歌仙「灰汁桶の」の巻 7
初折の表(序破急の序:導入部・事なくすらすらと)
1)灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す 凡兆(秋)(発句)
2) あぶらかすりて宵寝する秋 芭蕉(秋)(脇)
3)新畳敷ならしたる月かげに 野水(秋)(第三)(月の定座)
4) ならべて嬉し十のさかづき 去来(雑)
5)千代経べき物を様/〟\子日して 蕉(春)(通常の月の定座)
6) 鶯の音にたびら雪降る 兆(春)
新畳敷ならしたる月かげに 野水
ならべて嬉し十のさかづき 去来
新しい畳を敷き並べた平らな平面に月光が降り注いでいる、その中に。
十個の盃を並べて、嬉しいものだなぁ。
野水の前句に付けることによって描かれた去来の世界、いかがでしたでしょうか。
初折の表、五句目に移りましょう。
千代経べき物を様/〟\子日して 芭蕉
│ちよふべき○○│ものをさまざま│ねのびして○○│
季節は「子日」で、春(新年)です。(陰暦の正月は春の初め。「子の日月」は正月の異称でもあります)
この句には、ふまえられたとされる西行の歌がありますので、挙げておきます。
千世経べき物をさながら集むとも
君が齢を知らんものかは 西行(『山家集』)
│ちよふべき○○│ものをさながら│あつむとも○○│きみがよわいを│しらんものかは│
これから千年の年月を送るであろう物を残らず集めたとしても、今上天皇の齢(生れてからこの世に生きている間)を知ることなど到底できそうにありません。
ね‐の‐ひ【子の日】
(ネノビとも)
①「子の日の遊び」の略。宇津保物語嵯峨院「御―がてらも参り給へかし」
②「子の日の松」の略。後拾遺和歌集雑「君が植ゑし松ばかりこそ残りけれいづれの春の―なりけむ」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
「子日」は、子の日(ネノビ)が根延び(ネノビ)に通じるところから、正月初の子の日に野辺に出て根のついた小松を抜き、息災・長寿を祈る(予祝する)宮中の行事でしたが、近世には広く一般の習俗になったということです。松・竹・梅は、長寿を象徴するものですよね。千年を生きると云われる松の長寿に、あやかろうというわけです。「子日」は、「小松引き」「子の日の遊」「子の日の宴」「初子(はつね)」とも云われたようです。
「様/〟\」というのは、松以外のいろいろな物「若菜」を指すのでしょうね。
わか‐な【若菜】
②古代、宮中で、正月の初の子(ね)の日に、内蔵寮・内膳司からその年の7種の新菜を羹(あつもの)として奉ったもの。万病を除くといわれ、後に7日の行事となった。ななくさ。土佐日記「七日になりぬ。…―ぞ今日をば知らせたる」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
前句と合わせ、
5)千代経べき物を様/〟\子日して 蕉
4) ならべて嬉し十のさかづき 去来
意訳すると、
長寿を保つとされるめでたい品々をあれこれ取り集め、子の日の祝いをして。
(祝いの宴には)十個の盃を並べて、嬉しいものだなぁ。
でしょうか。
新畳の芳香、月光の降り注ぐ中の打ち解けた身内の酒宴が、長寿を祈るめでたい行事へと変身してしまいました。
3)新畳敷ならしたる月かげに 野水
4) ならべて嬉し十のさかづき 去来
5)千代経べき物を様/〟\子日して 蕉
4) ならべて嬉し十のさかづき 去来
異なる脈絡に置かれて「嬉し」のニュアンスが変化し、「十のさかづき」には格式のある表情が出てきました。西行の歌を念頭にすると、雅な感じさえしてきます。この変化を最も身をもって感じることのできるのが、芭蕉に次句を付けられた去来ですね。‥この驚き。
さて初折の六句目、折端(おりはし)です。序破急の序の最終句ですね。
鶯の音にたびら雪降る 凡兆
│うぐいすのねに│たびらゆきふる│
季節は「鶯」で春です。
この句にも先行する西行の歌
子日しに霞たなびく野辺に出て
初鶯の声を聞つる 西行(『山家集』)
│ねのひしに○○│かすみたなびく│のべにいでて○│はつうぐいすの│こえをききつる│
子の日をしようと霞がたなびく野辺に出たところ、予想すらしなかった鶯の初音を聞いてしまったことよ。
が、あります。
たびら‐ゆき【たびら雪】
(ダビラユキとも) 春近くに降るうすくて大片の雪。だんびら雪。猿蓑「鶯の音に―降る」(凡兆)
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
前句と合わせて、
千代経べき物を様/〟\子日して 蕉
鶯の音にたびら雪降る 兆
意訳すると、
長寿を保つとされるめでたい品々をあれこれ取り集め、子の日の祝いをして。
(外には)鶯の初音が聞こえ、(まるでそれに応じるように)たびら雪が降っている。
でしょうか。
「十のさかづき」屋内から、「鶯の音」「たびら雪」屋外へ視線が移りました。
5)千代経べき物を様/〟\子日して 蕉
4) ならべて嬉し十のさかづき 去来
5)千代経べき物を様/〟\子日して 蕉
6) 鶯の音にたびら雪降る 兆
西行の歌をふまえた芭蕉の吟に、西行の歌を念頭に置いた凡兆の吟。これも間髪を容れない応答ですよね。西行を慕って止まなかった芭蕉にすれば、思わず笑みのこぼれる付け合いだったでしょう。
この句で初折の表、つまり一巻構成上の序破急の序が終わって、序破急の破に移ることになります。ここで視線を屋内から屋外へ移動させたのは、心憎いまでの配慮ですよね。発句から五句目まで屋内の句が続いていましたので、この転換は見事と云うしかありません。