お墓の疑問13~江戸期の石塔のデザイン~ | のめしこき日記

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 石塔のデザインにも時代的な変遷があるようです。もっとも、現代だって縦型の石塔から横型の石塔が増えているという変遷の途上にありますが。
 のめしこきの持っている最も古い墓データは


 1736年(元文元年)で、表が縁取りされるように彫られて、頭は尖っています。

 写真右端の1770年(明和7年)で、中央が天明8年(1788年)、左端が1811年(文化8年)です。全体的に石塔が小さく、表が縁取りされるように彫られています。頭は丸みがあります。
 上の元文元年のものより小ぶりですが、経済状態の影響もあるのでしょう。
 1820年(文政3年)の石塔も頭に丸みがあり、表が縁取りされるように彫られています。

 1840年(元文5年)のこの石塔は、頭が平らでやや大きくなります。表が縁取りされるように彫られています。

 江戸後期の石塔は、表が縁取りされるように彫られ、頭は尖ったものから徐々に平らなものに変化していった。大きさは経済力も関係するが、小さなものから大きなものに変化していった。
 
 これが江戸後期の石塔のデザインについて、少ないデータからの得たのめしこきの仮説です。