歌仙「灰汁桶の」の巻 3
か‐せん【歌仙】
①和歌に秀でた人。六歌仙・三十六歌仙など。
②和歌の三十六歌仙に因んで三十六句から成る連歌・俳諧の形式。最初は連歌で三十六歌仙の名を句ごとに詠みこんだが、後には単に句数三十六あるものを指し、蕉風以来俳諧の代表的形態となった。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
では、序破急の序(導入部・事なくすらすらと)にあたる初折の表六句を、読んでみることにしましょう。
初折の表
1)灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す 凡兆(秋)(発句)
2) あぶらかすりて宵寝する秋 芭蕉(秋)(脇)
3)新畳敷ならしたる月かげに 野水(秋)(第三)(月の句)
4) ならべて嬉し十のさかづき 去来(雑)
5)千代経べき物を様/〟\子日して 蕉(春) 月の定座
6) 鶯の音にたびら雪降る 兆(春)
(発句)灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す 凡兆
|あくおけの○○|しずくやみけり|きりぎりす○○|
季節は「きり/〟\す」で秋。よって、実際にこの歌仙が興行されたのも秋ということになります。
以前お話したように、この句の「きり/〟\す」は、コオロギ、正確にはツヅレサセコオロギのことでしたね。
“連俳の作例は、多く天明以前はこおろぎ、以後今言うきりぎりすとなったようだ”
山本健吉『基本季語五〇〇選』(講談社学術文庫)
全体を意訳すると、
灰汁桶の雫が止んだな(といま気づいた)‥‥コオロギ(が、鳴いている)
です。
きり/〟\す(コオロギ)、雫、やみけり(止みけり)、この句の脈絡において、これらの意味は鮮明ですよね。よって、難なく像を描くことができるだろうと思います。
問題は灰汁桶。
灰汁桶、いまどき目にする機会なんてありませんよね。私も見たことがありません。
灰汁桶という語のみで像を描けと云われても、ちょっと途方に暮れてしまいます。
桶はどうでしょう?清酒とか漬物なんかの器としてなら、今も使われていますよね。とりあえず桶はOKとしましょうか。プラスチックの桶もあるけれど、ここでの灰汁桶は木製です。描像よろしいでしょか。
灰汁は、
あく【灰汁】
①灰を水に浸して取った上澄みの水。炭酸・アルカリ等を含み、汚れの洗い落し、染色などに用いる。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
です。まあ、専門の染物屋さんでないかぎり、一般には“汚れの洗い落し”つまり今の洗剤と同じように使われていたのでしょう。
木を燃やしたあとの灰を水に入れてかき混ぜ、しばらく置いておくと、はじめ濁っていた灰と水の混合物は、水より比重の大きな固形物・粒子は底に沈み、透き通った液体部分と沈殿着底した固形物・粒子の層に分離します。この透明な部分を「上澄み」と云って、こうしてできた灰と水の混合物の上澄みが、灰汁です。
こうやって上澄みを採るのは、灰汁の簡便な製造法で、これなら私もやったことがあります。
けれど、この制法は固形物を沈殿させるまでに時間がかかって、あまり効率の良いやりかたとは云えません。
もっと手っ取り早く灰汁を取り出す装置が、すなわち灰汁桶です。
これ、一種の濾過器なんでしょうね。
灰と水を混ぜ合わせたものを上から入れると、下の出口から灰汁が出てくる。そういう便利な灰汁製造器、それが灰汁桶です。
洗剤代わりに灰汁を使っていた時代ですから、こういう効率の良い装置が一般的に普及していたのでしょうね。
私、灰汁桶じたいは見たことないのですが、同じ原理で飲料水を濾過する装置は見たことあります。おそらく形状もほとんど同じだったのではないかなぁ。
上水道の普及以前、私たちの飲料水は井戸水でした。
井戸水は水脈によって、水質の良し悪しがありました。その家の敷地に、かならず質の良い水が出るとは限りません。
で、水質の良くない井戸水は専用の濾過器で濾して、飲料水として利用していました。近所にそういう家があって、水を濾過する桶状の濾過器を知っているのです。
こうやって濾過した水を「濾水(こしみず)」と云います。
構造としてはいたって単純、桶の底部の側面に穴を開け管を通し、濾水の流出口にします。
桶には底から、シュロの皮、木炭、砂、小砂利、砂利の順でそれらが重なって層を成すように敷き詰めて行きます。上部から水を入れると、砂利、小砂利、砂、木炭、シュロの皮というふうに逆にたどって濾過され、木炭で臭いも吸着され、飲料水として利用可能な澄んだ濾水が底部の管から出てきます。
灰汁桶って、ほとんどこれだよね。同じ桶を使った濾過装置なんだから。
管から出た水は、バケツに受けるのですが、このとき、じょ~~~~って独特の音がしたのを今でも覚えています。で、桶の中の水が残り少なくなると、雫がぽたぽたと‥。
どうだろう?「灰汁桶の雫やみけり」の像が描けましたでしょうか?
全体の位置関係を見るなら、灰汁桶が設置されているのは土間か屋外だったでしょう。なぜなら、洗濯や炊事といった家事をする場所は、たいてい土間か屋外だったのですから。
ど‐ま【土間】
①家の中で、床を張らず地面のまま、または、たたきになった所。土場。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
江戸期はもちろん、昭和四十年代くらいまで、この習慣は残ってたんじゃないかなぁ。
それはともかくとして‥ですから、発句を詠んだ凡兆は、屋内に居て灰汁桶の音を聞いていたのでしょうね。そういう位置関係ですよね、この句が描く像は。凡兆は屋内に居て灰汁桶は土間か屋外にあった。
同席した芭蕉たちも、もちろん灰汁桶がいかなるものであるか知っていただろうし、ひょっとするとこの歌仙が巻かれたと思われる無名庵にもそれがあって、実際に灰汁が製造されるのを見かけたり、その音を聞いていたのかもしれません。
「灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す」と、発句が披露されたとき、もし連衆もその日灰汁桶が使用されるのを見ていたら、その音を聞いていたら、この発句による座の一体感を生む効果は、絶大なものだったのではないでしょうか。
少なくとも同席した連衆たちにとって、灰汁桶という対象は共有され、たちまち鮮明な像を描くものだったに違いありません。
それに「灰汁桶」って、実に俳諧らしいじゃありませんか。
『去来抄』に“詩・歌・連・俳はともに風雅なり。上三のものには余す所も、その余すところまで俳はいたらずといふ所なし“とあります。
漢詩、和歌、連歌、俳諧、これらは同じく風雅と呼べるものである。が、上三つのもの(漢詩・和歌・連歌)が対象とせず、したがってそれらが詠まない領域も、俳諧は余すところなく対象として詠み、詠まないという領域はない。
「灰汁桶」なんて漢詩、和歌、連歌では金輪際詠まない対象、領域だよね。
しかも俳諧は、詩・歌・連が詠み残した領域を、ただ単に詠むだけではありません。
“詩・歌・連・俳はともに風雅なり”
つまり、詩・歌・連の詠まない、詠み残した領域、それを詩・歌・連と同じ芸術的高さにおいて詠む、これが俳諧です。
とくに蕉風の俳諧はそうです。芭蕉にとって風雅=俳諧だったのですね。
日常的だし、身も蓋もない実用のものだし、俗だよね「灰汁桶」なんてものは。
けれども、その俗を雅の把握で詠む。
雅俗の調和。雅俗の止揚。
それが俳諧なんです。
「灰汁桶」なんて俗なものを「の雫やみけり」と、音声に着目して詠む。「きり/〟\す」なんていう和歌にも詠まれた雅を取り合わせる。
これが、この発句の俳諧、蕉風の俳諧なんだよね。
あれ?話が飛躍しすぎてます?
脱線したかな?
まあいいや、とりあえず今回はこのあたりで‥。
次回につづく、ということにしましょう。