2024年 2月の古都の風カレンダー | レールは、こころをつなぐ道。

伏見京橋畔の寺田屋浜の「龍馬とお龍、愛の旅路」像

簡単にカレンダーが作れるテンプレートはこちら

 

 

二人の像の後方から寺田屋浜・京橋方向

幕末1866(慶応2)年の寺田屋事件で負傷した坂本龍馬の傷は深く、西郷の勧めにより刀傷の治療のため療養することを決め妻お龍と共に寺田屋浜から船に乗り九州霧島へ旅立った。

この旅は龍馬とお龍との蜜月旅行となり、これが日本最初の新婚旅行と言われている。

 

 

二人が見つめる京橋中央の広くなった場所から見た寺田屋浜

右上東屋下に愛の旅路像がある

 

付近は埋め立てなどで整備されて大きく様変わりし、伏見みなと公園となっている

 

 

京橋北東から中書島方向

たもとに京橋の駒札と伏見口の戦い激戦地跡の碑がある

京橋の駒札


 

 

 

1866(慶応2)年 寺田屋遭難(寺田屋事件:坂本龍馬襲撃事件)

 ※1862年の「寺田屋事件(寺田屋騒動)」とは異なる

 

1867(慶応3)年 近江屋事件 龍馬暗殺

 

 

時系列では一番最初のもう一つの事件

1864(元治元)年 池田屋事件は、龍馬がお龍と出逢った年で、勝海舟と下田で蝦夷地開拓の構想などを話していたようで京都には居なかった↓

 

 

 

江戸時代、伏見京橋周辺の水路は大変広く伏見港として淀川から瀬戸内海へとつながる水運の要衝として、また東海道五十七次の54番目の宿場町として大変賑わっていた。

古典籍総合データベース」(早稲田大学図書館) ;澱川両岸一覧. 上り船,下り船之部 / 暁晴翁 著述 ; 松川半山 画図 巻2-12

 

東海道五十七次とは↓

 

 

 

明治時代の地図で中央の中之島から北(上)へ渡る橋が京橋、その右側が寺田屋浜

寺田屋は浜の北側、「龍馬とお龍、愛の旅路」像は南側

伏見港から京橋を渡り北へ2筋の突き当りに有り旅人の休憩処だった伏見駿河屋は1895(明治28)年に西側敷地を日本最初の電鉄 京都電気鉄道に譲り下油掛(京橋)の終点が、道を挟んだ東南角には電車待合所も設置され京都市内への電車の起点となった 

↓伏見駿河屋本店提供

 

伏見駿河屋前には「電気鉄道事業発祥の地」石碑がある

2月1日は我国最初の電車が走った日