京都市電 伏見・稲荷線 全停留場紹介 ⑧稲荷 | レールは、こころをつなぐ道。

先日開催の「そうだったのか!伏見を走った路面電車」会場で展示された資料と、福田静二氏の全19停留場紹介写真を始め多くの提供画像を交えて沿線の解説を連載します。

 

前回の⑦勧進橋 ↓

 

 
伏見線開業9年後の1904(明治37)年 稲荷線開業
大阪の実業家土井柾三の寄附により整備して造られた勧進橋からの稲荷新道(約900m)を歩かなくても伏見稲荷に参詣できる稲荷線は南側に1904(明治37)年開業した。
鴨川沿いだった大和街道(竹田街道)は、1911(明治44)年に新大和街道として勧進橋から棒鼻まで現在の直線ルートで開通し、伏見線も翌年に複線化移設され、これも東側寄り併用軌道だった。

稲荷線の全長は約700mで途中に停留場はない。

 

 

全線専用軌道の築堤で平面部に踏切

竹田街道と伏見稲荷との間は土地が低くなっているので、当時沿線に何もなかったため全線専用軌道の堤防が築かれ、師団街道手前で平面となっていた。

6年後の1910(明治43)年に京阪電車が開業し平面交差ができた。

 

 

京阪電車の軌道を渡る稲荷行 市電

 

当時国道24号だった師団街道踏切を通過する京都駅行市電。

 

ストリートビュー

 

 

こちらは2019年2月に開催された稲荷線関連イベント用の画像でストリートビューに当時の様子をイメージした物。

 

実際の築堤 電車は民家の二階にあたる付近を走行

 

 

⑦稲荷 

疏水の上の停留場は1線だけで後続電車は手前で待機

 

この停留場のレールが一昨年出現したニュース

 

その後保存された状況 (Wikipedia)

 

 

 

交差道路の師団街道上の稲荷行市電と横切る京阪電車。

左の線路には青信号時だけ開通する脱線ポイントが見える。

脱線ポイントは市電だけではなく京阪側にも設置されていた。

画像左へ稲荷電停の手前で1線となる。

 

 

何度も衝突事故発生

平面交差ができてから何度か衝突事故が起きていて、1935(昭和10)年には京阪電車から車両を代物弁済して貰った事もある。

昭和40年の衝突事故の新聞記事↓

 

 

地元から部分撤去要請

驚くのは、まだ伏見・稲荷線廃止問題が浮上する前の1966(昭和41)年ころに稲荷線を師団街道の西側迄部分撤去の要請が地元から有った事である。

双方の見解が食い違っている様だが…

京阪電車との交差はともかく「国道24号(師団街道)」との交差が危険で渋滞の要因でもある!とか

 

「国道は交通マヒ」!!

当時は高度経済成長期でマイカーも急増し、市電利用者を無視した、自動車優先の世論が広まっていった。

 

 

つづく