歌仙「灰汁桶の」の巻 17
名残の表(序破急の破:展開部・変化に富ませ)
1)かへるやら山陰伝ふ四十から 水(春)(折立)
2) 柴さす家のむねをからげる 来(雑)
3)冬空のあれに成りたる北颪 兆(冬)
4) 旅の馳走に有明しをく 蕉(雑)
5)すさまじき女の知恵もはかなくて 来(秋・恋)
6) 何おもひ草狼のなく 水(秋・恋)
7)夕月夜岡の萱ねの御廟守る 蕉(秋)(この歌仙の月の定座)
8) 人もわすれしあかそぶの水 兆(雑)
9)うそつきに自慢いはせて遊ぶらん 水(雑)
10) 又も大事の鮓を取出す 来(夏)
11)堤より田の青やぎていさぎよき 兆(夏)(通常の月の定座)
12) 加茂のやしろは能き社なり 蕉(雑)(折端)
名残の表七句目です。
夕月夜岡の萱ねの御廟守る 芭蕉
│ゆうづきよ○○│おかのかやねの│ごびょうもる○○│
季節は「夕月夜」で秋。月の定座です。
ゆうづき‐よ【夕月夜】ユフ‥
(古くはユフヅクヨ)
①月の出ている夕暮。
②陰暦10日ごろまでの、夕方だけ月のある夜。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
「萱ね」は、萱のことです。
「御廟」は、廟の尊敬語、
びょう【廟】ベウ
①祖先の霊を祭る所。霊屋。おたまや。やしろ。「聖廟・宗廟・孔子廟」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
なんですが、この句では御陵を指すのだそうです。
ご‐りょう【御陵】
天皇・皇后・皇太后・太皇太后の墓所。みささぎ。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
前句と合わせて、
7)夕月夜岡の萱ねの御廟守る 蕉
6) 何おもひ草狼のなく 水
意訳すると、
淡く夕月懸かる夜、萱の生い茂る岡に御廟をお守りする(ためにやって来たところ)
秋の草花が咲き競う中で、何を思い種(ぐさ)として、狼はあのように啼くのだろうか。
でしょうか。
前句までの飛躍にとんだ展開・恋の句。その熱狂と興奮の中に、ピーンと張り詰めたものが出てきましたね。芭蕉の捌きです。
『雨月物語』の「白峰」とか思い出しませんか。
それはともかく、秋の草花(おもひ草)が生い茂る場所を「岡」と定め、狼のすさまじい啼声から、それに響き合うものとして、ひとりで御陵の番をする侘しい人物を登場させたのでしょう。
5)すさまじき女の知恵もはかなくて 来
6) 何おもひ草狼のなく 水
から、
7)夕月夜岡の萱ねの御廟守る 蕉
6) 何おもひ草狼のなく 水
への展開です。
野水の出した狼の啼声は、そのせつない夫恋(つまごい)の表情を剥奪されて、萱の生い茂るい岡にひとり御陵を守る男の侘しさを付与されてしまいました。
それにしても、一気に世界の相貌は変化してしまいました。夕月と狼の啼声も、絶妙の取り合わせですねぇ。
芭蕉の時代には、まだ怨霊信仰とか残っていたのでしょうか。この「御廟」に祀られた御方は、なにか訳ありな御方のような気がしてきます。「何おもひ草狼のなく」を、まことに巧く響かせているんですね。
名残の表八句目です。
人もわすれしあかそぶの水 凡兆
│ひともわすれし│あかそぶのみず│
特定の季節を指す語はありません。雑の句です。
あか‐そぶ【赤そぶ】
水の赤いさび。赤渋。猿蓑「人も忘れし―の水」(凡兆)
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
前句と合わせて、
7)夕月夜岡の萱ねの御廟守る 蕉
8) 人もわすれしあかそぶの水 兆
意訳すると、
淡く夕月懸かる夜、萱の生い茂る岡に御廟をお守りする(ためにやって来たところ)
人にもすっかり忘れられた古井戸は、あかそぶの水を溜めたままである。
でしょうか。
さすが叙景句の凡兆。巧いですね。ここは、前句に素直な応答です。ひとり侘しく御陵の守りをする人物に、侘しい景を付けた。
7)夕月夜岡の萱ねの御廟守る 蕉
6) 何おもひ草狼のなく 水
から、
7)夕月夜岡の萱ねの御廟守る 蕉
8) 人もわすれしあかそぶの水 兆
への展開です。
ここでの変化は「草狼のなく」聴覚から「あかそぶの水」視覚・臭覚への変化です。
俳諧には「打越(うちこし)を離れる」という鉄則がありました。
うち‐こし【打越】
①付句(つけく)の前々句のこと。連歌・俳諧では、1巻の変化と展開を求めるため、付句の趣向・題材が打越と似通うこと(例えば、打越の「霧」に対して付句に「雨」「露」などを用いること)を避けた。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
6) 何おもひ草狼のなく 水
7)夕月夜岡の萱ねの御廟守る 蕉
8) 人もわすれしあかそぶの水 兆
この局面で云うと、8)の凡兆句に対して、6)の野水句が打越になります。
7)夕月夜岡の萱ねの御廟守る 蕉
6) 何おもひ草狼のなく 水
と、
7)夕月夜岡の萱ねの御廟守る 蕉
8) 人もわすれしあかそぶの水 兆
に、変化・展開がなくてはならない、というわけですね。
「御廟守る」人物の背景として「夕月夜岡の萱ねの」が共通に描かれていて「何おもひ草狼のなく」と「人もわすれしあかそぶの水」で、変化を創出しなければならないのです。
で、ここでの変化は、聴覚から視覚・嗅覚へ、です。
7)6)と7)8)は、登場人物は同じ、場所も同じだと読んで何の不都合もありません。が、狼の啼声によって彩られるものと、あかそぶの水によって喚起される情感には明らかな違いがあります。7)6)の人物は、俗世間に未練を残したせつなさが見て取れるだろうし、7)8)の人物には、そういう俗気は影をひそめて自身の境涯に不満のない諦念すら感じられます。詩歌的にそんな響きですよね、両者は。
そうそう、私が聴覚から視覚・嗅覚へって臭覚を入れたのは「あかそぶの水」が鉄分の多い土壌から滲みだすものだからです。酸化鉄つまり鉄錆の色なんですね「あかそぶ」の「あか」は。
「あかそぶの水」は、俗に云う「金気(かなけ)の多い水」です。
ですから、とうぜん鉄の臭い・鉄錆の臭いがするわけです。この独特な臭いも、侘しさを誘うことしきりです。
ここで「あかそぶの水」を、つまり視覚に加え臭覚まで出してきた凡兆は、名に反して非凡な才の持ち主なのですねぇ。