はしゃぎ来て六花潜りて木々や柴
———はしやぎきてりくくわくぐりてきぎやしば /
六花(りっか):雪の異名。結晶が六角形なのを花に譬えた。
おしゃべりをしていたら、ちらほら白いものが落ちてきたので、てんでに木の蔭などに退避した。
俳句の今時分の季語に《山眠る》があります。生気が見えない静まり返った山の形容。と辞書にありました。中国の古書に
春山淡冶而如レ笑 春ノ山ハアツサリトシテ人ノヱメルヤウナ
(シユンサンタンヤトシテワラフカコトシ)
夏山蒼翠而如レ滴 夏ノ山ハアヲアヲトシテウルホフヤウナ
(カサンサウスイトシテシタヽルカコトシ)
秋山明淨而如レ粧 秋ノ山ハサツパリトシテカザリタルヤウナ
(シウサンメイシヤウニシテヨソホフカコトシ)
冬山慘淡而如レ眠 冬ノ山ハモノサビシウテシヅマツタコヽロナリ
(トウサンサンタントシテネムルカコトシ)
右の心(こゝろ)を以て季に春ハ山笑(やまわら)ふ秋ハ山粧(よそほふ)冬ハ山眠(ねふ)ると三ツ出(いだ)して夏の山滴(やましたゝる)を季に用ひざるも俳の掟(おき)て也
と、辞書にありました。
なるほど、「山笑ふ」「山粧ふ」「山眠る」は季語としてありましたが、「山滴る」はありませんでした。山が滴るんではなくて水がしたたるんだろ、という理屈ですかね。
辞書には「山をかける」はちゃんと載っていました。——あゝ若き日よ。