落穂拾ひ
落穂拾ひ日あたる方へあゆみ行く 与謝蕪村(よさ・ぶそん)(1716~1783)
│おちぼひろい○│ひあたるほうへ│あゆみゆく○○│
季節は「落穂拾ひ」で秋(晩秋)です。
現代において「落穂拾ひ」という語が指示するのは、ミレーの有名な絵画なんでしょうね、そうですよね。
でも、もちろんこの発句の「落穂拾ひ」は、そうではありません。
落穂
稲を刈ったあとには金色の稲穂がこぼれる。貧者や手伝い人に落穂を与える風は各地に見られる。畦道に田の面に、老人・女・子供が出て「落穂拾」をする。
山本健吉『最新俳句歳時記』(文芸春秋刊)
たしか、白土三平『カムイ伝』では、落穂拾いは生活力のない農村の寡婦や老人にのみ許されていたはずです。
まあ、今で云う社会福祉かなぁ。
しゃかい‐ふくし【社会福祉】‥クワイ‥
国民の生存権を保障するため、貧困者や保護を必要とする児童・母子家庭・高齢者・身体障害者など社会的障害を持つ人びとに対する援護・育成・更生を図ろうとする公私の社会的努力を組織的に行うこと。生活保護法・児童福祉法・老人福祉法・身体障害者福祉法・精神薄弱者福祉法などによって国または地方公共団体が行うものと、社会福祉事業法により設立された社会福祉法人が行うものとがある。都道府県・市町村には行政機関として社会福祉事務所があり、社会福祉主事を置く。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
う~ん、やはりちょっと違うかな。
もちろん、当時は社会福祉なんていう概念は影も形もなかったのですが、弱者救済のシステムはそれなりに存在していたみたいですね、地域共同体の慣習として。
それはともかく、ミレーの絵画の美しさとはまったく異なる世界ですよね、この句。
足取りもおぼつかない老人や寡婦たちの、やつれた姿が立ち現れてきます。
晩秋の冷たい風が吹いているのでしょうか、無意識にわずかな暖かさを求めて一様に日のあたる方へ日のあたる方へと足が向くのでしょう。
悲惨と云えば悲惨なのだけれど、それでもそれは逆に云えばそこに生命力を、ぎりぎりの生命力を見て取ることもできるのではないでしょうか。
生きるためなりふり構わぬところにも、ある種の美しさはあるのではないか。
また、落穂拾という弱者救済のシステムじたいの、今日の社会福祉事業とは違った美しさも。
で、以上を念頭において次の発句をご覧ください。
身の程や落穂拾ふも小歌節 加藤暁台(かとう・きょうたい)(1732~1792)
|みのほどや○○|おちぼひろうも│こうたぶし○○|
こ‐うた【小歌】
①平安時代に五節(ごせち)で歌う女官の歌またはその役。実体は不明。上代より大歌所に伝習された大歌に対する語で、「琴歌譜(きんかふ)」に初見。
②室町時代に行われた庶民的な短詩型の歌謡。民間から出て上流にも流行し、「閑吟集」「隆達小歌集」などに集録。
③狂言の謡の一形式。文字を長々と引きのばし、上下になびかせる節でゆっくりした速度で謡う。なお狂言特有の歌謡のすべてを狂言小歌と呼ぶことがあるが、適切ではない。
④能の謡のうち、例外的な曲節で、民間流行の歌謡にもとづくもの。現行曲では多く数えても4ヵ所。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
落穂を拾う寡婦の一人が小歌を、口ずさんでいたのでしょうね。
民謡・労作歌のたぐいではなく、都会的な小歌②を。
その人は、農村から都市の商人か職人の家にでも嫁いでいたのでしょうか。
で、事情あって生まれ育った農村に帰って、いまは暮らしているのでしょう。
「身の程や」は、ここではそういう推測を指すのでしょうね。
「どんな身の上の人なんだろう」というような。
鄙びた悲惨な光景の中に聞こえる小歌の、そこにだけ都会の華やかささえ感じられます。
また、それゆえに、その両者の対比ゆえに、この光景はまた悲しい相貌を持たざるをえないとも云えます。
もう一句ご紹介しましょう。
痩臑に落穂よけ行く聖かな 高井几董(たかい・きとう)(1741~1789)
│やせずねに○○│おちぼよけゆく│ひじりかな○○│
ひ‐じり【聖】
(「日知り」の意)
①日のように天下の物事を知る人。一説に、日を知る人、天文暦数に長ずる人の意とする。聖人。
②天皇。万葉集1「橿原の―の御世ゆ」
③物事にすぐれた人。古今和歌集序「歌の―なりける」
④神仙。仙人。垂仁紀「是の常世の国は神仙ひじりの秘区かくれたるくに」
⑤清酒の異称。万葉集3「酒の名を―と負おおせし古昔いにしえの大き聖の言ことのよろしさ」
⑥高徳の僧。源氏物語鈴虫「仏に近き―の身にて」
⑦官僧以外、一般の僧の称。また、寺院に所属せず、ひとり修行している隠遁僧の称。上人。宇津保物語蔵開中「われは―になりにたれ」。「空也―」
⑧高野聖こうやひじりの略。
⑨(その姿が高野聖に似ているから) 呉服などを背負った行商人。浮、新著聞集「尭順といふ商ひ―あり」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
この「聖」は、脈絡から見て⑦“寺院に所属せず、ひとり修行している隠遁僧”でしょうね。
日々の糧を乞食によって得る、やはりぎりぎりのところで生きている聖なのだけど「落穂拾」の意味は心得ていて“痩臑”つまり自身も飢えてはいるのだけれど慎重に“落穂よけ行く”のですね。
これはちょっと、胸打たれる感動的な光景ですよね。
聖は痩臑と形容されるほど飢えていても、落穂に手を出すことはない。
それほど確固たる弱者救済のシステムだったのでしょう、「落穂拾」は。
さて、蕪村、暁台、几董、三者の発句は、同じ一つの光景に重ねあわすことができそうですよね。
落穂拾ひ日あたる方へあゆみ行く 蕪村
身の程や落穂拾ふも小歌節 暁台
痩臑に落穂よけ行く聖かな 几董
どうでしょうか。
これらを、同一の光景を異なる視点から詠んだものと考えても、違和感はまったくありません。
これは「落穂拾」という対象の把握が、三者ほぼ同じだからなんですね。
というか、三者は「落穂拾」を現実の対象として確実に捉えていたのでしょうね。
「落穂拾」は、和歌にはほとんど詠まれていないようです。
よって、伝統に裏打ちされた本意は存在しないのですが、この三句を見ていると「落穂拾」の本意はおのずと示されてくるのではないでしょうか。
現在、この意味での「落穂拾」を見かけることは皆無です。
ミレーの有名な絵画によって、かろうじて「落穂拾」という語が残りつづけているだけです。
「落穂拾」が弱者救済のシステムとしてあたりまえに機能していた世界は、もうどこにも存在しないのですけれどね。
ただ、発句によってそういう世界への通路はいつでも開かれているのではないか、私はそう思っています。