作者が解説する『二十世紀電氣目録』💡
7月から 「二十世紀電氣目録-ユーレカ・エヴリカ-」のアニメのテレビ放送が始まりまっていて、原作者の結城弘( ゆうきひろ)さんが「作者が解説する『二十世紀電氣目録』💡」のnoteを連載されているのをお知らせしました
その中で(後ろになにも付かない)原作本の「二十世紀電氣目録」に登場する京都電気鉄道の後期型車両について考察しました
そして今回「作者が解説する『二十世紀電氣目録』💡」note 第五回のタイトルは「電氣目録の物語を生んだ"不思議な電車"」です!
その中で「子どもの頃に出会った"不思議な電車"について…この出会いがなかったら『二十世紀電氣目録』という物語が生まれていなかったかもしれない…的な創作秘話」と書かれています
そこには…「子供の頃に訪れた博物館明治村で路面を走る京都市電を見て路面電車は「ファンタジーの象徴」となったそうで
大人になって明治時代を舞台にした『二十世紀電氣目録』を執筆すると決めた際、真っ先に物語に登場させようと思い浮かんだのがこの路面電車でした」と有ります!
注)博物館明治村では「京都市電」と呼ばれているが外観仕様は京都電気鉄道後期型で有り、京都市に買収され「N電」と呼ばれる前の状態
そこで改めて電車の解説…
二十世紀電氣目録の京都電気鉄道車両
原作本の京都駅前を走る京都電気鉄道車両画像を考察
この後期型車両は前照灯と屋根支柱なし、1本ポール
日本最初の電鉄会社 京都電気鉄道には前期型と後期型が存在した
側面窓が9枚の後期型車両は開業15年を過ぎ、電車が市民に認知され、京都市も間もなく市電事業(広軌)に参入すると言う1910(明治43)年頃から製造された長尺の車両で、後に京都市電に買収され狭軌1形(N電)と呼ばれた
後期型は前後の屋根の角に支柱が有り、前面中央に前照灯が有るのが主流↑だが無い車両も実在した ↓「第7号」
※京都府立京都学・歴彩館『京の記憶アーカイブ』より
また屋根上の集電用ポールが1本で電気をレールへ流していた架空単線式は、京電研究のオーソリティー大西友三郎氏が「京電が走り始めた直後の明治28(1895)年7月22日、市内線に関しては架空単線式は許可しないという決定があり、明治40(1907)年になって複線式(2本ポール)に変更している」と述べているので明治43(1910)年頃から製造され始めた後期型車両は、市内線では無い伏見線・稲荷線を除き2本ポールへ対応し始めていたとは思われるが↑画像は北野線の車両だが1本ポール
大正初期ころ堀川丸太町で交差する2本ポールの電車
→京都電気鉄道堀川線後期型(後の狭軌1形) ↙京都市電丸太町線広軌1形
博物館明治村のポール回し
なお平安神宮の重要文化財の旧北野線2号電車では前後にポールが1本ずつ有るがこれは 後になって終点でポールを回さず前後のポールの架け替えで対応していたためで上記の2本ポールではない ↓
当時は仕様が確定していなかったのか、一般車両でも窓の数が異なる車両や
前期型でも屋根の支柱は無いのが主流だが支柱有りも存在した
↓まだ前後の救助網が設置されていない開業直後の1895(明治28)年頃の写真「第21号」
ちなみに伏見チンチン電車の会のロゴマークは上画像同様の救助網なし、支柱有りです
但し「二十世紀電氣目録」のイラストでは運転手の右手がつかむブレーキシャフトが前面に露出しているがこれは前期型の当初の仕様で ↓(東映太秦映画村に有ったレプリカ)
前期型の途中からは車長を少し伸ばし内側に設置されているので後期形では存在しないはず…
3枚目の「第7号」画像でご確認ください
京都電気鉄道の架空複線式(2本ポール)については















