俳諧伝授 -23ページ目

歌仙「灰汁桶の」の巻 12

初折の裏(序破急の破:展開部・変化に富ませ)


1)乗出して肱に余る春の駒       来(春)
2) 摩耶が高根に雲のかゝれる     水(雑)
3)ゆふめしにかますご喰へば風薫    兆(夏)
4) 蛭の口処をかきて気味よき     蕉(夏)
5)ものおもひけふは忘れて休む日に   水(雑・恋)
6) 迎せはしき殿よりのふみ      来(雑・恋)
7)金鍔と人によばるゝ身のやすさ    蕉(雑)
8) あつ風呂ずきの宵/\の月     兆(秋)(月の句)
9)町内の秋も更行明やしき       来(秋)
10) 何を見るにも露ばかりなり     水(秋)
11)花とちる身は西念が衣着て      蕉(春)(花の句)
12) 木曾の酢茎に春もくれつゝ     兆(春)



初折の裏九句目です。


町内の秋も更行明やしき  去来


│ちょうないの○○│あきもふけゆく│あきやしき○○│


季節は「秋」で秋です。


「明やしき」は、人の住まなくなった屋敷です。


前句と合わせて、


9)町内の秋も更行明やしき       来
8) あつ風呂ずきの宵/\の月     兆


意訳すると、


町内の秋も更け行き、人の住まなくなった屋敷の風情がひときわ淋しく思われるこの頃。
 熱風呂好きな彼の人は、宵ごとの月を賞味している。


町なかの風景ですね。人事句・人情句が続いたので、意識的に景気の句を付けたのでしょう。この配慮は見事ですよね。やればできるじゃないですか、去来さん。


「あつ風呂ずき」の人の隣が空家だった、という想定なのかな。風呂場の窓から閑散とした空き屋敷の上にかかる「宵/\の月」を眺めながら秋も深まったなぁ、というところでしょうか。


7)金鍔と人によばるゝ身のやすさ    蕉
8) あつ風呂ずきの宵/\の月     兆


から、


9)町内の秋も更行明やしき       来
8) あつ風呂ずきの宵/\の月     兆


への展開ですね。


人情句に人情句を付けた凡兆だったのですが、この「あつ風呂ずき」の表情が変わりました。去来の景気句によって、しみじみとした情感がただよってきましたよね。少なくとも、金鍔さまなどと呼ばれる気楽な身の上だとは、云えなくなってしまいました。


初折の表十句目です。


何を見るにも露ばかりなり  野水


│なにをみるにも│つゆばかりなり│


季節は「露」で秋です。


つゆ【露】
《名》
①空気が冷えて露点以下に達し、大気中の水蒸気が地物の表面に凝結した水滴。万葉集2「―こそば朝に置きて夕には消ゆと言へ」。「―にぬれる」
②涙にたとえていう語。伊勢物語「わが袖は草の庵にあらねども暮るれば―の宿りなりけり」
③わずかなこと。源氏物語帚木「―にても心に違ふ事はなくもがな」。「―の間ま」
④はかなく消えやすいこと。「―のいのち」「断頭台の―と消える」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


「露」は、ふつう物質としての対象①を指しますが、文の脈絡に応じて②、③、④を意味することもあります。ここでは②でしょうか。


前句と合わせて、


9)町内の秋も更行明やしき       来
10) 何を見るにも露ばかりなり     水


意訳すると、


町内の秋も更け行き、人の住まなくなった屋敷の風情がひときわ淋しく思われるこの頃。
 (そのような情景の)何を見るにつけても、涙を誘うばかりである。


野水は、「明やしき」に栄枯盛衰、人の世のはかなさを見て取って「何を見るにも露ばかりなり」と付けたのでしょう。


つゆ‐の‐よ【露の世】
露のようにはかないこの世。源氏物語御法「ややもせば消えを争ふ―に」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


9)町内の秋も更行明やしき       来
8) あつ風呂ずきの宵/\の月     兆


から、


9)町内の秋も更行明やしき       来
10) 何を見るにも露ばかりなり     水


への展開です。


前句までの、華やかで動的な人事句の流れに一区切り入れるつもりで景気の句を付けたはずの去来でしたが、野水の付け句によってまたまた世界はガラリと変化しました。


自分できっかけを作った去来も、この変化には驚いたんじゃないでしょうか。「宵/\の月」を配した「明やしき」と「あつ風呂(ずき)」の対比のうちに、更け行く秋の情感を描き出したはずが、「露ばかりなり」が全体に響き渡って、すべてがはかない露の世の風景へと変転してしまいました。


服部土芳『三冊子』に、以下の芭蕉のコトバが伝えられています。


「師の曰く『たとへば歌仙は三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし。行くにしたがひ心の改まるは、ただ先へ行く心なればなり』」


歌仙は三十六歩の歩みに例えられよう。たとえ一歩たりとも後ろに帰る意志、発想はない。展開するにしたがって立ち現れる内容が変化しあらたまるのは、ただ先へ先へと展開しようという意志、発想こそが歌仙だからである。


まことに、そのとおりですね。


俳諧は、立ち止まらない。