心できないのが航空便である。
交通が絶対でない事は日常生活でも同じ事だ。
東京に雪が降ればどうなるか。知らないわけでもあるまい。
先の記事、まるで自己責任などと言って肝心なところは全て丸投げ、切捨てて来た旧小泉政権そのもののような言説である。
新聞社でリスク管理が出来ていない証拠、というより、リスク管理という発想すらないと思う。
厚生次官連続殺傷事件に対するマスコミの反応にも感じたことだが、どうも最近は政府の見解などをそのまま垂れ流す、例の記者クラブ制度よろしく報道が体制拠りになっている気がする。
戦中ジャーナリズムの轍を踏んでいるかのようである。
ジャーナリスト宣言どころか、ジャーナリズムが崩壊しているとしか思えない。
【上杉隆がほぼ同名の新書を書いている事が分かったのですが無関係です。本当に偶然の一致 20110611 追記】