俳諧伝授 -31ページ目

歌仙「灰汁桶の」の巻 4

初折の表(序破急の序:導入部・事なくすらすらと)


1)灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す  凡兆(秋)(発句)
2) あぶらかすりて宵寝する秋    芭蕉(秋)(脇)
3)新畳敷ならしたる月かげに     野水(秋)(第三)(月の句)
4) ならべて嬉し十のさかづき    去来(雑)
5)千代経べき物を様/〟\子日して   蕉(春) 月の定座
6) 鶯の音にたびら雪降る       兆(春)



(発句)灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す  凡兆


|あくおけの○○|しずくやみけり|きりぎりす○○|


発句は、現実と詩の世界を繋ぐ通路です。「灰汁桶」に象徴される現実の俗世界に「雫やみけり」と別れを告げ「きり/〟\す」に代表される雅な詩の世界に、これから分け入って行くわけです。


(脇)あぶらかすりて宵寝する秋    芭蕉


│あぶらかすりて│よいねするあき│


「あぶら」は油。室内照明の行灯(あんどん)の燃料ですね。


「かすりて」って、つまり「あぶら」をどうするのでしょう?


かす・る【掠る・擦る】
《他五》
①軽く触れる。わずかに触れて過ぎる。「腕を―・る」
②ほのめかす。諷する。浄、心中万年草「その人の名は言ひかねて、思ふあたりを―・らする」
③底などをさらう。容器をからにする。傾城禁短気「夕に米唐櫃(こめがらと)を―・り、朝に薪たえて」
④文字などをかすり筆で書く。
⑤かすめ奪う。うわまえをはねる。誹風柳多留2「そば切りのあかりを―・る夜蛤」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


語は命題の中でしか意味を持ち得ない。まさにウィトゲンシュタインの云うとおりですね、命題としてのの脈絡がなければ、語は意味を確定できません。


「かする」も、置かれる脈絡の違いでこんなに多彩な意味を生み出すのですねぇ。


「かすりて」ここでは③「容器をからにして」でしょうか。つまり、油を継ぎ足さないということですね。


「宵寝する」は宵の内から寝る。早寝する。です。


意訳しておきましょう。


(行灯の)油を(継ぎ足さないで)からにして宵の内から早寝する(ような)秋(なのである)


この句は発句に付けたのですから、


灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す  凡兆(発句)
 あぶらかすりて宵寝する秋    芭蕉(脇 )


と、長短二句でひとつの世界を描くことになります。「付け合い」のはじまりですね。


灰汁桶の雫が止んだな(といま気づいた)‥‥コオロギ(が鳴いている)
 (行灯の)油をからにして宵の内から早寝する(ような)秋(なのである)


さすが芭蕉です。うまく付けてますよね。


このまま素直に受け取ってもいいのですけど、宵寝しちまってどうするんだろう?って思わず云いたくなりませんか。


この句の主語にあたるような人物、ほんとに寝てしまったのでしょうか?秋の夜長に?


詩歌というのは、初句から順に時間が経過するものなのでしょうか。そんなことはありませんよね。これ、発句と脇の時間的順序を入れ替えるとどうなんだろう。


(行灯の)油を(継ぎ足さないで)からにして宵の内から早寝する(ような)秋(なのである)


で、寝ようと思って寝床に入った。


行灯の油が燃え尽きて、辺りは暗闇です。こういう場面ってしばしば聴覚が冴え渡るってことありませんか。闇の中で視覚が封じられ聴覚が鋭敏になる、なんてことはよくありますよね。そこでこの発句の状況がおとずれるのです。


灰汁桶の雫が止んだな(といま気づいた)‥‥コオロギ(が鳴いている)


どうでしょうか。発句と脇の時間順序を入れ替えると、発句の「灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す」が、よりくっきりと立ち現れてきませんか。


灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す  凡兆(発句)
 あぶらかすりて宵寝する秋    芭蕉(脇 )


ここでの時間順序は、脇が先で発句が後。そう読むと、この長短二句はがぜん輝きを増すと思いませんか。


でないと、脇は単なる発句の背景説明にすぎなくなるのではないでしょうか。


凡兆はふつうに室内に居ての視覚もふつうに効いている状態での「灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す」の吟だったのでしょう。


が、芭蕉が「あぶらかすりて宵寝する秋」という脇を付けた途端、たちまち視覚は閉ざされ、聴覚のみが際立った世界へと世界は変化したのです。しかも時間の逆転した。


この驚きですね。当座における俳諧の魅力・面白さは。次句を付けられた前句の作者の驚き。


自分の描いた世界が、次句が付けられることによって、ガラリと変わる。この変化の意外性。思っても見なかった世界が、そこに出現する驚異。


いままでの専門家、俳諧研究者や俳人たちは、俳諧の外に立ち、いわば神の視点から俳諧を眺め、鑑賞してきました。


でもねぇ、当座の人間にそんな芸当が可能だったでしょうか。無理でしょうね。


当座の連衆は、文字通り俳諧の中に居たのですから。


俳諧のほんとうの魅力は、前句の作者の立場に立ってこそ。次句を付けられた前句の作者の立場に立ってはじめて、俳諧はその魅力をのぞかせるのです。


というわけで、なるべく前句の作者の立場に立ち、この歌仙を味わってみることにしましょうね。


で、次は第三です。第三の前句は脇?いえそうではありません。


俳諧は長短あるいは短長の二句で一つの世界を描き出します。


よって、第三の前句は、


灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す  凡兆(発句)
 あぶらかすりて宵寝する秋    芭蕉(脇 )


という二句の描く世界、ということになります。


ですから発句はやはり特別なんですね。発句には前句がありません。発句は発句単独でひとり立ちしなければならない。発句はそれのみで完結した世界を描かなければならないのです。


たとえそれが17音という小さな器であったとしても。