俳諧伝授 -28ページ目

歌仙「灰汁桶の」の巻 7

初折の表(序破急の序:導入部・事なくすらすらと)


1)灰汁桶の雫やみけりきり/〟\す  凡兆(秋)(発句)
2) あぶらかすりて宵寝する秋    芭蕉(秋)(脇)
3)新畳敷ならしたる月かげに     野水(秋)(第三)(月の定座)
4) ならべて嬉し十のさかづき    去来(雑)
5)千代経べき物を様/〟\子日して   蕉(春)(通常の月の定座)

6) 鶯の音にたびら雪降る       兆(春)



新畳敷ならしたる月かげに     野水
 ならべて嬉し十のさかづき    去来


新しい畳を敷き並べた平らな平面に月光が降り注いでいる、その中に。
 十個の盃を並べて、嬉しいものだなぁ。


野水の前句に付けることによって描かれた去来の世界、いかがでしたでしょうか。


初折の表、五句目に移りましょう。


千代経べき物を様/〟\子日して  芭蕉


│ちよふべき○○│ものをさまざま│ねのびして○○│


季節は「子日」で、春(新年)です。(陰暦の正月は春の初め。「子の日月」は正月の異称でもあります)


この句には、ふまえられたとされる西行の歌がありますので、挙げておきます。


千世経べき物をさながら集むとも
     君が齢を知らんものかは  西行
(『山家集』)


│ちよふべき○○│ものをさながら│あつむとも○○│きみがよわいを│しらんものかは│


これから千年の年月を送るであろう物を残らず集めたとしても、今上天皇の齢(生れてからこの世に生きている間)を知ることなど到底できそうにありません。


ね‐の‐ひ【子の日】
(ネノビとも)
①「子の日の遊び」の略。宇津保物語嵯峨院「御―がてらも参り給へかし」
②「子の日の松」の略。後拾遺和歌集雑「君が植ゑし松ばかりこそ残りけれいづれの春の―なりけむ」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


「子日」は、子の日(ネノビ)が根延び(ネノビ)に通じるところから、正月初の子の日に野辺に出て根のついた小松を抜き、息災・長寿を祈る(予祝する)宮中の行事でしたが、近世には広く一般の習俗になったということです。松・竹・梅は、長寿を象徴するものですよね。千年を生きると云われる松の長寿に、あやかろうというわけです。「子日」は、「小松引き」「子の日の遊」「子の日の宴」「初子(はつね)」とも云われたようです。


「様/〟\」というのは、松以外のいろいろな物「若菜」を指すのでしょうね。


わか‐な【若菜】
②古代、宮中で、正月の初の子(ね)の日に、内蔵寮・内膳司からその年の7種の新菜を羹(あつもの)として奉ったもの。万病を除くといわれ、後に7日の行事となった。ななくさ。土佐日記「七日になりぬ。…―ぞ今日をば知らせたる」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


前句と合わせ、


5)千代経べき物を様/〟\子日して   蕉
4) ならべて嬉し十のさかづき    去来


意訳すると、


長寿を保つとされるめでたい品々をあれこれ取り集め、子の日の祝いをして。
 (祝いの宴には)十個の盃を並べて、嬉しいものだなぁ。


でしょうか。


新畳の芳香、月光の降り注ぐ中の打ち解けた身内の酒宴が、長寿を祈るめでたい行事へと変身してしまいました。


3)新畳敷ならしたる月かげに     野水
4) ならべて嬉し十のさかづき    去来


5)千代経べき物を様/〟\子日して   蕉
4) ならべて嬉し十のさかづき    去来


異なる脈絡に置かれて「嬉し」のニュアンスが変化し、「十のさかづき」には格式のある表情が出てきました。西行の歌を念頭にすると、雅な感じさえしてきます。この変化を最も身をもって感じることのできるのが、芭蕉に次句を付けられた去来ですね。‥この驚き。


さて初折の六句目、折端(おりはし)です。序破急の序の最終句ですね。


鶯の音にたびら雪降る  凡兆


│うぐいすのねに│たびらゆきふる│


季節は「鶯」で春です。


この句にも先行する西行の歌


子日しに霞たなびく野辺に出て
    初鶯の声を聞つる    西行
(『山家集』)


│ねのひしに○○│かすみたなびく│のべにいでて○│はつうぐいすの│こえをききつる│


子の日をしようと霞がたなびく野辺に出たところ、予想すらしなかった鶯の初音を聞いてしまったことよ。


が、あります。


たびら‐ゆき【たびら雪】
(ダビラユキとも) 春近くに降るうすくて大片の雪。だんびら雪。猿蓑「鶯の音に―降る」(凡兆)
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


前句と合わせて、


千代経べき物を様/〟\子日して   蕉
 鶯の音にたびら雪降る       兆


意訳すると、


長寿を保つとされるめでたい品々をあれこれ取り集め、子の日の祝いをして。
 (外には)鶯の初音が聞こえ、(まるでそれに応じるように)たびら雪が降っている。


でしょうか。


「十のさかづき」屋内から、「鶯の音」「たびら雪」屋外へ視線が移りました。


5)千代経べき物を様/〟\子日して   蕉
4) ならべて嬉し十のさかづき    去来


5)千代経べき物を様/〟\子日して   蕉
6) 鶯の音にたびら雪降る       兆


西行の歌をふまえた芭蕉の吟に、西行の歌を念頭に置いた凡兆の吟。これも間髪を容れない応答ですよね。西行を慕って止まなかった芭蕉にすれば、思わず笑みのこぼれる付け合いだったでしょう。


この句で初折の表、つまり一巻構成上の序破急の序が終わって、序破急の破に移ることになります。ここで視線を屋内から屋外へ移動させたのは、心憎いまでの配慮ですよね。発句から五句目まで屋内の句が続いていましたので、この転換は見事と云うしかありません。