はじめての海外出張がコペンハーゲンだった。10 | ouroboros-34のブログ

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こころに映りゆく由無しごとを其処は可となく書き付けて
ごうなっだのでありますぐるらめ。

再びカストゥルプ空港に降り立った。
しっくり景色も馴染んで勝手知ったる他人の我が家である。小半日なのに独特の甘い匂いに懐かしささえ感じられる。

はじめてここに来たときカスタムのおじさんが「コンニチワイラッシャイ!」とニホンゴでいいながらチラ目でにこっとした。これですっかり緊張が解けた。ニホンのイミグレーション(入国管理)も見習ってもらいたいものだよと思いながらコンチワ!と言ったらこんどのひとは横目で頷いただけだった。
ロッカーからサンチョパンサを引き出してホテルに向かう。

国際的に活躍している日本人は多い。世界に燦たる和食文化だってなかなかのものだ。ぼくなぞはさだめし和食の爪楊枝ほどのものでしかない。つまようじの先っちょだ。しかし例えつまようじの先3ミリほどに過ぎないとしてもその3ミリをささえてくれるのは65ミリの楊枝本体、チンケな企業のわが社だ。――黒文字頑張れ!
あ、また文字・もじ・モジに戻った。ちょっとまえに書いたけれども「黒文字」は文字言葉ではない、と辞典にあった。クロモジという木を削って作る上等のつまようじである。楊枝は楊枝でも黒文字級だと自負するしかないではないか。
クロモジの先っちょ「ウロモジ」? ジョートーだ。

リムジンはちょうどホテル〈オイローパ〉のまん前で止まった。
運転手はぼくの顔を覚えていたのかと思ったがそうではなかった。いくつかの観光ホテルには横付けするツーリストサービスなのだった。最初のときはわけもわからずにひとつ先のセントラルターミナルまで乗っちゃったのだった。

二度目となるとドアボーイもフロントも覚えていて愛想がいい。どこかでニホンゴを仕込んだとみえてコンニチワ、コンニチワの大安売りだ。こちらもおじいさんの古時計なみにTak,Tak!(あンがとよ!あンがとよ!) のたたき売りで応じる。メイドまでイエ~イとハイタッチせんばかりの笑顔だ。

単純に気分がいい。

時差には慣れた。
のちにアメリカに出張したことがあったが、西回りのほうが時差は順応しやすいように思う。

土、日とあさってまで休みだ。自由時間だ。レポートは明日午前中に書いてしまえばもうオレのコペンハーゲンだ。
――おやすみなさい!

その晩夢をみた。
白衣の男性が試験の監督官のようだ。
試験問題は外因性内分泌攪乱化学物質について述べよ、とある。
わからない。
前の席の女性が振り向きざまペーパーを見せてくれた。北欧美人秘書のキルステンだった。そこには 

    逆吊れる天竺牡丹(ダリア)ををんな曝すてふ

と俳句のような俳句が書いてあった。
答えがいっぺんにわかった。白紙のペーパーに「環境ホルモン」と書いた。甘い香りがしたと思ったら夢精していた。


チボリ公園は休みだった。夏のあいだだけの開園らしい。
アンデルセンブールバールを横切って当地切っての繁華街「ストロイエ」に向かう。標識には〈Nygade〉とか〈Vimmeltorv〉とかあるけれども〈ストロイエ(STRΦGET)〉が見当たらぬ。
尋ねてみるとここがそうだという。「ストロイエ」は四つの通りと三つの広場からなる歩行者天国の通称なのだった。
散策には地図を携行するが市街図と道路標識を首っ引きで比べてもわかりにくい。ニホンゴの母音はアイウエオの五つだがデンマーク語は二十個ぐらいあるといわれている。ひとによって母音の数が異なるのだそうで、どの文法の教科書を見てもはっきりしないのはデンマーク語の特徴らしい。

ウインドウショッピングしばし。
Oskar - davidsenで昼食。
オープンサンドとビール〆て18.95dkr コート預かりへチップ1.00dkr。美しい湖畔にあって全店赤いランタンで彩られていた。変わった趣向は1.2メートルもの長いメニューで178種のオープンサンドが載っている。ニホンゴもちゃんと出ていた。
レコードと辞書と人魚姫のオルゴールとカトラリーを買った。
道なりにすすみニューハウンNyhavnに出る。観光ルートのひとつでヨットの係留ポートに面した建物が色とりどりでまさに童話の絵本だ。アマリエンボーまで2キロうらいだろうか疲れたのでコーヒー。
運河沿いの道をどんどん歩く。もうあまりひとがいない。
アマリエンボーから1.4キロ、ぽっかり現れたカステレット要塞跡は函館の五稜郭のような星形の外堀に囲まれている。そのすぐ海辺に人魚姫の像があった。そこでフィリピンから観光にきている女性にあったのは前述のとおりである。

ささやかなボクの観光は今日の小半日で終わり、明日は通訳をしてくれた勝子ラーセンさんのご自宅に遊びに行くことになっている。