俳諧伝授 -38ページ目

“雁は、二月のなかばにかへりて、八月なかばにくるといへり”


訳:雁は、陰暦二月の半ばに帰って、陰暦八月半ばに来ると(昔から)云っている。


“猶、十五夜の月によみ合せたる歌もあり”


訳:なお、十五夜の月に読み合わせている歌もある。


“雁の玉づさと云うは、雁のとびつらねたるが文字のかたちに似る也”


訳:雁の玉章(たまずさ 手紙)と云うのは、雁が連なって飛ぶ様子が文字の形に似るからである。


“又、たが玉づさをかけてきつらんといふは、もろこしの蘇武といふもの胡国にとらはれし時、雁がねのあしに文つけて古郷にことづてし事あり。此の古事よりいへる也”


訳:また、「たが玉づさをかけてきつらん(誰が玉章を掛けてきたのだろう)」と云うのは、唐土の蘇武(そぶ)という者が胡国(北狄 ほくてき)に囚われた時、雁の足に手紙を着けて古郷に伝言したことがある。この古事から云っているのである。


かり‐の‐つかい【雁の使】‥ツカヒ
[漢書蘇武伝](前漢の蘇武が匈奴に使者として行き久しく囚われた時、蘇武を帰国させるために、「蘇武からの手紙が天子の射止めた雁の脚に結ばれていた」と使者に言わせて交渉したという故事から) 消息をもたらす使いの雁。転じて、おとずれ。たより。手紙。消息。雁書(がんしよ)。万葉集8「九月(ながつき)のその初―にも思ふ心は聞え来ぬかも」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


“かりがねとよむは、雁が音といふ心也”


訳:カリガネと読むのは、雁の鳴声という意味である。


“よつて古歌にも、はつかりがねぞきこゆなるといへるは、雁がねを音に用いたり。”


訳:よって古歌にも、「はつかりがねぞきこゆなる」と云っているのは、カリガネを鳴声に用いている。(かりがね=雁の鳴声)


“又、かりがねといひて、又声とよめる歌もおほし”


訳:また、カリガネと云って、再び声と詠んでいる歌も多い。(たとえば「かりがねの声」の類)


“此時は、かりがねは、只雁といふ心也。音の心なし”


訳:このときのカリガネは、ただの雁という意味である。鳴声の意味ではない。(かりがね=雁)


“雁のつらといふは、つらなる心也”


訳:「雁のつら」というのは、(雁が)連なる意味である。


“衣かりがねといふは、秋寒き比きたれば、衣を借と秀句にいふ也”


訳:「衣かりがね」というのは、秋も寒い頃になって来たなら、衣を借ると秀句(特定の和歌的表現)に云うのである。(「かりがね」の「かり」と借りることの意の「借り」の掛詞)


(中略)


“雁の歌は、大体、景気の歌也”


訳:雁の歌は、ほとんど景気の歌である。


けい‐き【景気】
③和歌・連歌・俳諧で、景色や情景をありのままに詠んだもの。景曲。景気付け。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


“されど、夜ふかき空、ねざめの床に声を聞きて感をもよおす心をもよめり”


訳:けれども、夜も深まった空や、寝覚めの床に鳴声を聞いて感興を引き起こす事情をも詠んでいる。

“又、いつしかと待えたる心も相応也”


訳:また、いつの日か・いつかはと待ちえた情趣もふさわしいのである。


(後略)


有賀長伯『初学和歌式』にある「雁」の本意の記述です。


いろいろ書いてありましたが、長伯が最後のほうに記している、


“雁の歌は、大体、景気の歌也。されど、夜ふかき空、ねざめの床に声を聞きて感をもよおす心をもよめり。又、いつしかと待えたる心も相応也”


が、およそ雁の本意の要(かなめ)と云っていいでしょう。


長伯が参考にしたと思われる歌を一首挙げておきます。


秋風にはつかりがねぞきこゆなる
   たが玉づさをかけてきつらん  紀友則
(き-の-とものり)


│あきかぜに○○│はつかりがねぞ│きこゆなる○○│たがたまづさを│かけてきつらん│


「たが玉づさをかけてきつらん」も「はつかりがねぞきこゆなる」も、この歌から引かれたもののようですねぇ。


雁の本意は判ったとして、なぜ秋の季語なんでしょうか。


“連俳で雁を秋に定めているのは、遠来の客の訪れを待つ伝統を引き、鳴く音はその訪れのしるしとして賞美された。雁は鴨と同じく、秋来て春帰って行く鳥だが、その出現の時を以って季としている例は多く、燕、蛙、蝶などが春季とされているのと同じく、初雁の時期を以って秋とした”山本健吉『基本季語五〇〇選』(講談社学術文庫)


長伯の“又、いつしかと待えたる心も相応也”、山本の“遠来の客の訪れを待つ伝統”も、同じようなことを云っています。


待つがゆえに、初めて飛来した初雁の印象深さ、その感動、ゆえに「初雁の時期を以って秋とした」のでしょうね。


ちなみに、春になって北方へ帰る頃の雁には以下の春の季語があります。


帰雁(きがん)
傍題:雁の別れ・名残の雁・いまわの雁・帰る雁・行く雁・春の雁・(残る雁)。(傍題の雁はいずれもカリと読む)


先日お届けした闌更の発句「月ひら/\落来る雁の翅かな」も、雁の本意を念頭にして読めば、また違った趣きが出てきますよね。


この句の情景には「いつしかと待えたる心」というのが響き渡っているのでしょう。


落雁の発句を、もうひとつご紹介しましょう。


初雁や北斗と落つる水のうへ  大島蓼太(おおしま・りょうた)(1718~178)


│はつかりや○○│ほくととおつる│みずのうえ○○│


「北斗」は、北斗七星のことです。


月下ならぬ星空を背景の落雁です。


「北斗と落つる」の「北斗と」が素晴らしい描き方ですよね。


この「と」は「と共に」でしょうから、次々に舞い降りる雁と北斗七星が文字通り綺麗に重なって見えてきます。


晩秋の季節感がよく出ていますよね、思わず肌寒さを感じてしまうんじゃないでしょうか。


雁の発句をもう少しご紹介しておきましょうか。


雁の腹見すかす空や船の上  宝井其角(たからい・きかく)(1661~1707)


│かりのはら○○│みすかすそらや│ふねのうえ○○│


船上から見上げる雁ですね。


「見すかす」が上手いですね、これで夜の景だというのが自然に判るし、見すかす者の所作まで描き出されてきますよね。


「腹」と、具体的な部位を指示したのもいいですよね。


雁がねの竿になるとき猶さびし  向井去来(むかい・きょらい)(1651~1704)


│かりがねの○○│さおになるとき│なおさびし○○│


カリガネ=雁の例です。


カリガネ=雁ではあるのですが、カリガネと詠まれるとなんとなく鳴声が聞こえてくるような気がするから不思議です。


「竿になるとき」は、幾つもの群れが横一列になって見えるほど遠ざかったとき、でしょうね。


雁が目的の池や沼に向かって飛んでゆくのを、平野で見送っているのでしょう。


「猶さびし」は「いつしかと待えたる心」ゆえなんでしょう。


荒磯や初雁渡るしほけぶり  三浦樗良(みうら・ちょら)(1729~1780)


│あらいそや○○│はつかりわたる│しおけぶり○○│


「しほけぶり」は「潮煙」です。


この句は、構図がいいですね。


まるで、大胆な浮世絵のような構図です。


潮煙が立つほど風があるんでしょうね。


長い旅をして、やっと渡ってきた雁が、風の中最後の力を振り絞って越冬地を目指して渡って行くのでしょう。


力強く逞しい雁です、けれど、やはりどこか健気で感動を誘いますよね。


とりあえずこんなところでしょうか。


なお、いずれの発句にも雁の本意が様々な形で響き渡っているのは、いうまでもありません。