俳諧伝授 -30ページ目

歌仙「灰汁桶の」の巻 5

初折の表(序破急の序:導入部・事なくすらすらと)
1)灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す  凡兆(秋)(発句)
2) あぶらかすりて宵寝する秋    芭蕉(秋)(脇)
3)新畳敷ならしたる月かげに     野水(秋)(第三)(月の定座)
4) ならべて嬉し十のさかづき    去来(雑)
5)千代経べき物を様/〟\子日して   蕉(春)(通常の月の定座)

6) 鶯の音にたびら雪降る       兆(春)



(発句)灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す  凡兆
(脇 ) あぶらかすりて宵寝する秋    芭蕉


前回、発句に脇が付きました。


庭にしつらえられた蹲(つくばい)に樋から落ちる雫の風流な音などではなく、ほかでもない日常生活において汚れ落としに使う灰汁、「灰汁桶」によって濾された灰汁のたてる音、その「雫」が止んで、あたりは「きり/〟\す」の鳴声に包まれる。雫が止んだことに気づいたその時、その静寂の一瞬「きり/〟\す」の鳴声にもまた、気づいたのでしょう。「けり」は句全体に響き渡っています。


「あぶらかすりて宵寝する」なかでも「あぶらかすりて」によって視覚は閉ざされ、つい先ほどまでしていた灰汁の「雫」がたてた音の残響の中に「きり/〟\す」の鳴声・聴覚がよりいっそう際立ちます。


蕉風の閑寂、わび・さびの世界です。


音声を描きつつ、なんともの静かな淋しい世界なんでしょうね。


風雅ですよね、「灰汁桶」なんていう俗が、発句と脇によって描き出される状況に置かれてみると。


“詩・歌・連・俳はともに風雅なり。上三のものには余す所も、その余すところまで俳はいたらずといふ所なし“『去来抄』


さて、第三です。


(第三)新畳敷ならしたる月かげに     野水


│あらだたみ○○│しきならしたる│つきかげに○○│


「月」は秋です。


通常、月の定座(じょうざ)は初折の五句目なのですが、発句の季が秋であるという流れ、脇を付けた芭蕉が「あぶらかすりて宵寝する」と、月の句が出やすいように配慮し誘っていること、月は「出るにまかせる」ものであること、などによりこの歌仙では第三に月が出てしまいました。よって、この第三が月の定座になります。


これはもちろん、脇と合わせて、


(第三)新畳敷ならしたる月かげに     野水
(脇 ) あぶらかすりて宵寝する秋    芭蕉


という一首の歌として意識されています。


まあ、


(脇 ) あぶらかすりて宵寝する秋    芭蕉
(第三)新畳敷ならしたる月かげに     野水


でもいいのですけどね、野水としては芭蕉の脇を歌の下の句にして上の句を付けたわけですから。


俯瞰してみると、


(発句)灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す  凡兆
(脇 ) あぶらかすりて宵寝する秋    芭蕉


から、


(第三)新畳敷ならしたる月かげに     野水
(脇 ) あぶらかすりて宵寝する秋    芭蕉


へと、詩の世界が展開したことになります。


意訳しておきましょう。


新しい畳を敷き並べた平らな平面に月光が降り注いでいる、その中で。
 (行灯の)油を(継ぎ足さないで)からにして宵の内から早寝する秋(なのである)


こんな感じかな。


いやあ、この変化、唸らされますねぇ。聴覚から嗅覚へ、ですねぇ。


新しい畳って、独特の芳(かんば)しい匂いがしますよね。それが敷き詰められた部屋は、芳香に満たされます。そういう部屋に月光が差しているんですね。ほんと気持ちよく寝られそうですよね。「新畳」の「新」が、二句全体に響き渡っているんですね。


ここでの「月かげ」は、「宵寝する」ですから視覚というよりむしろ肌に降り注ぐ触覚なのかもしれません。


清澄な「月かげ」(月光)と芳しい「新畳」は、見事な取合せです。


発句を受けて、その聴覚を際立たせて脇を付けた芭蕉の驚き、解りますよね。


聴覚から嗅覚への変化はもちろん、両者の表情で云うと、発句-脇の閑寂な世界が、喜びや充実の香る世界へとすっかり変転させられてしまいました。


野水も、芭蕉の誘いに間髪を容れず、よく応答していますよね。