俳諧伝授 -16ページ目

歌仙「灰汁桶の」の巻 18

雲千切れ空輝ける寒さかな  ousia


│くもちぎれ○○│そらかがやける│さむさかな○○│


いやあ、やっと寒さも少しだけやわらいできましたね。


というわけで(←どういうわけや)、歌仙再開します。



名残の表(序破急の破:展開部・変化に富ませ)

1)かへるやら山陰伝ふ四十から     水(春)(折立)
2) 柴さす家のむねをからげる     来(雑)
3)冬空のあれに成りたる北颪      兆(冬)
4) 旅の馳走に有明しをく       蕉(雑)
5)すさまじき女の知恵もはかなくて   来(秋・恋)
6) 何おもひ草狼のなく        水(秋・恋)
7)夕月夜岡の萱ねの御廟守る      蕉(秋)(この歌仙の月の定座)
8) 人もわすれしあかそぶの水     兆(雑)
9)うそつきに自慢いはせて遊ぶらん   水(雑)
10) 又も大事の鮓を取出す       来(夏)
11)堤より田の青やぎていさぎよき    兆(夏)(通常の月の定座)
12) 加茂のやしろは能き社なり     蕉(雑)(折端)



名残の表九句目です。


うそつきに自慢いはせて遊ぶらん  野水


│うそつきに○○│じまんいわせて│あそぶらん○○│


季節を指す特定の語はありません。雑の句です。


らむ
《助動》
(活用は不完全な四段型) 活用語の終止形(ラ変型は連体形)に付く。現在の事態を表すアリの要素と推量のムとの結合したもので、現在のことに関し、確かかどうか、あるいは、どうしてか等の疑念をこめて述べる語。平安中期以降、発音に従って「らん」とも表記されるようになり、鎌倉時代に「らう」の形が生ずる。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


前句と合わせて、


9)うそつきに自慢いはせて遊ぶらん   水
8) 人もわすれしあかそぶの水     兆


意訳すると、


嘘つきが自慢げにする法螺話を云うがままに云わせて、(私は)遊んでいるのだろうな。
 人にもすっかり忘れられた古井戸は、あかそぶの水を溜めたままである。


でしょうか。


これも、意訳しただけでは何のことか判りません。説明しましょう。


「あかそぶの水」に注目してください。これは、鉄分・鉄錆を多く含んだ水のことでした。これをこのまま飲めば鉄・錆の味がしますし、鉄・錆の臭いがします。こういう「金気の多い水」は、濾水(こしみず)にしないと飲料水にならないのですね。


発句のところでお話した濾し器で濾過して、はじめて飲める水になるのです。


次に、付け句の「うそつきに自慢いはせて」に注目しましょう。嘘ばかりついている人物が自慢げに法螺話をしているわけですね。嘘・法螺話は「差し引いて」聞かなければなりません。とてもじゃないが鵜呑みにはできませんよね。


どうでしょうか「あかそぶの水:濾過してはじめて飲める」と「嘘つきの法螺話:差し引いて聞かなければならない」両者の類似性に気づきませんか。


両者には「フィルターを通してでないと受け入れられない」という共通性がありませんか。


9)うそつきに自慢いはせて遊ぶらん   水
8) 人もわすれしあかそぶの水     兆


9)8)は、一見意味不明に見えます。


9)は9)、8)は8)、まったく別々で一首の歌になってないように見えます。9)は8)に付いてないのでしょうか?


いえいえ、上で分析した「フィルターを通してでないと受け入れられない」という共通性で、ちゃんと付いてるんです。両句は。


以上をふまえ、再度意訳してみましょう。


嘘つきが自慢げにする法螺話を云うがままに云わせて、(私は)遊んでいるのだろうな。
 人にもすっかり忘れられた古井戸の、あかそぶの水だって濾水にすれば美味しく飲めるのだし‥。


「遊ぶらん」の「らん」って、ここでは「遊ぶ自分」を客観化・対象化している、ということでしょう。余裕ですねぇ。


なぜ、そんなことをするのか。


嘘つきの自慢げな法螺話に閉口してしまったんですね。彼は、うんざりしている。


法螺話をあかそぶの水に喩えたりして、そういう他所事を考えて、法螺話の退屈さから逃れ、それを遊びに変えているのです。


こういう余裕の心境も、風雅と云えるのではないでしょうか。風雅だよね野水のこの付け句。


7)夕月夜岡の萱ねの御廟守る      蕉
8) 人もわすれしあかそぶの水     兆


から、


9)うそつきに自慢いはせて遊ぶらん   水
8) 人もわすれしあかそぶの水     兆


への展開です。


ここはまったく予想外だったでしょうね。凡兆は。こんな飛躍が待ち受けていようとは‥。


両句を構成する語の響き合いだけで付けた野水に、舌を巻いた凡兆だったでしょう。


名残の表十句目です。


又も大事の鮓を取出す  去来


│またもだいじの│すしをとりだす│


季節は「鮓」で夏です。


前句と合わせて、


9)うそつきに自慢いはせて遊ぶらん   水
10) 又も大事の鮓を取出す       来


意訳すると、


嘘つきが自慢げにする法螺話を云うがままに云わせて、(私は)遊んでいるのだろうな。
 またしてもとっておきの鮓を取り出して(彼に振舞ってしまった)


でしょか。


まあ、遊びついでだ、とっておきの鮓でも振舞おうか。という感じなんでしょうね。


「遊ぶらん」という余裕をさらに推し進めて「鮓」という「物」にご登場願った、というわけでしょう。去来は。


9)うそつきに自慢いはせて遊ぶらん   水
8) 人もわすれしあかそぶの水     兆


から、


9)うそつきに自慢いはせて遊ぶらん   水
10) 又も大事の鮓を取出す       来


への展開です。


飛躍にとんだ付けにうまく乗ってくれた去来を、頼もしく思ったんじゃないかな野水は。


オーソドックスな変化ですね、ここは。


変化じたいも、まさにエキセントリックからオーソドックスへと変化していますよね。



7)夕月夜岡の萱ねの御廟守る      蕉
8) 人もわすれしあかそぶの水     兆


9)うそつきに自慢いはせて遊ぶらん   水
8) 人もわすれしあかそぶの水     兆


9)うそつきに自慢いはせて遊ぶらん   水
10) 又も大事の鮓を取出す       来


このあたり、読んでてめちゃくちゃ楽しくなっちゃいませんか?


個人に、この展開は無理だよね。いくら天才だったとしても。


個人の自己表現である近代・現代芸術の、遠く及ばない世界がここにあります。


この飛躍。この変化。


俳諧の醍醐味ですねぇ。