京都市電 伏見・稲荷線 全停留場紹介 ⑨深草下川原町~⑬城南宮道 | レールは、こころをつなぐ道。

先日開催の「そうだったのか!伏見を走った路面電車」会場で展示された資料と、福田静二氏の全19停留場紹介写真を始め多くの提供画像を交えて沿線の解説を連載します。

 

前回の⑧稲荷 ↓

 

 

伏見線は勧進橋電停から竹田街道の東側併用軌道を更に南へ

 
1911(明治44)年に新大和街道として勧進橋から棒鼻まで現在の直線ルートで開通し、伏見線も翌年に複線化移設された。
 
⑨深草下河原町(ふかくさ しもがわらちょう) 
 
鴨川の勧進橋から水鶏(くいな)橋間は一旦南へ流れて西へ向きを変える、逆向き「くの字」流路だったので、旧線は深草下川原町付近で現在の竹田街道付近を竹田久保町手前の、東高瀬川を越えるまで走っていた。
 
大西友三郎氏の伏見線新旧路線図

 

 

勧進橋から水鶏(くいな)橋間の鴨川は昭和10年の大改修で直線的に付け替えられたが、それまでは深草下川原町のすぐ西に橋が架かっていた。これが「高橋」の由来なのか?
上の大西友三郎氏の図では東高瀬川の橋が「高橋」となっているが停留所の「高橋」は位置からいうと兵器支廠からの道が橋へ続く交差点付近で、下川原町一帯は「高橋」と呼ばれていた。
 
 
⑩竹田久保町
電停名は「砂川道」・「練兵場前」とも呼ばれた
東に約800m行った疏水には砂川橋が架かっている。
 
戦前は陸軍第16師団の京都練兵場があり、陸軍の施設が密集し、軍都伏見の風景だった。
近くの龍谷大学や京都府警察学校も、戦後に陸軍跡地にできたもので、市電時代には付近に自動車免許試験場や自動車教習所、陸運局などの公共施設も多く、乗降客の多い停留場だった。
 
上の画像では市電廃止を前に市電軌道東側に道路整備が進められている。
この交差点を、西へ約400m行くと鴨川に架かる水鶏(くいな)橋の手前に京都市営地下鉄烏丸線「くいな橋駅」がある。
 
 
 
 
さらに南へ行くと

 

 

 

⑪竹田出橋(たけだいでばし)
撮影位置は名神高速道路の高架下から北行の停留場方向。
南行は手前の横断歩道を渡った左、名神高速道路の高架下だった。
 
上画像の市電の奥方向から撮影↓

名神高速道路に側壁は無く走行する車がはっきり見える。

 
旧竹田街道は少し西を流れる東高瀬川に沿っていて、京都電気鉄道も走っていた。そこに架かっていた橋を井手橋と言い、それが転化して“出橋”となったと言われている。
停留所名は新竹田街道に移設されて「竹田」から「竹田出橋」となった。
開業時のルートの東高瀬川の名神高速道路南側に架かる橋の名は、現在では「新竹田出橋」となっている。
 
 
⑫七瀬川町
電停名は「営所道」とも呼ばれた。
「営所」とは平時に部隊が常駐する場所。
 
「七瀬川と言う川」は、上の地図でも分かるが、深草の大岩山から南西へ流れ、城南宮道を過ぎてから竹田街道東側沿いに流れ、棒鼻の手前で竹田街道を潜り東高瀬川に合流するが、地名としての「竹田七瀬川町」は竹田街道沿いの竹田出橋~城南宮道の両側になり、中間付近に「七瀬川町」停留場があり「七瀬川」は東へ400m以上離れている。
 
 
⑬城南宮道(じょうなんぐうみち)
京都の地名表現で「道(みち)」は「遠いけどつながっている」的な表現で、城南宮までは直線距離でも1400mほどある。
 
ちなみに「金閣寺」電停から金閣寺入口まで約140m、「銀閣寺」(ぎんかくじみち)電停から銀閣寺入口まで約550mと、「前」と「道」でニュアンスが異なる。
また「清水」(きよみずみち)は清水寺入口まで約600mある。