墓標の疑問07では、寺院内の墓地を見て「個人墓(1800年前後まで)→夫婦墓(昭和30年前後まで)→家墓という流れがあるのかも」と考えました。
そこでは
・1770年の個人墓。
・1788年の個人墓。
・1811年の個人墓。
・1820年の夫婦墓。
・1840年の個人墓。
でした。
墓標の疑問08では個人の墓地を見てみました。
・1773年の個人墓。
・1827年の個人墓。
・1830年の夫婦墓。
・1940年代頃の夫婦墓。
・1954年の個人墓(顕彰墓)。
・1996年の夫婦墓。
でした。
この2群を年代順にならべてみるます。ただし、1954年の個人墓(顕彰墓)は除きました。
・1773年の個人墓。
・1770年の個人墓。
・1788年の個人墓。
・1811年の個人墓。
・1820年の夫婦墓。
・1827年の個人墓。
・1830年の夫婦墓。
・1840年の個人墓。
・1940年代頃の夫婦墓。
・1996年の夫婦墓。
少ない資料ですが、このような変遷になりました。この結果から群馬県西部地方では、個人墓→夫婦墓という変遷があると思われました。他の地域ではどうなのでしょう?
そして寺院墓地や共同霊園にあるような○○家墓は、個人の墓地にはありませんでした。土地に余裕があるから、家墓にする必要がないということでしょう。
夫婦墓から家墓への変化はいつ頃からなのか、これも調べてみたいと思います。