就学問題について、
私の娘の特殊ケースについて、書いておきたいと思います。
娘は、今現在、地元の特別支援学校の高等部1年生です。
今のところ、楽しそうに通えています。
しかし、三年前の今頃は、とても苦悩した時期がありました。
こんなケースもあるということを、どなたかの参考になればと思い、書いています。
娘は、小学校は、地元の公立小学校の特別支援学級に進みました。
コミュニケーションスキルが壊滅的に低く、会話は簡単なものしか成り立ちません。
(この分野に関しては、私はとても力を尽くしましたが、あまり変わりません。
社会性というものは、特性&気質の問題ですので、大きく変化しうるものではないと、つくづく感じております。)
判定も知的特別支援学級でしたし、親も本人も希望通りでした。
結果的に、本人は、とても楽しそうに、穏やかに、小学校生活を楽しみました。
学童も含め、娘がお世話になってきた先生方や指導員の皆様に、感謝しかありません。
特別支援学級では、素晴らしい先生方に最高の支援をしていただいた時間が多かったと本心から思っています。
正直、担任の先生がいまいちな時もありましたが、「支援学級」の歴史に基づいた枠組みに、娘は助けられてきました。
苦労することなく、小学校生活の終盤になり、
中学の進路を考える時期になりました。
小学校6年生、11歳のとき、就学相談で受けた発達検査では、IQ70でした。
しかし、コミュニケーションスキルが本当に低く、IQ70にも見えないような娘です。
視覚記憶だけ突出して良く年齢以上の点数が出るため、平均を引き上げますが、その他が著しく低く、デコボコが大きすぎる娘の日常のスキルとしては、私から見たら、IQ40〜50くらいの感じです。
公立中学の特別支援学級は、在籍生徒さんの様子を見ると、限りなく定型発達に近いグレーゾーンな子が多かったので、娘はそぐわないのではないか、と思いました。
ついていけなくて、辛い思いをするのではないか。
という心配が拭い去れず、
就学相談では中学は特別支援学級を進められたのですが、国立大学附属の特別支援学校を受験することにしました。
その学校は、私と主人の母校の大学の附属校でもあり、親近感がまずありました。
見学した時は、アットホームな雰囲気が良く見え、カリキュラムも娘に合っているように感じました。
高校卒業後も生涯継続して関わりを持ってくれる体制も気に入り、地元の特別支援学校よりも手厚く感じたので、娘に勧めました。
娘は、見学した感じは気に入ったようですし、そんなに自分で色々なことを考えられないので、実際、私の誘導に簡単に乗ってしまいます。
何度か意志を確認しましたが、たぶんよく分からないまま、国立大学の附属校である特別支援学校を受験しました。
そして、合格しました。
これで、
娘は、無理をせず、のびのびと青春時代を送ることができるだろう!
と、私は、今思うと、短絡的に考えて安心していました。
しかし、事態は私の想像通りにはいきませんでした。
入学式は張り切っていた娘。
ワクワクでスタートしましたが、登校三日目あたりから、娘は豹変しました。
小学校までは、「怒り」という感情をほぼ示したことのなかった娘。
いつも穏やかで機嫌がよく、嫌な事があった時はせいぜい静かに涙を流すくらいで、基本的には笑顔だった娘が、
獣のように唸り、
叫び、怒り始めました。
原因はよく分からず、とにかく常に怒りの感情が抑えられなくなりました。
夜は眠れなくなり、唸り、叫び続けました。
イライラが抑えられず、見るからに苦しみ始めたので、大慌てで、小学校時代2回しか行かなかった主治医に連絡しました。
個人的に抵抗のあった投薬を、迷わず始めました。
薬を飲むと、唸りや叫びはピタッとおさまりましたが、薬が切れるとまた唸り始めるような状態でした。
私のイメージでは、脳内のドーパミンの量が、振り切れて多く出たところを、薬で抑え、その振り幅が、薬を飲むたびに、徐々に小さくなっていくような感じでした。
薬を飲みながら、だましだまし登校していましたが、明らかに質的に豹変してしまった娘。
コロナ禍1年目だったこともあり、学校の様子を観に行くこともなかなかできず、中学一年生の半年が過ぎました。
娘は、毎日のように「転校したい」と言いました。
何かを強く訴えることのなかった娘が、生まれてはじめて、強く希望しました。
私には、何が嫌なのか、本当に分かりませんでした。
担任の先生方は、優しく、良くしてくださっていたし、娘も、具体的に「〇〇が嫌」ということをうまく伝えられません。
色々言っていましたが、言うことがコロコロ変わり、本心が分かりづらいのです。
本人にも、何が嫌なのか、よくわかっていなかったのかもしれません。
学校の授業中にも大きな声を出すようになり、娘が小学校までに築いたものが、全て失われてしまったような感じがしました。
中学一年生の11月、ようやく、初めて授業参観で、実際に学校での娘の様子をみることができました。
見て、すぐに、分かりました。
娘が嫌だったことが、何なのか。
国立大学附属の特別支援学校の、アットホームな雰囲気の中で、なかったもの。
特別支援学級にはあって、特別支援学校にはなかったもの。
娘が絶対的に必要としていたもの。
『秩序』と『モデル』
が、なかったんです。
特別支援学校をディスっているわけではありません。
娘以外の子は、困っていませんでした。
実は、その学校は、ダウン症の子が多く、自閉スペクトラムの子ももちろんいますが、ダウン症&自閉なしの知的障害児に合っている体制だったんです。
人数が少ないため、自由度が高いように見えました。
自閉スペクトラムの子は、「自由」が逆にストレスになるんです…。
絶対的な秩序、永久不変な物事を愛し、安心する子が多いと思います。娘も、そのタイプです。
「自由」に対して、明らかに娘は混乱していました。
特別支援学級を去って始めて、特別支援学級に当たり前のようにあった様々なものに気づきました。
公立の特別支援学級は、それなりに人数も多く、たくさんの自閉症児を受け入れてきているので、合理的な、極めて効率のよい手段や枠組みをさりげなく用意されていることが多かったのだと、
卒業してから、気づいたんです。
国立大学附属の特別支援学校は、圧倒的に生徒の人数が少ないです。
人手が足りているので、色々融通が効きます。
だからこそ、明確な枠組みがなかったり、予定変更が多くなったりもする。
チャイムもありません。
文字を読めない子も多いせいか、文字で書かれた説明文やプログラム表なども、支援学級より少なかったです。
先生と生徒の愛のある軽口、やり取りが多く、ホームルームも楽しげなおしゃべりムードになっていました。
参観では、そんな時、娘はイライラして唸り始めていました。
「学校に合わない」
って、こういうことだったんだな、
と、初めて知りました。
授業参観から帰ってすぐに、転校の手続きを始めました。
学校が悪いわけではなく、娘には合わなかったのです。
中学2年から、地元の公立中学校の特別支援学級に転校しました。
情緒障害を引き起こしてしまった娘。
小6の時は、特別支援学級を勧められましたが、転校の際の就学相談では、地元の特別支援学校のほうが良いのではないか、という話が出ました。
が、私は、今度は、特別支援学級を希望しました。(本人も)
迷いましたが、本人が求めているものが『秩序とモデル』だと、参観の時に感じたからです。
本人にとっての『秩序とモデル』があるのは、支援学級のほうだと判断しました。
結果的に、支援学級で、良かったと思っています。
特別支援学校では質的に豹変していた娘は、転校すると、嘘のように、もとに戻りました。
思春期の影響もあったのだと思いますし、転校してからも不安定になることもありましたが、
本人はもう転校したがることはなく、再び、頑張ろうとするようになりました。
今は、学区の特別支援学校の高等部に通っていますが、今のところ落ち着いています。
良かれと思って導いたことが、良くなかった…
というケースです💦
同じ自閉症でも、マイルールが強く、周りに合わせるのが大変なタイプだったら、融通の効く『アットホーム』は合っているかもしれません。
物事の本質って、経験しないと分からないこともありますね…。
娘には、「手厚さ」よりも「秩序」が大事だったんですよね。
「ちゃんとした自分」でいたいから、明確な正解が欲しいようです。
特別支援学校になくて、
特別支援学級にあるもの、
なんてないって、私は思っていたんですが、
そうではないのだと思いました。
どちらが合うか、合わないか、
ですよね。
どなたかの参考になれば幸いです。