宝塔山古墳です。
この写真の面は古墳的には裏側になるのでしょうか? 石室入り口は向こう側にあります。この階段は秋元氏歴代墓地のためのものです。
墳丘全体に川原石が葺かれていました。現在でも秋元氏累代墓地の周辺でたくさん見ることができます。パンフレットに「大きめな川原石を丁寧に葺き、さらにその外側にも葺石を配した特異な造りが見られます」とあるのですが、どのような事か理解できません。また総社歴史資料館に行くことがあったら教えていただきましょう。
この石垣は秋元氏墓地として江戸時代あたりに整備されたものでしょう。
7世紀中後半、三段築成の方墳で、一辺66m、掘りを含めると102m。
石室長12m、
蛇穴山古墳と同じく石室内は白漆喰で塗り固められています。
蛇穴山古墳よりやや古いせいか石室が長いためか、一枚岩とまでは行きませんが大きな凝灰岩が使われています。
上野野氏の王が眠る家型石棺。石棺下側の刳り形が素晴らしい。
宝塔山古墳と蛇穴山古墳(次回ブログ)は上野野氏のもので、方広寺(山王廃寺:次々回ブログ)も上毛野氏によって建立されたたと考えられています。
参考
前橋市教育委員会パンフレット:「総社古墳群」「山王廃寺跡」