鵜戸神宮の墓は興味深かった① 鵜戸山別当の両墓制様の墓 | のめしこき日記

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 九州定年旅行でさらっと載せましたが、とても興味深い点を載せてみます。

 

 まず、江戸時代までは神仏習合の時代で神社は別当寺傘下にありました。鵜戸神宮の場合は鵜戸山仁王護国寺がそれで、別当の墓・宮司の墓が鵜戸神宮の神域にあります。

 井戸枠型の石囲いの中に「隆戒」と彫られた丸石が置かれています。

 解説の板通りですが、解説板では見落とされている点を以下示します。

 

 45世隆真法印(川原石は手前に転倒しています)。

 法印權大僧都隆真大和尚と中央に彫られています。左右にも文字が彫られていますが、カビ・苔のため読み取れません。

 

 57世隆弘法印。

 法印隆弘大和尚。

 五十七世主持ハ年〇字恵澄亡六十歳、と彫られているようです。

 つまり、1人の別当に二種類の墓が建てられていたという事が分かります。

 

 1人の死者につき1次墓(埋め墓)と2次墓(詣り墓)の2つの墓が別の区域に営まれる両墓制は、集落から離れた所に埋め墓を設け、埋め墓には何も目印を置かないか置いても川原石や木塔を置く程度。集落内や近くに詣り墓を設け石塔を造立します。埋め墓の方は捨て墓とも呼ばれます。

 仏教行事は詣り墓の方で行われます。

瀬戸内海の両墓制を訪ねる旅よりお借りしました)

 両墓制は土葬時代の近畿・中部・関東を中心に事例があり、瀬戸内海の島々のものが有名です。九州は両墓制は大分県にのみ少し見られ、他では見られません。それは別の資料(九州の墓制)でも一致しています。

 火葬がほぼ100%の現在、両墓制は遺構が残る程度になっています。

 

 鵜戸山別当累代墓は埋め墓と参り墓が同一の墓域にあるので両墓制とは概念が違うかも知れませんが、別当1人につき明らかに2つの墓があり、捨て墓というには立派な井戸枠型の埋め墓となっています。詣り墓には僧位や年齢など個人の情報が刻まれています。

 鵜戸山別当という特別な地位の人物の墓として、尊崇する者からは埋め墓とはいえ「捨て墓」では忍びなくこのような丁重な2重墓になったと思われます。