アラーキーこと荒木経帷氏の訃報に寄せて
荒木経帷氏が前立腺がんにより息を引き取られました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
荒木氏が日本の写真界に残した、多大なる功績は言葉に尽くせません。旺盛な創作意欲と、出版など作品発表における活動は国内にとどまらず、海外でも高い評価を受けました。
また、氏は公募展などにおいて、飯沢耕太郎氏ら評論家とともに、後進の育成と新鋭の排斥に情熱を注いできた事でも知られています。しかし、それもいまや昔。彼の影響を受け、それを公言し、その範疇にとどまり続けてきた写真家達も今や風前の灯です。彼らもまた荒木氏と同様、多くの写真界の新鋭たちの芽を摘んできました。
荒木氏の死に際で、彼らもまた死に絶え土に還る事でしょう。
その土も新たな生命を育んでいくに違いありません。
個人的には、『SWITCH』誌の関係者各位ならびに執筆者、写真家諸氏が荒木氏の後を追って逝く事を願います。
さようなら、アラーキー。
今にして思うが、あなたが僕の人生に全く関わらなくて良かったよ。
恩でも受けようものなら僕の作品に疵がつくからね。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
荒木氏が日本の写真界に残した、多大なる功績は言葉に尽くせません。旺盛な創作意欲と、出版など作品発表における活動は国内にとどまらず、海外でも高い評価を受けました。
また、氏は公募展などにおいて、飯沢耕太郎氏ら評論家とともに、後進の育成と新鋭の排斥に情熱を注いできた事でも知られています。しかし、それもいまや昔。彼の影響を受け、それを公言し、その範疇にとどまり続けてきた写真家達も今や風前の灯です。彼らもまた荒木氏と同様、多くの写真界の新鋭たちの芽を摘んできました。
荒木氏の死に際で、彼らもまた死に絶え土に還る事でしょう。
その土も新たな生命を育んでいくに違いありません。
個人的には、『SWITCH』誌の関係者各位ならびに執筆者、写真家諸氏が荒木氏の後を追って逝く事を願います。
さようなら、アラーキー。
今にして思うが、あなたが僕の人生に全く関わらなくて良かったよ。
恩でも受けようものなら僕の作品に疵がつくからね。
なんとなく、なんとなく
ジョン・アーヴィングの小説『第四の手』に、ウォーリングフォードという主人公の男が、日本で開かれるフェニミズムのシンポジウムへ取材に行く場面がある。世界中の社会活動家や学者などの女性が東京に集まる中、日本の出席者はなぜか芸術家ばかり・・・。
少しばかりアートをかじった事がある人間からすれば、痛快のひと言に尽きる描写ではある。
村上春樹のエッセイを読んでいると、ニューヨークの小説の編集者は女性が多い、という話をときおり目にする。それも既婚者。
理由は簡単で、広告収入がある雑誌と違って、小説の編集者は給料が安いから(らしい)。家族を食べさせる必要がある男性は、割にあう仕事をしなければいけない。だから男性の編集者は少ないのだそうだ。
つまり、職業選択が”自由”なので、給料が安い仕事を男性は”選ばない”。だから”結果的に”女性が就く事が多いという事らしい。
これは日本の芸術家についても同じ事が言える。
女性の場合、男性と違って自立して働かなくても最終的に嫁に行って孫の顔を見せてくれればいいと思われていた。中流家庭の手厚い保護の下で育った女性は思う存分「好きな事」ができる。被扶養者だからやりたい仕事が出来るのである。(ただし、これも80年くらいまでに生まれた女性の感覚であるように個人的には思う。)
そうした中産階級的な文化と対照的といえるのが、日本のパートタイム労働である。なるほど、確かに労働の対価が人間の価値を決めているわけだ。アメリカで低所得層の人(とくに有色人種)が保険を受けるために軍に入隊して、イラクやアフガンの前線に送られるという社会構造もこれに同じ。
男女平等、自由だから好きな職業に就ける、といった通念とはあまりにもかけ離れた現実がそこにはある。
実力があれば男女の差は関係ないと言っていても、実際には性別で仕事の内容が決まっている事が多い。
新卒採用で未知数の人間を値踏みしているにも関わらず、うちの会社は実力主義だなどと冗談のような発言をする企業家もいる。
ならば、来るもの拒まず一律インターンにすればいい。実現する意思があればこその理想である。理想に手垢をつけたくないならば、決して口には出さない事だ。
そういえば、『第四の手』の主人公は日本人の英語のイントネーションを笑いの種にしているような俗人だったが、前述の件も含めて、作者のアーヴィングは、その辺は皮肉たっぷりに、しかし実に中立的な視点で書いている。惜しいのは、小説自体が冗長であまり面白くない事なのだけど(翻訳のせいかもしれないが)。
・・・ぜんぜん関係ないが、民主党員がキャバクラの勘定を経費で落としていたのには呆れた。
しかし、鳩山総理の北海道の事務所の賃貸問題は総務省の指摘だそうだ。相場がいくらでも、誰がいくらでビルを貸そうが勝手なんじゃねーの?むしろ、官僚のほうがいつもそうやって談合まがいのことをしているのでは・・・「かんぽの宿」とか。
総務省の給与や退職金が、一般企業の従業員のものより多いから下げてくれ、と言ったら、総務省の官僚は、自分達の給料を下げて国民に還元してくれるのだろうか。
僕は、いま、期待している。
少しばかりアートをかじった事がある人間からすれば、痛快のひと言に尽きる描写ではある。
村上春樹のエッセイを読んでいると、ニューヨークの小説の編集者は女性が多い、という話をときおり目にする。それも既婚者。
理由は簡単で、広告収入がある雑誌と違って、小説の編集者は給料が安いから(らしい)。家族を食べさせる必要がある男性は、割にあう仕事をしなければいけない。だから男性の編集者は少ないのだそうだ。
つまり、職業選択が”自由”なので、給料が安い仕事を男性は”選ばない”。だから”結果的に”女性が就く事が多いという事らしい。
これは日本の芸術家についても同じ事が言える。
女性の場合、男性と違って自立して働かなくても最終的に嫁に行って孫の顔を見せてくれればいいと思われていた。中流家庭の手厚い保護の下で育った女性は思う存分「好きな事」ができる。被扶養者だからやりたい仕事が出来るのである。(ただし、これも80年くらいまでに生まれた女性の感覚であるように個人的には思う。)
そうした中産階級的な文化と対照的といえるのが、日本のパートタイム労働である。なるほど、確かに労働の対価が人間の価値を決めているわけだ。アメリカで低所得層の人(とくに有色人種)が保険を受けるために軍に入隊して、イラクやアフガンの前線に送られるという社会構造もこれに同じ。
男女平等、自由だから好きな職業に就ける、といった通念とはあまりにもかけ離れた現実がそこにはある。
実力があれば男女の差は関係ないと言っていても、実際には性別で仕事の内容が決まっている事が多い。
新卒採用で未知数の人間を値踏みしているにも関わらず、うちの会社は実力主義だなどと冗談のような発言をする企業家もいる。
ならば、来るもの拒まず一律インターンにすればいい。実現する意思があればこその理想である。理想に手垢をつけたくないならば、決して口には出さない事だ。
そういえば、『第四の手』の主人公は日本人の英語のイントネーションを笑いの種にしているような俗人だったが、前述の件も含めて、作者のアーヴィングは、その辺は皮肉たっぷりに、しかし実に中立的な視点で書いている。惜しいのは、小説自体が冗長であまり面白くない事なのだけど(翻訳のせいかもしれないが)。
・・・ぜんぜん関係ないが、民主党員がキャバクラの勘定を経費で落としていたのには呆れた。
しかし、鳩山総理の北海道の事務所の賃貸問題は総務省の指摘だそうだ。相場がいくらでも、誰がいくらでビルを貸そうが勝手なんじゃねーの?むしろ、官僚のほうがいつもそうやって談合まがいのことをしているのでは・・・「かんぽの宿」とか。
総務省の給与や退職金が、一般企業の従業員のものより多いから下げてくれ、と言ったら、総務省の官僚は、自分達の給料を下げて国民に還元してくれるのだろうか。
僕は、いま、期待している。
全ての悲しみが
やっとつながった。
皆さん投票行きましたか?
僕ももちろん行きました。
自民党と民主党しか候補者がいなかったのですが、なんか、民主党の候補者のマニフェスト(っていうのかなアレ)が党で出していたものをコピーしたようなものだったので、ちゃんと自分で考えて書いている人のほうがいいと思い、元ヘルパーという自民党の候補者に投票しました。なんとなく。
比例投票は民主党でしたよ。
結果として民主党が大勝したわけですけど、常識的な言い方になってしまいますが、日本が良くなってくれるといいですね。
で、さっそくですが、八ツ場ダムの工事について、現地での前原国交相の意見交換会の中止にあわせて報道がされていました。
マニフェストを読んだときは、僕は中止とどっちがいいのかわからないんで、地域住民の皆さんの了解の上で決まればいいと思っていたのですが・・・?
住民の皆さんは、前原氏の意見交換会はボイコットしたようです。しかし、前日行われた公明党の・・・誰かがでしゃばって先に意見交換会をしたらしいんですね。地元住民の行動は意に介せません。中止に反対ならば、なおさら前原氏との意見交換会に臨むべきだったでしょう。
しかも、何故わざわざ公明党と意見交換会を?
それはともかく、公明党との話の中では、ダムの着工が95年、「自社さ」の連立政権の頃で、当時のさきがけの幹事長が、えー、いまの鳩山首相で、前原氏も党にいたのに、今になって中止とはどういうことだと、地域住民の方がそうおっしゃっていたそうです。
それって、障害者自立支援法で障害者の生活が苦しくなったのは公明党の太田元代表のせいだと言っているようなものでは。
実際太田元代表のせいかもしれませんけど。
経緯からして八ツ場ダムの発案は自民党でしょう。「自社さ」の連立政権のあとで自公の連立政権に交代したときも、公明党はダムなどの自民党の公共工事の計画に乗っかっていただけでは?
つまり、自民党に乗っかっていたのは「社さ」も公明党も同じはずです。95年以前に公明党がダムの着工に賛成していたわけでもない。反対していてもいなかったかもしれませんが。
もう決まったことだからと、自分がほったらかしにしていた懸案事項に対して、選挙が終わってからいきなりのこのこ出て来るところなんて公明党らしいと思いましたね。要するに、工事を中止しても続行しても、公明党の思惑どおりという事ですよ。
住民の皆さんは、そんな人に会ってどうにかなると思っているのでしょうか。利用されているだけじゃないでしょうか?
公明党は選挙前、電車に女性車両を導入したとか、男女雇用機会均等法を作ったなどと党の成果を誇らしげに語っていました。
ですが、女性車両を設けたといっても男性車両はないですから、自由に車両を使えるのはむしろ男のほうじゃないですか。安全と引き換えに女性を拘束しているようなものです。
『守ってやるから黙って見てろ』というわけですね。
それに、男女雇用機会均等法が出来たせいで就職に弊害がある事も、公明党は率直に認めるべきでしょう。すなわち、募集人員で男女の区別をつけられなくなってしまい、結果的に男女間の就業格差が広がる、という指摘はたびたびされてきたという事です。
例えば、それまで求人広告に、「営業職 男2名 女1名」と書かれていたのが、改正後は「営業職 3名」と書かれるようになったため、不透明感が増し、場合によっては女性の就職が不利になった(この例ならば企業は男性3名でも採用できる)という具合に。
逆に非正規雇用の場合、「パート募集」と書いてある場合は求められている人材は主婦、「アルバイト募集」とあれば学生かフリーターといった暗黙のすみ分けもあります。
公明党の政治の成果とはそのようなものです。
問題の本質が分かっていないから、いつまでも根本的な解決が出来ないんです。
選挙の直後から、創価系の論壇がますますカルト化している気がします。先日、朝日新聞の社説に「公明党は財政がクリーン。自民党との連立を解消し、第3極の政党を目指せ」という趣旨の記事が載りましたが、それは創価系の雑誌の受け売りです。このように、創価学会の主張は放送局や出版社をまたぐので、よけい始末が悪い。
財政がクリーンと言ったって、税制上優遇されている宗教団体が本体なんだから当たり前じゃないですか。
クリーンどころか、一番卑怯な政党だといってもいいくらいです。
公明党が何かをしても喜ぶのは信者だけです。
世の中で不幸が増えれば、それだけ創価学会の信者の数は増えるでしょう。
何も解決しないままで、誰かを拝めば何とかなると思っている・・・そのことこそ問題ではないでしょうか。
皆さん投票行きましたか?
僕ももちろん行きました。
自民党と民主党しか候補者がいなかったのですが、なんか、民主党の候補者のマニフェスト(っていうのかなアレ)が党で出していたものをコピーしたようなものだったので、ちゃんと自分で考えて書いている人のほうがいいと思い、元ヘルパーという自民党の候補者に投票しました。なんとなく。
比例投票は民主党でしたよ。
結果として民主党が大勝したわけですけど、常識的な言い方になってしまいますが、日本が良くなってくれるといいですね。
で、さっそくですが、八ツ場ダムの工事について、現地での前原国交相の意見交換会の中止にあわせて報道がされていました。
マニフェストを読んだときは、僕は中止とどっちがいいのかわからないんで、地域住民の皆さんの了解の上で決まればいいと思っていたのですが・・・?
住民の皆さんは、前原氏の意見交換会はボイコットしたようです。しかし、前日行われた公明党の・・・誰かがでしゃばって先に意見交換会をしたらしいんですね。地元住民の行動は意に介せません。中止に反対ならば、なおさら前原氏との意見交換会に臨むべきだったでしょう。
しかも、何故わざわざ公明党と意見交換会を?
それはともかく、公明党との話の中では、ダムの着工が95年、「自社さ」の連立政権の頃で、当時のさきがけの幹事長が、えー、いまの鳩山首相で、前原氏も党にいたのに、今になって中止とはどういうことだと、地域住民の方がそうおっしゃっていたそうです。
それって、障害者自立支援法で障害者の生活が苦しくなったのは公明党の太田元代表のせいだと言っているようなものでは。
実際太田元代表のせいかもしれませんけど。
経緯からして八ツ場ダムの発案は自民党でしょう。「自社さ」の連立政権のあとで自公の連立政権に交代したときも、公明党はダムなどの自民党の公共工事の計画に乗っかっていただけでは?
つまり、自民党に乗っかっていたのは「社さ」も公明党も同じはずです。95年以前に公明党がダムの着工に賛成していたわけでもない。反対していてもいなかったかもしれませんが。
もう決まったことだからと、自分がほったらかしにしていた懸案事項に対して、選挙が終わってからいきなりのこのこ出て来るところなんて公明党らしいと思いましたね。要するに、工事を中止しても続行しても、公明党の思惑どおりという事ですよ。
住民の皆さんは、そんな人に会ってどうにかなると思っているのでしょうか。利用されているだけじゃないでしょうか?
公明党は選挙前、電車に女性車両を導入したとか、男女雇用機会均等法を作ったなどと党の成果を誇らしげに語っていました。
ですが、女性車両を設けたといっても男性車両はないですから、自由に車両を使えるのはむしろ男のほうじゃないですか。安全と引き換えに女性を拘束しているようなものです。
『守ってやるから黙って見てろ』というわけですね。
それに、男女雇用機会均等法が出来たせいで就職に弊害がある事も、公明党は率直に認めるべきでしょう。すなわち、募集人員で男女の区別をつけられなくなってしまい、結果的に男女間の就業格差が広がる、という指摘はたびたびされてきたという事です。
例えば、それまで求人広告に、「営業職 男2名 女1名」と書かれていたのが、改正後は「営業職 3名」と書かれるようになったため、不透明感が増し、場合によっては女性の就職が不利になった(この例ならば企業は男性3名でも採用できる)という具合に。
逆に非正規雇用の場合、「パート募集」と書いてある場合は求められている人材は主婦、「アルバイト募集」とあれば学生かフリーターといった暗黙のすみ分けもあります。
公明党の政治の成果とはそのようなものです。
問題の本質が分かっていないから、いつまでも根本的な解決が出来ないんです。
選挙の直後から、創価系の論壇がますますカルト化している気がします。先日、朝日新聞の社説に「公明党は財政がクリーン。自民党との連立を解消し、第3極の政党を目指せ」という趣旨の記事が載りましたが、それは創価系の雑誌の受け売りです。このように、創価学会の主張は放送局や出版社をまたぐので、よけい始末が悪い。
財政がクリーンと言ったって、税制上優遇されている宗教団体が本体なんだから当たり前じゃないですか。
クリーンどころか、一番卑怯な政党だといってもいいくらいです。
公明党が何かをしても喜ぶのは信者だけです。
世の中で不幸が増えれば、それだけ創価学会の信者の数は増えるでしょう。
何も解決しないままで、誰かを拝めば何とかなると思っている・・・そのことこそ問題ではないでしょうか。