OTSURUちゃんの四方山話   -6ページ目

OTSURUちゃんの四方山話  

「洞不全症候群」でペースメーカを入れるために入院したら
「ブルガダ症候群」であることが判明し
2013年にICD(埋め込み型除細動器)を入れました
ICDのペーシング機能と除細動機能に守られて
「普通」の生活を送っています 
     

9月17日

9月18日

2泊3日で

夫と二人で付き添い

 

なにせ今まで

伯母一人暮らしの家

 

何もない

 

当日分だけの食材を買って

湯沸かしポットがあるので

飲み物は作れる

 

テレビもない

ラジオもない

布団もない

 

そんな状態で

 

伯母は相変わらず

眠ったまま

 

午前中に

ヘルパーさんの訪問

 

昼過ぎに

看護師さんの訪問

 

夕方

ヘルパーさんの訪問

 

ほとんど変化なく

 

9月19日上の義妹

9月20日下の義妹

と交代制は続き

 

 

 

9月21日

9月22日

2泊3日で

また

夫と二人で付き添い

 

ちょっと

弱ってきている

浅い息

深い息

浅い息

無呼吸

浅い息

深い息

浅い息

無呼吸

の繰り返し

 

多分かなり弱ってるなあ

 

OTSURUは

看護師資格のある実妹から

死期が近い時の話を

教えてもらっていた

その中に

 

下顎呼吸になること

泥状の便が出ること

 

22日の未明頃

下顎呼吸とみられるような

呼吸をしていた

 

驚いたが

またいつもの呼吸に戻った

 

22日昼の

看護師さんの訪問時

 

倒れてから

ほとんど便が出てなかったが

「泥状便が出てます」

と言われた

 

看護師さんと

「そろそろかもしれないですね」

と顔を見合わせた

 

夕方のヘルパーさん訪問時

「泥状便がかなり出ました」

「そろそろかもですね」

 

呼吸は

深い息が減り

 

浅い息

無呼吸

を繰り返すようになった

 

夫にそれを伝え

今晩、かも・・

わからないけど

 

(だいたい夫は

なかなか伯母の様子を

間近で見ようとしない

 

なんか男って

そういうもの?

でしょうなあ)

 

日付の変わるころまで

ずっと見ていたが

大きな変化は

なかった

 

義妹たちとLINEで

様子を報告

 

「寝ないと持たんぞ」

 

とにかく横になるかな

 

9月23日

午前2時30分

伯母は生きていた

 

午前4時20分

あ、寝ちゃった

と思い

伯母を見た

 

ちょっと顔色が違う

胸の動きがない

息をしていない

 

顔を触った

冷たい

腕がちょっと固い

 

とうとうその時が来た

来ていた

 

夫にすぐ

「おばちゃん息してない」というと

 

夫は

「もう一回確かめろ」

 

「うん」

 

落ち着いて

もい一回確かめた

 

息をしていない

脈もない

顔は冷たい

 

もしかして

最後に見た

午前2時30分直後に

息が切れたかも

 

でも

身体は暖かい

 

ごめんね伯母ちゃん

「その時」そばにいなかったよ

ごめんね

 

夫も確認

「うん、息してないな」

 

 

 

 

ここからの手順は

ノートに書きこまれて

何度も何度も

確かめていた

 

とにかくすぐに

看護師さんに電話

 

午前4時25分

「伯母の息がありません」

 

「呼吸が止まっているのですね?」

「はい。脈も感じません」

 

 

「わかりました。

すぐに向かいますが

先生は少し後になります

とにかく看護師だけで行きますね」

 

電話を切って

義妹にすぐLINE

 

夫と打ち合わせ

 

 

午前5時15分

看護師さんが二人で訪問

 

「先生はちょっと遠くにおられて

7時過ぎでないと来れないと思われます」

といわれ

 

看護師さん二人で

伯母の部屋へ

 

呼吸

脈拍

血圧

瞳孔

その他

確認しながら

診察していただいている

 

OTSURUと夫はちょっと離れて待機

 

しばらくして

看護師さんが来られ

「先生の診察がまだですので

確定しませんが

亡くなられています。

よく頑張られましたね。

午前5時15分に確認したので

この時間が死亡時刻になります。

これから先生に、連絡いたしますが

先生の許可が出たら

死後処置を始めることが出来ますが

先生を待たれますか?

それとも、すぐ処置を始めてもよろしいですか?」

と聞かれ

「先生の許可が出れば、処置を始めてください」

とお願いした

 

看護師さんは先生に電話をされ

先生の承諾の元

死後処置が始まった

 

亡くなったらすぐに着替えさせるための

洋服を準備しておくように言われていたので

 

ベッドの横には伯母が外出の時着ていた

きれいな洋服を

義妹が見繕って置いておいてくれた

 

「これでお願いします」と伝え

伯母から離れた

 

 

忙しい一日が始まることは予想できる

 

 

 

9月12日朝

倒れた伯母は

その日を

生き抜いた

 

 

伯母は元気な時に

 

倒れても

入院したくない

 

延命治療は要らない

 

誰にもしらぜず

あんたたちだけで

送ってほしい

 

と言っていた

 

いつも寝ているベッドで

横になり

点滴をしてみたが

顔や体にすぐにむくみが出て

先生が「やめておきましょう」と言われた

意識なし

ただ、寝ているだけ

息をして寝てるだけの伯母

 

義妹二人に付き添われ

血圧も低く

体温は高い

危篤状態のまま

頑張っている

 

9月13日

夫が付添交代

義妹二人は

伯母に最後になるかもしれないと挨拶をして

自宅に帰った

 

意識は戻ることはないといわれた

血圧は低い

熱は高い

しかし伯母はその日を生き抜いた

 

9月14日

上の義妹が付添交代

熱は少し下がった

義妹2人、夫、OTSURUの

四人のライングループを作る

 

どんな情報も共有しよう

変わったことがあったら

すぐ連絡しあおう

 

意識なし

伯母は荒い息をしているが

頑張っている

 

9月15日

下の義妹が付添交代

熱は下がり

血圧正常

尿もしっかり出ている

・・が何時かわらない

 

介護の再認定のため

ケアマネージャーさんが来てくれる

 

12日に倒れてから毎日

 

ヘルパーさんは

午前10時頃と

午後6時頃

 

その間に

看護師さんが

午後1~3時ごろ

 

伯母の看護記録を

皆さんがノートに書いていかれて

連携を取ってくださる

 

毎日必ず来てくださる

付添人は

本当に見てるだけで

声をかけてるだけで

夜一緒に寝てるだけ

 

それでも

やっぱり

 

下の妹が

遺影の写真の相談を始めた

 

OTSURUが

パソコンに保存してるのでいこうと

決めて

データをすぐに持ち出せるようにした

 

伯母は無呼吸の回数が増えてきたが

穏やかな呼吸をしている

 

9月16日

上の義妹が付き添い交代

往復するだけでも疲れるという

 

そりゃあ疲れる

すぐ横に

何時息が切れるかわからない伯母がいて

しっかり寝れるわけがない

 

いつもあちこち電話をしていた伯母から

最近電話がないと

知人からの心配の電話が

次々かかってくるようになり

見舞いを断り

その応対も

疲れを増幅させる

 

義妹から

「あの~

お医者さん1週間は持たない」って言ってたけど

意識不明の点滴無しでも1か月は生きたっていう人いるらしい」

と、”不安のLINE”

 

この頃から

十分見たよね

これ以上しんどそうなの見てられん

それに

こっちもしんどい

いつまで続くんやろ・・・

 

ため息が出るようになってきた

9月12日

朝10時半

 

伯母が倒れたと

(義母の姉)

一報が入った

 

義妹からの連絡だった


内容は
ヘルパーさんが

自宅で倒れているところを発見した

意識がない

 

とにかく義妹に直行してもらう

 

医師の診断は

脳出血

もって2~3日

 

このままご自宅で

看取って上げてくださいとの

診断だった

 

97才で自宅の一人暮らし

子供がいない

伯母は自宅で最期を迎えたいと

以前からの願いだった

 

 

甥である夫に

「その時は頼むよ」と言われていた


 

とうとう来たか・・・

対処しなければならない

当然OTSURUも一緒に動かなければ


OTSURUは仕事を辞める時は

きっと辞めなければならない

決定的な事件があるはず

 

となんとなく思っていた

 

伯母には

結婚当初から

可愛がってもらっていた

 

しっかり看取って

しっかり送ろう


 

早速

夫の兄妹と

交代で付き添うことになる

今晩か

あしたか・・

 

しかし伯母は隣の県に住んでおり

妹二人は

公共交通機関で

片道2時間

 

夫と私は

車で片道1時間半

 

 

看護師さんやヘルパーさんも

毎日来てくれるが

夜は誰もいなくなる


 

兄妹三人でリレー式の

思いがけない

長い

看取りが始まった