歌仙「灰汁桶の」の巻 11
初折の裏(序破急の破:展開部・変化に富ませ)
1)乗出して肱に余る春の駒 来(春)
2) 摩耶が高根に雲のかゝれる 水(雑)
3)ゆふめしにかますご喰へば風薫 兆(夏)
4) 蛭の口処をかきて気味よき 蕉(夏)
5)ものおもひけふは忘れて休む日に 水(雑・恋)
6) 迎せはしき殿よりのふみ 来(雑・恋)
7)金鍔と人によばるゝ身のやすさ 蕉(雑)
8) あつ風呂ずきの宵/\の月 兆(秋)(月の句)
9)町内の秋も更行明やしき 来(秋)
10) 何を見るにも露ばかりなり 水(秋)
11)花とちる身は西念が衣着て 蕉(春)(花の句)
12) 木曾の酢茎に春もくれつゝ 兆(春)
恋の句の応酬、いかがでしたでしょうか。
4) 蛭の口処をかきて気味よき 蕉
5)ものおもひけふは忘れて休む日に 水
6) 迎せはしき殿よりのふみ 来
この、芭蕉の「蛭の口処をかきて気味よき」からの展開は見事というほかありません。
ものおもひけふは忘れて休む日に
蛭の口処をかきて気味よき
あらためて歌のかたちにしてみると、一首の短歌としても完成度の高いものになっているように思います。恋の持つアンニュイな気分が、よく描き出されていますよね。「蛭の口処」の、もどかしさをともなった痒みが、全体によく響き渡っています。
「ものおもひけふは忘れて」とは云いつつも、「蛭の口処」をかきながらふと思い出して溜め息なんかついているのかもしれませんね。この早乙女。
ものおもひけふは忘れて休む日に
迎せはしき殿よりのふみ
ここも、まちがいなく恋の短歌として独立鑑賞可能です。
人の気も知らないで、情熱的にアプローチしてくる「殿」に、戸惑いがちな町家の女性の姿が浮かびます。
さて、初折の裏七句目です。
金鍔と人によばるゝ身のやすさ 芭蕉
│きんつばと○○│ひとによばるる│みのやすさ○○│
特定の季節を指す語はありません。雑の句です。
「金鍔(きんつば)」と云っても、菓子のキンツバじゃありません。金で装飾した刀剣の鍔です。
金鍔は、はじめ侍や町人の伊達風俗として流行し、そののち、主君の信任・寵愛をほしいままにしている人、若君に付き添う家老のような身分の人を指すようになった、ということです。
前句と合わせて、
7)金鍔と人によばるゝ身のやすさ 蕉
6) 迎せはしき殿よりのふみ 来
意訳すると、
世間の人から、主君の信任あつい金鍔さまと呼ばれる身の、なんと安泰なことよ。
(今日もまた)「はやく参れ」とせかす性急な殿様からの、催促の書状が届いた。
でしょうか。
芭蕉は、「迎せはしき殿よりのふみ」を、恋する殿からの迎えの書状ではなく、主君に寵され信任あつい士分の者への、主君からの呼び出しの書状と見なして付けたんでしょう。
実は、ここ初折の裏七句目は、(歌仙の)通常では月の定座なんですね。もちろん月は「出るにまかせる」ですから、あるていどの遅速は許容されますが、それにしてもそろそろ出ても悪くないころです。
が、さしあたり五句目、六句目と恋の句が続いていましたので、まずは恋から離れておく必要があります。そういう、歌仙一巻全体の構成を見据えての芭蕉の付けでもあるのですね、この句は。
5)ものおもひけふは忘れて休む日に 水
6) 迎せはしき殿よりのふみ 来
から、
7)金鍔と人によばるゝ身のやすさ 蕉
6) 迎せはしき殿よりのふみ 来
への展開ですね。
去来は、次が(通常なら)月の定座だということを失念していたのでしょうかねぇ。「迎せはしき殿よりのふみ」とびきり勢いのある句を出してしまって、これに月の句を付けるのは、無理がありますよね。
で、芭蕉が恋離れの句を出してくれたので、正直ほっとしたかも知れません。密かに冷や汗をかきつつ‥。
いえ、まあ、芭蕉の捌きの手腕に、あらためて尊敬の念を深めた、と、云っておきましょう。
初折の裏八句目です。
あつ風呂ずきの宵/\の月 凡兆
│あつぶろずきの│よいよいのつき│
季節は「月」で、秋です。(月の定座)
難解なコトバはないですよね。平易な句ですね。
前句と合わせて、
7)金鍔と人によばるゝ身のやすさ 蕉
8) あつ風呂ずきの宵/\の月 兆
意訳すると、
世間の人から、主君の信任あつい金鍔さまと呼ばれる身の、なんと安泰なことよ。
熱風呂好きな彼の人は、宵ごとの月を賞味している。
でしょうか。
芭蕉の恋離れに応じて、月が出ました。この歌仙では、この句が月の定座ということになります。以心伝心、打てば響くような応答ですね。
凡兆は「金鍔と人によばるゝ身のやすさ」の、とくに「身のやすさ」から、好きな熱風呂に夜毎つかって、宵々の月を賞味するような、余裕綽々たる人物を登場させたのでしょう。軽々とした付けです。
7)金鍔と人によばるゝ身のやすさ 蕉
6) 迎せはしき殿よりのふみ 来
から、
7)金鍔と人によばるゝ身のやすさ 蕉
8) あつ風呂ずきの宵/\の月 兆
への展開です。
恋を勢いづかせるだけの去来の句をフォローして、恋離れの句を付けた芭蕉。凡兆の月の句を呼び込んで、月の定座を成立させた芭蕉。
森川許六著『宇陀法師(うだのほうし)』に、芭蕉のコトバ「発句は門人の中予にをとらぬ句する人多し。俳諧におゐては老翁が骨髄」が、あります。
発句については、私の門人の中にも私に劣らぬ句を詠む人は多い。しかし俳諧(俳諧連歌)においては老翁の骨髄、つまり私の真骨頂とするところである。
俳諧連歌の全体に目を配り、ときにみずから介入してコントロールすることを「捌く」と云いますが、俳諧における芭蕉の捌きは、まさに彼の骨髄・真骨頂です。
音楽で云えば、名指揮者。映画で云えば、名プロデューサー兼名監督と云えるでしょう。
それも、他の追随を許さぬ俳諧史上最高の捌き手だったのです。
人口に膾炙した彼の発句(俳句)もたしかに名句ばかりですが、彼の真価は、当座での俳諧の捌きを核とした俳諧の企画・演出・製作にあるのです。
そういう芭蕉の天才に応答する門人たちもまた、非凡ではあるのですけどね。
この歌仙は、彼ら豪華なオールスターキャストによる、揃い踏みなんですねぇ。