「京都の市電 昭和を歩く」「京都市電が走った街 今昔」の著者、福田静二さんの協力を頂き、四季折々の京都の街と市電の風景の「京都市電ロマン カレンダー」をお届けします。
当時は国道24号だった師団街道踏切を行く稲荷線京都駅行の大型の500形市電。
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1970(昭和45)年の稲荷線廃止当時は師団街道が国道24号で京都と奈良方面を結ぶ主要道だった。棒鼻手前で近鉄京都線に沿うように東へ向きを変える現在の竹田街道ルートは1972(昭和47)年の完成で以後竹田街道は国道24号線となった。
師団街道ストリートビュー
現在、師団街道の東側は公園などに整備されているが、当時市電は京阪電車との平面交差を越えて疏水手前の終点稲荷電停へと続いていた。
稲荷電停から見た師団街道踏切の市電と京阪踏切の京阪電車。
稲荷電停は橋の上に設けられていた。
橋の上の電停下に埋もれていたレールと解説パネル。
師団街道踏切から西は勧進橋まで築堤の専用軌道だった。
京阪電車踏切の市電との衝突事故は何度も発生し、高度成長期のマイカー普及で師団街道踏切の影響での24号線の渋滞などで地元から、まだ伏見・稲荷線廃止問題が浮上する前の1966(昭和41)年ころに稲荷線の師団街道の西側迄の部分撤去要請が起きていたのだった。
詳しくは ↓
京都市電 伏見・稲荷線 全停留場紹介記事 ↓
伏見・稲荷線廃止 1970(昭和45)年3月31日
京都市電全線廃止 1978(昭和58)年9月30日
京都市電 停留場間距離と廃止時期
*** 福田静二さんの著書 ***