回文短歌(ぎゃくよみしても正よみと同文になる短歌)を作っています。偉人は永井荷風、トッピングは「せ」です。
[せ] 荷風散人
雪駄(せつた)履き 富士尾根龜と 眺むらむ
哉(かな)と眼鏡(めがね)を 慈父(じふ)際立(きはだ)つ背(せ)
ーーーせつたばき ふじをねかめと ながむらむ
かなとめがねを じふきはだつせ
———風流人の荷風は、歳時記と老眼鏡を持って龜といっしょに富士の山尾根を眺めている事だろうな。背筋をしゃんとして姿のいい慈父のような背。
雪駄(せった):席駄(せきだ)の転。竹の皮の草履に獣の皮を貼った履物。ぞろっぺいな粋人のイメージをかもす。
らむ:推量の助動詞。…だろう。今ごろは…しているだろう。
永井荷風(ながいかふう):小説『濹東綺譚(ぼくとうきたん)』(便宜的に「墨東綺譚」)。東京向島の私娼窟(ししょうくつ)玉の井(たまのい)を舞台に、小説家と娼婦の出会いと別れが、季節の移り変わりとともに美しく描かれている。
背(せ/せい)と脊(せき):本来「せ」は外側、後方を意味する「そ」の転じたもので、身長とは結びつかなかった。「せなか」「うしろ」「そびら」。ところが身体つき・体格を意味する「勢(せい)」が存在するところから、音韻上の近似で、「背(せ)」と「勢(せい)」とが混同した。「脊」は「せぼね」という意味。 「背骨」を「脊骨」と書くのは重言(じゅうげん) 。「脊椎」や「脊髄」は脊(せぼね)の構成要素ですから、背(せ)は使いません。使い分ける必要があります。背丈(せたけ)。背比べ(せいくらべ)。脊柱(せきちゅう)。
前回。「お釈迦」は辞書にこうあります。御釈迦(おしゃか):①釈迦を敬って言う語。これはだれでもわかりますね。もう一つの意味があって、②もと鋳物職人の隠語(で、地蔵を鋳るのに誤って釈迦を鋳造したことから、)出来損ないの品。役に立たない品。御釈迦さんを不良品とは!? 現在も盛んに使われているコトバです。
わたくしめは即座に罰が当たって、左半身が、大変な帯状疱疹になりました。初めは棘がささっているのかなとおもっていたらさにあらず、すぐ数えきれないほどの発赤。崩れて化膿。パンパンに腫れてその痛いこと。下ろしたズボンをひきあげることができず、家内にいちいち頼んでいます。歯医者のほうは入歯ができている頃ですが、あわせにゆくのを延期。あとなんにちこの苦しみは続くのでしょうか。とにかく痛くてうんうんうなっています。
バランスの取れた三食をきちんと摂ってなんの屈託もなくいきていたはずで、ストレスなんて何も無い? いや、歯を抜いたのが夏バテの最中でこれがストレス?かな?「哉とメガネ」は散人じゃないですか。ああ痛い哉。顔も洗えない哉。パンツのゴムが触れない哉。「ヨブの災難」かな。