歌仙「霽の巻」の句解を試みました。(その11) | ouroboros-34のブログ

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こころに映りゆく由無しごとを其処は可となく書き付けて
ごうなっだのでありますぐるらめ。

句解11霽・朝月夜
 蕎麦さへ青し滋賀楽の坊(前句再出)
 朝月夜双六うちの旅ねして     杜国 

初裏8句目が月の定座(日本連句協会モデルでは7句目)ですが、引き上げて秋の4句目。 
野水は付けやすいように「滋賀楽のさと」と大景で納めました。遣句に近い作り方だと思います。 
「朝月夜(あさづくよ)」という語は「朝の月」「朝月」とともに季語としては確立しておらず、「月夜」の傍題としての扱いです。和歌の「朝月の」という枕詞(朝の月は日と向かい合っていることから、「日向か(ヒムカ)」にかかる)からきたと思われます。辞書には①有明月。②月が残っている明け方。とありました。 
「双六うち」との取り合わせが意表を突きますね。
安東次男は、双六うちは「窯ぐれ」だろうという。そうじゃあるまい。ネットで調べました。そして考えました。 

製陶業に携わる者を「かまぐれ」と呼んでいた。流れ職人も多かったが、ひとつの窯元でひたすら修行して一人前になりその窯元で、職人として一生を過ごす人が大多数であった。意欲的な向上心から、腕を磨く為に平穏な生活を捨てて武者修行をした流れ職人も腕はよく仕事に誇りをもっていた。
こうしてみるよ、かまぐれは、博打打ちでも双六打ちでもないでしょう。「職人」は現代のエンジニア以上の誇りと気位をもっていました。「打ち」という言葉はそれを業とすることを意味している。 

———夜更(よふか)しが習慣の双六打ちも、ここでは相手をする人もなく閑古鳥。すっかり寝込んだままの夜明けだよ。ほら、まだいびきかいてやがら。

杜国は二度も「月の座」をもらって、ホクホク、どうやら立ち直ったようです。(ようにみえます)
次回の句は、荷兮(かけい)の当番です。句の調子がどうも酔いが回ってきているように思います。それでオモシロイ。おもしろいのは安東次男とオールスターズのみなさんの解釈でトンチンカンなところが愉快千万です。

 朝月夜双六うちの旅ねして(前句再出)
 紅花買みちにほとゝぎすきく    荷兮

ちょっと注釈すると、「紅花」というのはベニの花という意味です。ベニというのは赤いいろではなく染料のことです。「ほととぎす」との取り合わせがポイントだと思います。